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      <title>弁護士日記</title>
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      <description>当事務所では交通事故問題に精通した弁護士が豊富な経験を活かし
被害者の利益を第一に交通事故相談を行っております。</description>
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      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>自賠責保険の後遺障害等級が判決で重く変更された</title>
         <description>　最近は、私が被害者側の代理人を務めた判決が次々と出されている。
　今回紹介するのは、平成２２年の６月に後遺障害等級認定の手続きを依頼された高木さん(ただし、仮名です。)に関する事件である。
　高木さんは、ある民間企業に勤務をされていたが、平成２１年の春に、所用があって会社から顧客のもとに行こうとして徒歩で外出した。その際、前方から走ってきた車に正面から衝突された(その車の運転者は前方をまったく見ていなかった。)。　
　高木さんには、その事故による怪我のために、左上肢に後遺症が残った。また、顔に醜状も残った。そこで、当事務所に対し、自賠責保険の被害者請求を行い、後遺障害の等級認定を依頼された。
　私はその依頼を受諾し、さっそく自賠責保険に対し、被害者請求を行った。自賠責保険は、高木さんの後遺障害について、外貌醜状の点は「男子の外貌に著しい醜状を残すもの」として１２級１４号を認め、左上肢の神経症状については「局部に神経症状を残すもの」として１４級９号を認め、これらを併合した１２級と判断した。
　しかし、私はこの自賠責保険の認定には不服があった。そこで、平成２３年の春に名古屋地裁に提訴し、争った。原告である高木さんの主張とは、外貌醜状の点は１２級１４号でかまわない、しかし、左上肢の神経症状は、１２級１３号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するというべきであり、これらを合わせると、併合１１級になるという主張であった。
　これに対し、加害者である被告は、たとえ男性である原告（高木さん）に外貌醜状があったとしてもそのことによって労働能力は低下しないという主張を行った。また、左上肢の神経症状は１４級９号にすぎないと主張して争った。
　判決は、高木さんの外貌醜状は、定年後の再就職等に当たって不利益を生じさせる蓋然性が高いとして労働能力の喪失を認めた。また、左上肢の神経症状については、１２級１３号に相当する後遺障害であると認めた。そして、これらを合わせると、併合１１級になると認め、労働能力喪失率は２０パーセントであると認定した。
　従来から、男性の１２級１４号の外貌醜状については、逸失利益を正面から認める判例はほとんどなかった。今回、これを認めたことは大いに意義のあることであった。
　なお、外貌醜状に関する男女間の障害等級に差別的取扱いがあるとして違憲判決を出した京都地裁の判決が平成２２年６月１０日に確定したことを受けて、自賠責保険は、平成２２年６月１０日以降に発生した交通事故については、男性の外貌に著しい醜状を残すものについて、女性と同じく障害等級を７級とするよう改正を行った（なお、男性の外貌に相当程度の醜状を残すものは９級に、男性の外貌に醜状を残すものは１２級とされた。）。
　京都地裁の判決が出るまで、男性の外貌醜状は直ちに労働能力の喪失には結びつかないという議論ないし認識が当たり前のように了解されていた。そして、これに対し、「それはおかしい」とする反対論が強く唱えられることはなかった。正に、「目からうろこが落ちる」とはこのようなことであろう。
　いずれにせよ、高木氏が裁判を行ったことによって、自賠責保険による不当な後遺障害等級認定が覆されたのである。私は、過去に何回も同じような経験をしているが、今回も私が追求した結果が裁判所によって示された（裁判は確定している。）。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/05/post_81.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">交通事故</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 01 May 2012 16:57:27 +0900</pubDate>
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         <title>賠償金額が２．４倍になった</title>
         <description>　平成２２年の秋に依頼を受けた交通事故訴訟事件の判決がこのたび確定し、賠償金額が、損保会社の最終提示額の２．４倍になった。
　この事件は、公務員である山本さん(ただし、仮名である。)が、国道をバイクで走行中に、交差する道路からわきみ運転をしてきた男性の車と衝突して、大けがを負い、自賠責保険によって障害等級７級の認定を受けたという事件であった。
　当初、損保会社は、賠償金として９８８万円という非常識ともいえる低額を提示した。これに対し、山本氏が自分で調べたところ、その金額は極めて低額であることが分かり、金額の増額を求めた。すると、損保会社の担当者は、最終提示額として２８９８万円を示した。
　しかし、それ以上の増額は困難であるとして交渉は進まず、山本氏は、当事務所にご相談をされたのである。これに対し、私は裁判での解決をお勧めした。山本氏はこれを了解され、さっそく平成２２年の秋に裁判が始まった。
　ところで、名古屋地裁の判決は、平成２３年１１月にあり、主文は３８３７万円であった。確かに、損害賠償金額は、損保会社の最終提示額よりも１０００万円増えた。提訴した成果はあったのである。
　しかし、この名古屋地裁の判決には重大な欠陥があった。判決は、山本氏が公務員であることを主たる根拠として労働能力喪失率を２５パーセントしか認定しなかったのである。
　これには、山本氏も驚かれたし、弁護士である私も「なぜ、２５パーセントなのか？」と強い不満を覚えた。なぜなら、後遺障害等級が７級ということは、自賠責保険によれば労働能力の喪失率は原則的に５６パーセントである。
　にもかかわらず、判決は、理由らしい理由を全く示すことなく、勝手に２５パーセントに引き下げてしまったのである。
　私としては、判決を出した裁判官が超ベテランの裁判官であっただけに、このような不当な認定に対し大いに失望した。同時に、この判決は間違いであると確信を深め、山本氏の同意を得て、名古屋高裁へ控訴したのであった。
　名古屋高裁の判決は、本年３月２９日にあった(判決は確定している。)。名古屋高裁民事３部は、上記名古屋地裁の判決を変更した。つまり、認定に誤りがあったことを認めたのである。名古屋高裁が認定した労働能力喪失率は４０パーセントであった。私が名古屋地裁に提訴前に事前に想定した数字と全く同じであった。
　また、弁護士費用を名古屋地裁は２１６万円しかみてくれなかったが、名古屋高裁は４４０万円まで増額してくれた。
　これによって、名古屋地裁の判決は変更され、今回の障害等級７級の公務員の事案に対する裁判所の最終的判断は、労働能力喪失率４０パーセントで決まった。
　なお、賠償金の額であるが、損保会社が被害者である山本氏に対して支払う金額は、事故日からの年５パーセントの遅延損害金なども含めると、総額で７０９８万円となった。
　結果をまとめる。山本氏が裁判を選択されたことによって、金額的には、損保会社の最終提示額に、４２００万円をプラスした金額となった。また、率にすると、損保会社の最終提示額の２．４倍の金額となった。
　もし、山本氏が、平成22年の秋に提訴を選択せずに示談で済まされていたとしたら、４２００万円を余分に受け取ることはなかったのである。
　　　　　　　　　　　　　　　</description>
         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/04/post_80.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">交通事故</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 16 Apr 2012 13:10:40 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>８４９７万円の損害賠償請求に対し８４５４万円の支払を命じる判決が出た</title>
         <description>　一昨年事件の委任を受けた交通事故訴訟の判決が、本年３月上旬、名古屋地裁豊橋支部であり、このたび裁判が確定した。この訴訟とは、自転車で走行中の被害者に対し、後方から制限速度の２倍に当たる高速度で加害車が追突し、自転車に乗っていた青年をほぼ即死させたという痛ましい事故に関する訴訟であった。
　被害者の田中一郎さん(ただし、仮名)の遺族は、事故後、間もなく当事務所に事件処理の委任をされた。そこで、私は、事故現場に行って、事故発生状況を確認し、さらに交通事故の捜査に当たった警察署にも赴き、警察官に事故状況の見立てを尋ねたりした。
　その後、加害者である被告の刑事裁判が始まり、被害者である田中一郎さんの遺族も刑事裁判に参加して意見を述べたりした。しかし、被告には執行猶予判決が出た。
　民事訴訟は、昨年の７月に始まった。その後、5回の裁判を経て、本年３月上旬に判決が出たのであった。被害者の遺族は、民事裁判において、全部で８４９７万円余りの損害賠償を請求した。
　これに対し、判決は、全部で８４５４万円余りの支払を被告に命じた。判決の内容をいちいち明らかにすることはできないが、かいつまんで指摘すると、次のような内容である。
　第１に、死亡慰謝料は、死亡した青年自身の慰謝料と遺族である両親の固有の慰謝料を合計して３０００万円が認められた。この点について、交通事故訴訟の実務参考書として有名ないわゆる「青い本」によれば、「一家の支柱(あるいはこれに準じる場合)」以外の場合は、２０００万円から２５００万円までとされている。
　今回の被害者である青年自身の慰謝料は、２４００万円とされて、青い本が示す基準の範囲にとどまった。しかし、これだけで満足してしまうのは、弁護士のあるべき仕事としては、不合格である。
　というのは、被害者自身の慰謝料のほか、その遺族の固有の慰謝料を請求しておくことによって、かなりの金額の上乗せが期待できるからである。今回は、遺族の固有の慰謝料として計６００万円が認められた。したがって、合計で３０００万円となった。
　第２に、原告側は、弁護士費用として７００万円を請求したが、判決によって７００万円満額が認められた。名古屋地裁であっても名古屋市内に庁舎のある本庁の場合は、弁護士費用については独自の基準が設けられており、今回のような７００万円という金額はとても認められない。より少ない金額とされてしまう。
　ただし、弁護士費用をいくら認めるかについては、事件の内容、審理に要した時間、その他の諸般の具体的事情を考慮の上で、裁判官が自由裁量で決めることになっているから、必ずこうなるという計算式は存在しない。
　いずれにせよ、損害賠償請求事件において、原告が請求した賠償額の９９．５パーセントの金額を、裁判所が判決で認めることは、滅多にないことである。そのような原告完全勝訴ともいうべき判決が出た理由として、遺族が事故直後の早期の段階で弁護士に事件を依頼されたことがあげられる。早い段階で専門家に事件委任をされたことによって、周到で緻密な弁護活動が可能となり、そのことが好結果を生んだといえるからである。実に賢明な選択をされたといってよい。
　あくまで仮の話であるが、遺族において弁護士費用を少しでも節約しようと考えて、遅い段階になってから事件を弁護士に委任していたとしたら、今回のようなほぼ完全勝訴はありえなかったであろう。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/03/post_79.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">交通事故</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 27 Mar 2012 16:51:25 +0900</pubDate>
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         <title>中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」（幻冬舎新書）を読んで</title>
         <description>　今回取り上げるのは、中村仁一さんという医師が書いた本である。著者の中村仁一さんは、京都大学医学部を卒業後、民間病院長を経て、現在では老人ホームの附属診療所長という経歴の持主である。
　近い将来、我が国の人口に占める老人(私の場合は、一応６５歳以上と定義する。)の割合は、過去の歴史に例をみないほど増加することが確実である。我が国は、いまや老人大国に変貌しようとしているのである。
　中村氏は、この本の中で、医療が年寄の自然死を邪魔していると指摘する。中村氏によれば、過剰ともいい得る医療が、お年寄の自然死を妨げ無理に生かそうとしていると批判する。例えば、お年寄が食べられなくなると、鼻から管を入れて無理に栄養を補給しようとしたり、あるいは胃瘻といって腹部に穴を開けてそこからチューブを通じて水分や栄養を補給する医療行為が始まる。
　しかし、そのような措置は、これから楽に死んでゆこうとするお年寄を逆に苦しめることになると指摘する。これには、私も同感である。人間は、誰しも死を免れないのである。そのお年寄が天寿を全うしようとしている時に、周囲の人間が無理に延命を図ろうとするのは、一体何のためか？お年寄本人がそのような延命措置を受けることを事前に積極的に希望している場合は別として、少なくとも余分の苦痛を与えることには疑問がある。
　中村氏によれば、自然死とは、いわゆる餓死を意味するとされる。そして、餓死の実態は、飢餓、脱水、酸欠状態、炭酸ガス貯留という４つの状態を示すという。いずれの状態も、その状態に置かれた人間は、意識が低下して脳内にモルヒネ様の物資が分泌されることになると説く。また、体内に炭酸ガスが貯まるとその麻酔作用によって死の苦しみを防いでくれるという。したがって、死というものは自然の営みであって、生きている者が想像するほど過酷なものではないと説く。　
　確かに、自分の経験に照らしてもうなずける。昔、脳梗塞に倒れた祖母が自宅で介護を受けていたときも、日数が経過するに従って意識が朦朧となり、やがて、かかりつけの医者の判断で栄養補給を止めたことによって間もなく自然に死亡していった昔の記憶がある。ここで仮に無理に延命措置をとっていたら、余計に苦痛を与えることになっていたであろう。
　また、中村氏は、では、お年寄が死期を迎えた際に、なぜ家族が医師に対し、延命措置を頼むのかという問題を提起している。それには二つほど理由があり、一つは、医師の側から延命措置を家族に勧めることがあるという点である。これは医師の側の論理である。もう一つは、患者の側の理由である。それは、生前に親孝行をほとんどしてこなかった子らが、自責の念から延命措置を医師に頼むという場合だという。
　しかし、仮に、そのような延命措置を開始した場合、本来であれば安らかに天寿を全うしていけたはずのお年寄りには悲惨な運命が待っている。何年もの間、自分の意思とは無関係にベッドの上に寝かされ、自分の意思で動くこともままならぬ苦しみに満ちた人生を送ることになるのである。これは、悲劇以外の何物でもない。
　さらに、中村氏は、現在の医学界に対しても批判を向ける。普通の人間は、年をとれば誰でも病気になるという自然の法則を忘れ、多くの医者は、「年をとっても健康でなければ何もなりませんよ。健康ほど大切なものはありません」と脅し半分で説教をするというのである(本の１７０頁参照)。
　中村氏によれば、そのような多くの医者の論理はおかしいものであって、「老い」を「病気」にすりかえようとしていると批判する。つまり、人間老いれば誰でも必然的に病気が生ずることは事実であるにもかかわらず、「病気」であれば治すことができるはずであると考えて、老いを正面から認めようとしない態度はおかしいと指摘する。
　この点、私も同感である。お年寄りが病気をした場合に、その健康を回復させるために費用を度外視した医療行為(投薬、手術、リハビリ等)を行うことは、大いに問題であって、私には違和感がある。そのようなお金があるのであれば、将来の日本を背負って立つ子供の育成に国家予算をつぎ込むべきではないのか。若者がいない国家は滅びるほかないのである(仮に滅びなくても、これからは世界の中の三等国として日本国民は肩身の狭い思いをして生きながらえるほかない。)。
　私に対し、もし、今後、福祉予算としてどの分野に重点を置くべきかと問われれば、子供や青少年の育成に福祉予算の大半を注ぎ込むべきであると答える。それ以外の正解はあり得ないと思うからである。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/03/post_78.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 12 Mar 2012 13:33:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東海市の女性拉致殺害事件に関する疑問点</title>
         <description>　最近、毎日のように新聞に書かれているのが、愛知県東海市に住む相川比奈江さん(４８歳)という女性が、昨年１１月７日に失踪後、今年になって岐阜県御嵩町内において死体で発見された事件に関する報道である。
　新聞各社の報道によれば、警察は、事件に関与したとして岐阜県各務原市鵜沼朝日町の会社「プロスワン」社長の市川孝之容疑者(４５歳)と、岐阜県輪之内町の会社「東輪化学工業」の社長の小川卓美容疑者(５３歳)を、それぞれ加害目的略取容疑で逮捕した。
　加害目的略取罪とは、刑法２２５条に定められている。犯人には、１年以上１０年以下の懲役刑が科せられる。しかし、警察が立件しようと考えているのは、単に加害目的略取罪だけではないであろう。略取（日常用語でいえば、「拉致」を指す。）された相川さんは殺害されているのであるから、今後、容疑が固まり次第、犯人を間違いなく殺人罪で逮捕するはずである(刑法１９９条。死刑・無期・５年以上の懲役刑)。さらには、殺人罪による起訴を視野に入れていることも疑いない。
　新聞報道によれば、殺された相川さんが勤務していた愛知県東海市の会社「富田日中貿易」と、市川容疑者が株主を務める親族経営の金属会社との間で、銅粉の売買契約にからむトラブルが発生していたという(朝日新聞２０１２年２月２７日付け朝刊。ただし、他の新聞社報道には、富田日中貿易とプロスワンの間でトラブルが発生していたとするものもある。）。そして、富田日中貿易は、昨年１０月１３日に、上記金属会社を被告として、２０００万円の支払いを求めて名古屋地裁半田支部に提訴したという。
　その後、市川容疑者は、相川さんに連絡を取ろうとしたが、連絡が取れなかったといって不満を漏らしていたという。訴訟の当事者が、市川容疑者の親族経営金属会社と富田日中貿易であったとすると、なぜ、市川容疑者が出てくるのかという疑問があるが、上記新聞報道によれば、市川容疑者は過去に上記金属会社に勤務したこともあり、また、同社の担当者として富田日中貿易を過去に数回訪問したこともあるとされている。その際、富田日中貿易の窓口は相川さんであったという。
　ここで、一つの疑問が湧く。富田日中貿易は民事裁判を起こしたのであるが、果たして弁護士に事件を委任して同人を代理人として提訴したのであろうか？この点は、新聞報道を見ても全く不明である。
　地方裁判所では、「本人訴訟」といって、当事者が自分一人で裁判を起こす割合がかなり高い。したがって、富田日中貿易は、弁護士を頼まずに、提訴した可能性がある。しかし、商取引に関する民事訴訟を法的知識のない者が起こすことには、やはり無理がある。
　仮に弁護士を頼んでいたのであれば、その弁護士が富田日中貿易から全権を任されることになるから、その件については、弁護士だけが責任をもって処理に当たることになる。したがって、仮に市川容疑者が、上記民事裁判にからんで相川さんと話をしようとしたのであれば、それは通らぬ話であって、いわば筋違いのことをしようとしたことになる。
　仮に今回の民事訴訟に関して富田日中貿易に弁護士が代理人として付いていたのであれば、その弁護士から、市川容疑者に対し、「この件は裁判になっているから、連絡したいことがあれば、全部代理人である自分を通してもらいたい。」と警告することによって、今回のような悲劇の発生を未然に防止することができた可能性がある。残念というほかない。
　二つ目の疑問とは、なぜ市川容疑者は、小川容疑者に頼んで、東輪化学工業に相川さんを呼び出すように依頼したのかという疑問である。また、小川容疑者は、なぜ、市川容疑者の依頼を受けて富田日中貿易にわざわざ電話して「廃プラスチックを処分したい。」と嘘をついたのか？その際、小川容疑者は、市川容疑者からの依頼であることを富田日中貿易には隠していたという。また、逮捕前は、小川容疑者は、「相川さんは飛び込みで営業に来た。」と警察に説明していたという。なぜ、そのような嘘をつく必要があったのか？疑問だらけである。
　その結果、昨年１１月７日、富田日中貿易の担当者であった相川さんは、単なる商談だと信じて東輪化学工業に一人で来た。いわば、小川容疑者に騙されて、愛知県東海市から岐阜県輪之内町まで誘い出されたことになる。新聞報道によれば、同日、午後３時半頃にやって来た相川さんに対し、「奥にみえます」と言って声を掛け、市川容疑者のいる工場敷地奥の駐車場へ行くように促したという。
　おそらく、相川さんとしては、ここで市川容疑者が待っているとは想像していなかったと思われる。しかし、突然、小川容疑者から、「市川さんがみえます。」と告げられ、大変驚いたものの、会わずにすぐに帰るわけにもいかず、警戒しながら工場敷地奥に入っていったのであろうと推測される。
　ところが、工場の奥で待っていた市川容疑者から、上記トラブルをめぐる恨み言を言われ、さらに脅されて、身の危険を感じて逃げようとしたが、市川容疑者のグループによって拉致されてしまったというのが事件の真相ではなかろうか。市川容疑者は、単独ではなくあらかじめ二人の仲間を雇って拉致に及んだのであるから、最初から拉致を狙った悪質きわまる計画的犯行と言って間違いない。
　なお、この件について、小川容疑者は、自分は略取には関与していないと自分が頼んだ弁護士に説明しているそうである。しかし、仮にそうだとしたら、なぜ、相川さんをおびき寄せる重要な役割を積極的に果たしたのか？また、相川さんが略取された際になぜすぐに警察に事件を通報しなかったのか？という疑問が残る(無関係であれば、普通は１１０番通報するはずである。しかし、現実にはしなかったようである。ということは、拉致に手を貸したことになるのではないのか。)。
　一方、市川容疑者は、略取事件が起こった昨年１１月７日に、東輪化学工業に行ったことがあるかどうか記憶がないと供述しているとのことであるが、しかし、小川容疑者が、確かに市川容疑者が当日来たことを認めている以上、それが嘘であることは疑いない。
　今回、被害に遭った相川さんが受けた恐怖感はいかほどのものであったか。さぞかし悔しかったであろう。
　私には、相川さんを殺害した真犯人の、おおよその目星はついている。警察に対しては、真犯人を必ず検挙して、殺人罪で起訴できるよう最大限の捜査をお願いする。「悪い奴を必ず捕まえる。決して逃がさない」という精神で頑張ってもらいたいものである。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/03/post_77.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">その他</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 01 Mar 2012 16:43:45 +0900</pubDate>
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         <title>光市母子殺害事件最高裁判決を支持する</title>
         <description>　昨日、最高裁は、山口県光市母子殺人事件について上告棄却の判決を下した。これによって、大月被告(事件当時１８歳)の死刑判決が確定した。
　最初に私の立場を明確にするが、私は死刑肯定論者である。むしろ、死刑推進論者といってもよい。
　私は、この判決を当然の結果と理解する。何らの落ち度のない母子を冷酷に殺害したのであるから、当たり前の結論である。被告人は、1歳にもならない幼児とその母親を殺したのである。死刑を受けるのは当然である。
　ところが、このような非人間的な残虐犯罪を実行しておきながら、当時の年齢が１８歳であったことを考慮して死刑を回避するべきであるという立場がある。この立場とは、「事件当時は少年だったので考え方が未熟であった。だから事件を起こしたことも大目に見て欲しい」という理屈に近い。
　しかし、私はこれには賛成できない。なぜなら、１８歳という年齢は、今日では、十分に物事の善悪を判断することが可能な年齢とみてよいからである。事件当時の被告人の年齢が１８歳であることは、死刑を回避する理由とはならない。
　また、事件後に反省しているから死刑とすべきではない、という理屈も刑事弁護人側からしばしば唱えられる理屈である。しかし、事件後に、被告人がどれくらい反省しようとしまいと、殺害された人間の命は決して戻って来ない。
　さらに、根本的な問題点として、反省しているかどうかは、あくまで内心の問題であるから、客観的に「反省している心の状況」を認定することはできないという欠陥がある。仮に、本人が表面的に反省の言葉を述べていたとしても、そのことだけから、心底反省していると認めることはできないのである。
　それに加え、「反省している」とは、どのような心理状態を意味するのか？という難しい問題がある。
要するに、本当の心理状態は、被告人以外の者には分からないということである。したがって、結局のところ、被告人は、自分が引き起こした結果については、自分の命でもって償うほかないのである。
　今回の最高裁裁判官のうち、一人だけ、精神的熟成度が１８歳に達した少年としては相当程度低いというべきだから、再度、高裁に差し戻して審理を尽くす必要があるという反対意見を述べた(宮川裁判官)。
　しかし、このような意見は間違いである。同じ最高裁の金築裁判官が指摘するよう、少年法は１８歳という客観的基準を設けて、１８歳以上であれば死刑を選択することができるとしているのであるから、精神的熟成度が１８歳に達していたか否か、というようなことを、死刑選択の新たな基準として設定することはできないのである。
　なお、このような厳しい結果が出た一つの要素として、大月被告が下級審(地裁及び高裁)段階で、普通の人間には全く理解できない奇想天外な自己弁護ないし弁解を弄していたことが、最高裁の裁判官の心証を相当悪くしたのではないかと推測する。要するに、「被告人は被害者及びその遺族を愚弄しているのではないか。被告人は反省を全くしていないのではないか。であれば死刑も已む得ないのではないか」ということになったのではなかろうかと推理する(ただし、私見によれば、前記したとおり、犯人が「反省」しているかどうかは、余り重要な問題ではない。)。　
　判決後、被害者の遺族である本村さんは、記者会見の席で、被告人に対し、「死の恐怖を通じて罪の重さをかみしめて欲しい」と述べた。私も同感である。
　大月被告は、自分が死刑になる、つまり殺されるという恐怖感を今後、毎日味わうことになろう。被告人の犯情は極めて悪質かつ残虐なものであるから、自分が殺されるという恐怖感を日々味わって余生を生きる道義的義務がある。そうした極限状況に置かれない限り、被告人には、真の意味の反省は生まれないであろう。
　なお、以前、テレビ報道で、アメリカ合衆国の州の一部には、希望する遺族に対し、死刑の執行の現場に立ち会わせることを認める州があることを知った。遺族の復讐感情を考慮した場合、日本でもそのような制度を採用するかどうか検討してもよいと考える。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/02/post_76.html</link>
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         <pubDate>Tue, 21 Feb 2012 13:07:32 +0900</pubDate>
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         <title>賠償金額が２．１倍になった</title>
         <description>　ちょうど１年前の１月下旬に事件処理の依頼のあった被害者の方の事件が昨日解決した。したがって、委任から１年未満で事件が解決したということになる。
　この方は、比較的若い年齢の方であったが、オートバイで名古屋市内を走行中に、交差点内で車線変更してきた車と衝突し、後遺障害等級１０級１０号の認定を受けた。かなり長い期間にわたって治療を受け、平成２１年１０月に症状固定した。
　この事件のポイントは、交差点内で車線変更して本件事故の原因を生み出した加害者と、オートバイをそのまま進行させていた被害者の過失割合がどのくらい認められるかという点である。
　被害者である依頼者は、事故によって記憶が失われてしまっており、事故態様に関する立証がうまくゆくか、という点がやや心配であった。しかし、私の主張は、交差点内で後方の確認をしっかりとしないで車線変更してきた加害者つまり被告に１００パーセントの責任があるという主張であり、これを一貫して維持した。
　これに対し、被告の代理人弁護士は、原告である被害者にも２０パーセントの過失があると主張し、その結果、双方の主張が対立したのであった。
　私としては、原告の主張を記載した詳しい陳述書も用意して、原告である被害者の方の尋問を申請していたのであるが、裁判期日において、裁判官から、「本件は和解で解決するのが妥当と考えます」という意見が出た。
　このような場合、私は、かねてより、被告代理人弁護士が、ある程度の常識を備えている人物の場合は、和解には応じるという姿勢をとっている（もちろん、和解案を受諾するには、裁判官の提示する和解案ないし金額が、私の考える許容範囲内に収まっている必要はあるが。）。
　反対に、裁判において、客観的証拠もないのに、事実に反するでたらめな主張を繰り返したり、あるいはまじめに訴訟活動をしようとしない横着な被告代理人弁護士が相手の場合は、仮に裁判官から和解勧告があっても、一切応じないことにしている。そのような低レベルの輩と和解することには抵抗感があるからである。
　今回の被告代理人弁護士は、常識を備えた人物とお見受けしたので、私も和解に応じることにしたものである。和解案の内容であるが、弁護士には守秘義務があるので詳細を明らかにすることはできない。しかし、裁判官の示した過失割合は、原告が５で、被告が９５というものであった。この裁判官の和解案には、双方とも一発で同意し、昨日、和解が成立したものである。
　ちなみに、提訴前の損保会社の支払提示金額は１３２７万円であった。
　これに対し、裁判所で決まった和解金額は２８８０万円であった。したがって、被害者の方が裁判を行ったことによって、賠償金は、２．１倍に増加したことになる。
　この結果には依頼者も満足された。私としては、今後も、すべての事件について、苦しんでおられる交通事故被害者の側に立って、ご依頼のあった事件を丁寧に解決する方針であることに変わりはない。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/01/post_75.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">交通事故</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 26 Jan 2012 16:52:46 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>議員定数は、半減すべきだ</title>
         <description>　最近になって、民主党は、衆議院議員の定数を比例で８０人、小選挙区で５人減らす法案を用意していると新聞報道等で知った。しかし、これは余りにも生ぬるい削減案である。私の見解によれば、衆議院議員、参議院議員とも、定数は今の半分程度で十分である。「今国会議員業を営んでいる人間の半分は全く不要だ」ということである。
　そもそもなぜ国家に国会議員が存在するかといえば、行政府つまり内閣が勝手なことをして国民に不利益を及ぼさないように行政を監視するためである。あるいは、民意を国政に反映させるためである。
　ところが、現在の国会議員を見ていると、自分が議員という特権階級になるべく長くとどまりたいために、いろいろな活動を行っているとしか思えない。庶民の願っていることを実現することは、二の次であって、まずは自分の特権的身分を確保することが第一というふうに考えているとしか思えないのである。
　では、なぜそのように言えるのか？果たして根拠はあるのかという点が問題となる。答えは、「根拠はある」ということである。以下述べる。
  現在、一番重要な政治課題は、消費税率のアップ問題である。野田内閣は、今、本気で消費税率を上げようとしている。
　消費税率アップについては、いろいろな意見がある。私は、消費税率を上げることはやむ得ないと考える。年々増大する社会保障費を賄うには、もはや国債の発行つまり、国が借金を続けるということは限界にきていると考えるからである。
  社会保障費を国債発行で賄えないとしたら、選択枝は二つしかない。社会保障費を削るかつまり福祉サービスの低下を認めるか、あるいは今のままの福祉水準を維持するために税金を増額するか、である。国民は、いずれも「嫌だ」と思うに違いない。しかし、どう考えてみても二者択一しかないのである。そこで、私は、税金の増額つまり消費税率を上げるという手段を選ぶ。
　やや話が逸れたが、ここで一番重要なことは、消費税率を上げる前に、国、より正確に言えば国民からお金(税金)をもらって生活している人々つまり公僕に対し、不利益の一部を引き受けることを求めることである。これは、自ら「身を切る」ということである。つまり、公務員の給与を引き下げ、同時に、国会議員の特権的身分を見直すことである。
　特に、国会議員は、議員報酬以外にも政党交付金、低廉な賃料による議員宿舎の提供、交通通信費の支給など、全部合計すると、議員一人当たり年間約１億円の税金を使っていることになる。
　こんなに国会議員の身分が経済的に恵まれた国は、世界の民主的な先進国のどこを見てもないと言ってよい。このように、世界標準からすればトップレベルの恵まれた特権を享受しているのが、日本の国会議員なのである。
　では、日本の特権階級に位置する国会議員が、それに見合うまともな仕事を日々しているかといえば、私には到底国民のために働いているとは思えない。国会議員が、日々まともな活動をしていると評価するためには、彼らの活動によって国民が大いに助かっている、あるいは利益を受けているという結果が出ていなければならない。しかし、そのような実感は私にはない。
  第一、ろくに専門知識も優れた見識もないような素人が、たまたま政党の名簿に登載されていたという理由だけで、ある日、幸運にも国会議員になっても、まともな政治活動など出来るはずがない。一般国民よりもレベルの低い人間が政治家になっても、すぐにそれなりの成果を出すことなど最初から期待出来ないのである。
　したがって、国会議員は、本当に知識、見識、実行力等を具備した人だけがなるべきであって、その他の大半の陣笠議員など不要というべきである。これらの人々に無駄な国家予算を付けることは、どぶに大切な税金を捨てるようなものである。
　仮に、無駄な国会議員定数を１００人減らせば、年間１００億円が浮くことになる。２００人減らせば２００億円である。
　以上、私が、国会議員の定数を半減させるべきであると考える根拠を簡単に述べた。
  ところが、野党は、前記民主党の法案に強く反対している。
  では、一体、野党は、比例代表での選出議員という訳の分からぬ人物の議席を８０人減らすことに、なぜ反対するのか？野党の幹部からは、比例の８０人を減らしたら、少数意見が抹殺されることになるという反対論が唱えられている。
  しかし、小選挙区制という選挙制度を是として採用している以上、少数党の意見が反映されなくなることは、最初から分かっていた話である。また、民主主義の根本は、多数意見が最後には政治的決定権を持つということである。したがって、少数意見が切り捨てられるのも、結局は、民意のなせるわざであるというほかない。
　ただ、私は、小選挙区制には根本的に反対である。定数２人から４人程度の中選挙区制が我が国には一番好ましいと考えている。それが私の昔からの持論である。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/01/post_74.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">その他</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 16:36:53 +0900</pubDate>
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         <title>高中正彦著「判例　弁護過誤」を読んで</title>
         <description>　昨年の１２月から今年の初めにかけて、高中正彦弁護士が著した「判例　弁護過誤」(弘文堂)を通読した。本書の構成は、「緒論」と「過誤事例」から成る。緒論には原理原則が丁寧に書かれている。また、過誤事例には、いろいろな場合が細かく論じられている。
　緒論には、我々弁護士が日頃気をつけなければならない点が、格言方式で掲載されている。弁護過誤に陥らないための留意点が書かれている。ここで、高中氏が説かれる７つの要点について、順次紹介したい(本の８頁から１２頁まで参照)。
　第1条　「むやみに人を信用するな」
　ここでは、弁護士がその職務を遂行するに当たり、依頼者(又は第三者)の主張することを鵜呑みにして頭から信用することの危険性が書かれている。依頼者の利益を図って職務を遂行するということと、依頼者の言うことをそのまま信用するということとは、根本的に違う。
　我々弁護士は、ともすると、依頼者の言い分を額面通りに受け取ってしまう傾向がある。しかし、客観的な状況や証拠に照らすと、その言い分が嘘であることが後になって判明するということは、しばしばあり得ることであって、この点は十分に気を付ける必要があろう。そうしないと、ピエロのような役回りをさせられてしまう危険がある。
　また、場合によっては、相手方などから非難を受けることにもなりかねず、この点は、いくら強調してもしすぎることはないと言うべきであろう。
　第２条　「こまめな報告はあらゆる過誤を根絶すると知れ」
　依頼者と弁護士の信頼関係を維持するには、連絡を迅速に行うことが重要であると、高中氏は説かれる。報告が遅れると、信頼関係にひびが入る可能性がある。この点は、私も日頃から留意していることである。そこで、原則的に、重要な報告は、内容を書面化して送付することにしている。
　第３条　「カッカとするな(常に冷静であれ)」
　弁護過誤事例のうち、相当数が名誉棄損がらみのものとなっている。私の経験に照らしても、相手方の作成した準備書面の内容に立腹したことが何回もあった。しかし、高中氏は、この点を戒めている。「カッとなった結果、いわなくてもいいことをいったり、書面に記載したために、不法行為訴訟の被告となってしまった例は多い」と指摘している。
　私の場合は、相手方から極めておかしな内容の準備書面が出たような場合、私の闘争心に火が点くことが多い。私としては、その事件に対し、普通の事件の何倍かの精力をそそぐことになるから、余計なことを言った相手方は、わざわざ不利益を招く結果となる。
　第４条　「説明の腕を磨け」
　高中氏は、ここでは、弁護士たる者、確かな法律知識と実務経験に裏打ちされた分かりやすい言葉で依頼者に説明をするべきであると、説かれる。私も同感である。
　第５条　「すべての事件について手を抜くな」
　高中氏の説かれるところは、当然のことであろう。
　第６条　「カネに魂を売るな」
　弁護士業は、いわゆる自由業であって、同じ法曹であっても、裁判官や検察官と異なって収入の保障がない。したがって、自分や家族、従業員の給料は、弁護士自身が稼いで用意する必要がある。
　しかし、だからといって、金儲け主義に走ってよいということではない。ただし、過去何年間にわたる、合理的根拠を欠く「法曹人口激増政策」によって、世の中に不要な弁護士が多く誕生している。今後、上記政策が是正されない限り、金儲け主義に走る弁護士が年々増加するのではないかと危惧される。
　第７条　「謙虚であれ」
　弁護士は、他人からしばしば「先生」と呼ばれることがあるので、何か自分が偉い人物と評価されているのではないかと勘違いすることが大いにあり得る。特に、社会人経験を全く経ずに、学生からそのまま弁護士になったような、いわゆる「優秀な弁護士」は、特に要注意である。
　私の経験に照らしても、弁護士と、それ以外の職業に就いている人々との間に、法律的知識・実務知識を除けば、人間的な違いは、全くないと言ってよい。
　以上、高中氏の著作を紹介させていただいた。我々弁護士にとって、極めて有用な書物であると考えるので、広く、お勧めしたい。　　　
　　　　　　　　　　　　
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2012/01/post_73.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 10 Jan 2012 17:12:33 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今年の農地法研修会を振り返って</title>
         <description>   平成２３年も、あと僅かを残すのみとなった。
　今年も、農地法の研修会の講師をして欲しいという依頼が相当にあった。そこで、今年の締めくくりをしてみたい。
　１月・２月・３月は、Ｇ県農業会議から依頼を受けて農地法研修会の講師を務めた。研修会の参加者は、自治体の農業委員会の職員の方々であった。この研修会は、テキストに基づいて解説をするものであって、何回かにわたる連続講座の形をとった。
　また、１月に、Ｇ市役所からも依頼があって、Ｇ市の農業委員さんの皆さんに対し農地法の若干の問題点について話をさせていただいた。
　６月は、例年どおり、Ａ県から依頼があった。県の施設に集まったＡ県内自治体の１００人余りの農地事務担当者に対し、９０分で農地法にかかわる基本的問題点を解説させていただいた。
　さて、７月は、日本経営協会中部本部主催の農地法研修会があった。例年、２日間にわたり、計９時間の話をすることになっている。この研修には、私の書いた本をテキストとして使用した。２日で９時間は、やや疲れるが、他に適当な講師がいないようであるから、やむを得ない。
　１０月は、日本経営協会東京本部及び関西本部主催の農地法研修会が、東京都内と大阪市内であった。内容は、中部本部のものとほぼ同じである。
　最後に、１１月は、再び、Ａ県主宰の農地事務担当者研修会であった。今回は、春の研修会とは異なり、応用問題をとりあげた。いわば、応用編である。いつも思うことであるが、Ａ県の農地事務の担当者は、よく勉強をしておられると感心する。不勉強な弁護士では、農地法の問題に関する限り、とても彼らには敵わないであろう。
　来年も本年とほぼ同様のスケジュールで、お話をさせていただく予定である。
　皆様も良いお年をお迎えください。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2011/12/post_72.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">農地法</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 21 Dec 2011 11:42:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>損保と闘う（10）</title>
         <description>平成２３年も残り少なくなった。私は、交通事故の案件に関しては、事故被害者側の依頼しか受けないというスタンスを一貫してとって今日に至っている。
  なぜかといえば、日頃、訴訟において、事故加害者側つまり損保会社側の弁護士の主張することが、事故被害者の立場から見た場合、「冗談ではなく本気でそんなことを言っているのか？」と思うようなことが多いからである。損保会社側の弁護士の全部がそういう類の弁護士であるとまでは言えないが、大多数は、依頼者である損保会社の利益だけを優先させていると見て間違いない。
　いわば、「損保会社の弁護士の常識は、事故被害者の非常識」ということである。私は、そのような弁護士にはなりたくない。だから、事故加害者つまり損保会社からの事件依頼は一切受けないのである（双方に、「いい顔」はできないはずである）。
　さて、依頼のあった交通事故事件を適正に処理するには、依頼された事件を分析し、かつ、最近の判例の傾向に照らして、どのような結論が出るかを予想する必要がある。その後、訴訟を提起して、時間を惜しまず丁寧に主張・立証してゆく必要がある。丁寧かつ精力的に主張・立証を重ねれば、当初の予想からそんなに外れた判決にはならない。今までは、ほとんどがそうであった。
　ところが、最近、下された判決の中に、首をかしげざるを得ないものが一件出た。いくら、被害者である原告代理人が力を入れて真剣に裁判に臨んでも、担当する裁判官の判断が適正なものでなかったら、依頼者の正当な権利は守られないことになってしまう。この点は、極めて重要な点である。単に、担当した裁判官が「外れだった」ということで済ますことはできない。いわゆる「裁判官の当たり外れ」ということで事を収めることはできないのである。
　さて、良い判決とはどのような判決であろうか？良い判決とは、なぜそのような結論に至ったのかについての判断過程が丁寧に説明されているものである。判決の中で展開されている事実認定又は論理が合理的であってしかも丁寧に書いてあれば、仮に結論が当事者の期待する予想と相反したものであったとしても納得がゆく。当事者の考え方が浅かったということが分かるからである。その場合は、判決を不服として控訴することは、まずない。
　その逆に、重要な争点について、理由らしい理由も示すことなく、「こんなささいな事件に時間をかけている暇などない」と言わんばかりに、示すべき理由を省略して一方的な判断を下している判決には、素朴な反感を覚える。合理的理由も書かれていない判決に対しては、控訴して争うほかないという結論になる。
　私のささやかな個人的経験によれば、裁判官として一番充実した判決を書く確率が高いのは、やはり４０代から５０代の体力・気力・能力が揃った裁判官である。これに反し、３０代の裁判官の場合は、体力・気力はあっても能力的にまだ水準に達していないと疑われる場合がときどきある。
　では、６０代の裁判官の場合はどうか。壮年期と比べると一般的な体力・気力・能力が衰えているためか、あるいは年齢のせいで精緻な判決を書くことが面倒くさくなっているためか、判決理由を丁寧に書いていないものが一部にある。いわば、必要最小限の努力しか払わないという姿勢が透けて見えるものがある。当事者から、そのような芳しくない評価を受ける裁判官が一部に存在することは、まことに残念なことである。
　事故被害者からすれば、一生で一回あるかないかの判決が、そのような不適格裁判官によって下されることを、そのまま見過ごすわけにはゆかない。当然に控訴して争うことになる。ただし、事故被害者が経済的に困窮しているような場合には、本来であれば控訴をして争うべき事件であっても、早く賠償金を得たいという動機が働くため、控訴を見送ることも多々ある。
　自分の限界を悟った（あるいは周囲からそのような指摘を受けている）裁判官には、自ら引退を決意し、裁判官という重要な職責から身を引いてもらいたいものである。事故被害者の正当な権利を守るには、そうするほかないと考えるが、どうであろうか。
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2011/11/10.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">交通事故</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 21 Nov 2011 13:11:02 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>ＴＰＰには早期に参加すべきである</title>
         <description>  現在、我が国においては、ＴＰＰ(環太平洋パートナーシップ協定)に日本が参加をするべきか否かで国論が割れている。私は、早急に参加すべきであるという方針を支持する。理由はいろいろあり、新聞やテレビを見ても、参加に反対する論者の意見とこれに賛成する人々の意見が掲げられている。
　私の考える一番の理由とは、次のようなものである。仮に日本が今回ＴＰＰに参加しなくても、世界の大勢は、貿易についての関税をなるべく撤廃する方向に動いているということである。仮に原則関税撤廃の状況が現実のものとなった場合に、世界第３位の経済力を有する日本としては、自分だけが「我関せず」の一種の鎖国状態を継続することはできない。遅かれ早かれ、今回のＴＰＰに似た国際条約に加入することにならざるを得ない。
　しかし、そのときには「時、既に遅し」である。新参者である日本は、たとえ大きな不満があっても、既に確立された国際ルールに黙って従うほかないのである。ここに至っては、日本の意見を国際ルールに反映させることは、もはや不可能である。そのような未来像が現時点で十分予測できるのに、手をこまねいて何もせず、最悪の状況を迎えることは、国益に極めて反する。
あたかも早期癌の患者が、ただ「手術が怖い」という理由だけで、医師の勧める手術を受けることを拒否し、やがて末期癌に至って、むざむざ死を迎えるようなものである。
　そうならないためには、早期にＴＰＰに参加して、我が国の国益に少しでもプラスとなる内容の国際ルールを作る必要があるのである。
　ここで、農業関係者の反対運動をどう考えるのかという問題がある。農業団体が反対する理由は、「ＴＰＰに参加すれば、我が国農業は壊滅的打撃を受ける」という一点である。確かに、我が国の農業がそうなっては困る。日本の農業は守る必要があることはいうまでもない。
　しかし、「ＴＰＰに参加をすれば、農業が壊滅するという主張」は、これを冷静に考えた場合、「果たしてそうか？」という疑問が湧くのである。それは、仮に日本がＴＰＰに参加しなくても、我が国の農業は、現に農業従事者の高齢化が年々進んでおり、このままでは、今後１０年以内に、農業従事者数が、今よりもかなり減少し、それに伴って農業生産力も相当に低下する可能性が高いことが既に分かっているからである。
　したがって、日本がＴＰＰに参加しなくても、今のままでは、我が国農業は、衰退の一途を辿るほかないのである。他方、ＴＰＰに日本が参加することによって、輸入される農産物の価格は今よりも格段に低下し、現在、国際的に見ても高い食料費を払わされている国民の大多数(消費者)は、むしろ恩恵を受けることになる。余った食費をその他の物の購入にあてることができるからである。
　ところで、私は、我が国の農業が衰退してもよいと言っているのでは決してない。農業生産力を今後も今以上に発展させるためには、どうすべきか。まず、現在の、専業農家以外の兼業農家(アルバイト的農家)に対して所得補償をすることを止める必要がある。限られた農業予算しかないのであるから、その予算を専業農家に集中的に投入し、専業農家に対し現在よりも体力を付けさせる必要があるのである。また、農業を営もうとする法人が農地の利用権(賃借権ほかの権利を指す。)を取得しようとする場合、現在よりも容易にこれを取得できるよう、農地法を早急に改正する必要もあろう。
　反面、片手間に農業をやっているような兼業農家(その典型例は、例えば、昼間は公務員をやり、余暇は農業をやっている人々である。)は、今後は、必ずしも農業に従事してもらう必要はない。ただし、この政策を実行するには、民主党の政策を転換する必要がある。しかし、自分の党の所属議員を選挙で当選させて議員の数を増やし、国会において過半数を確保することだけを最大の目的としている昨今の民主党の基本方針の下では、上記の政策転換は無理であろう。
　話がややそれたが、今回の野田総理の方針表明に対し、野党各党は、いろいろな理屈を付けて野田総理の方針を批判している。しかし、これら批判のうち、まともな批判はほとんどない。野党であるから、反対のための反対をしているだけの話なのである。
　一方、与党議員にも反対者が多いようである。しかし、これらの反対者のうち筋金入りの本当の反対者がどれほどいるかは、不明である。これは推測であるが、反対者の多くは、次の選挙で支持団体からの支持票を失い、落選するのが怖いために一応のポーズをとっているだけではないのか？国会議員という恵まれた特権階級的身分(国会議員一人にかかる経費は、すべての経費を入れると、年間、一人１億２０００万円といわれている。)を失うのが嫌だ、というのが本当の理由ではないのか、と思われる。
　話を野党に戻す。野党のうち、自民党については、野党暮らしがそろそろ我慢できなくなってきたためか、党の幹部は、「国民に対する十分な説明がない」などと言ってＴＰＰの交渉に参加することを批判する。果たして本意か？おそらくは、野党であるため、政府の方針には何でも反対するというスタンスをとっているだけのことであろう。誠に情けないと言ってよい。仮に自民党の幹部が、大所高所に立って、我が国の国益を本当に尊重するのであれば、「ＴＰＰへの交渉に参加すると意思表明した野田総理の方針を支持する」と言わなければならない。こんな体たらくでは、自民党が、政権を民主党から奪い返す時期は、かなり先といってよかろう。
　話をまとめる。我が国は、至急、ＴＰＰに参加すべきであり、そのような方針をとることがベストの選択である。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2011/11/post_71.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">その他</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 14 Nov 2011 11:37:41 +0900</pubDate>
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         <title>姫野友美著「成功する人は缶コーヒーを飲まない」を読んで</title>
         <description>　最近は、年のせいか健康に関する本を読むことが多い。今回、紹介する本は、姫野友美という医師が書かれた本である。昔から、体が疲れたときには甘い物が効くといわれており、自分もそう信じていた。
　ところが、疲れたときには甘い物を食べるとよいというのは、必ずしも正しくないことであるらしい。どういうことかというと、甘い物を食べると、急激に血糖値が上がる。そのため、体は、急激に上がった血糖値を下げるために、膵臓からインスリン分泌して血糖値を下げようとする。そのため、低血糖症が引き起こされることになって、逆に疲労感や眠気が出て、仕事の能率が上がらなくなるということらしい。また、余りにも頻繁にインスリンが分泌されると、膵臓が疲れてやがてインスリンの分泌が悪くなるという弊害も起こるという。
　確かに、自分でも、過去に甘い物を大量に食べたときは、後で気分が悪くなった経験もあり、あれは、インスリンが一時的に大量に分泌された結果か、と分かった。
　ただし、甘い物を少しだけ摂取するのであれば、インスリンが大量に分泌されることもないはずであり、余り問題はないのではないかとも思った。
　また、この本によれば、脳に一番必要な栄養素はタンパク質であるとも書いてある。
その理由として、脳の乾燥重量の４０パーセントはタンパク質でできていること、また、脳を使う際に働く神経伝達物質にはタンパク質が必要であるということがあげられている。
　このタンパク質は、いうまでもなく３大栄養素のひとつである。３大栄養素とは、タンパク質、糖質及び脂質である。これらのうち、タンパク質の場合には、最小単位がアミノ酸となっており、必須アミノ酸と非必須アミノ酸に区分することができる。そのうち、必須アミノ酸は人体内で合成することができないため、必ず食物として外部から摂取する必要がある。必須アミノ酸は、動物性タンパク質に多く含まれるので、豚肉、牛肉、魚肉などを食べる必要がある。
　もちろん人間が社会生活を送るためには、米やパンなどの糖質をとる必要があることはいうまでもない。しかし、糖質の場合は、タンパク質と違って消化吸収が早いので、前述したように急激に血糖値を上げてしまうのである。また、余分に摂取した糖質は、インスリンの働きによって体内脂肪として蓄積されてしまう。これが、いわゆるメタボ症候群の原因となる。私も、この本を読んでからは、米や麺、あるいはパン類を食べ過ぎないように気を付けるようにしている。
　さらに、現代人は日々いろいろなストレスにさらされている。その場合、ストレスに対する抵抗力を高める対策として、野菜、果物を食べることが有効であるとされている。特に、ビタミンＣが重要な働きをする。このことは大方の人々が知っていることである。
　ただし、市販の野菜ジュースには余り効果を期待することはできず、やはり生が一番ということである。その理由として、野菜に含まれるビタミンやミネラルは、加工と同時にどんどん酸化して効果が薄れていくということが書かれている。
　確かに、町のスーパーには、手ごろな値段で多くの野菜ジュースが置かれているが、自分も、これらのジュースに、はたしてどれだけの有効な栄養素が含まれているか疑問に思ったことが、過去にもあった。値段は高くなるが、生のものを食べるのが一番のようである。
　　　　　　　　</description>
         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2011/10/post_70.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">その他</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Oct 2011 13:26:50 +0900</pubDate>
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         <title>農地法セミナーを終えて</title>
         <description> 　１０月３日・４日と日本経営協会東京本部で農地法セミナーの講師を務めた。日本経営協会の農地法セミナー講師は、いままで関西本部(大阪)と中部本部(名古屋)で毎年務めていた。しかし、今回の東京本部でのセミナー講師は初めてであった。
　参加者は、関東地方を中心に、東日本の自治体の方々が大半であった。全部で２７名の実務担当者の方々が出席された。他の本部の場合も全く同じであるが、セミナーの時間は、１日目が４時間、２日目が５時間である。講師を務める自分としては、２日目の午後になると、それまでに話した疲労感が溜まって、相当に喉に負担がかかってくる。
やや大変な作業であるが、世の為、人の為と考えて話をしている。
　私の場合は、「難解な農地法の話をなるべく分かりやすく話す」ということに力点を置いている。したがって、縦板に水を流すというふうにはいかない。いくら講師の方が矢継ぎ早に話をしても、それを聴いている受講生が話の内容を理解できないということでは、何にもならない。
　セミナーを成功させるに当たり重要なものとなるのが、セミナーに使用するテキストである。セミナーで使用したテキストは、私自身が執筆した「農地法読本」（大成出版社。２８００円）である。この本は、私が今までに執筆した農地法の本を参考にして、より分かりやすく書き下ろしたものである（執筆に半年かかった）。今回の本は、大き目の活字を使用し、また、頁数も３００頁以内となっており、明快な説明と相まって非常に読みやすい本に仕上がっている。
　今回のセミナーに参加された方々からは多くの質問が出された。今回のセミナーは、農地法について万遍なく解説するという趣旨で開催されている以上、すべての質問に対し、丁寧に時間をかけて答えることはできないのが残念であった（仮に、詳しく説明を受けたいという希望がある場合は、別途、有料の法律相談を受けていただくのが筋である）。
　なお、１０月２５日・２６と、大阪で、日本経営協会関西本部主催の農地法セミナーが開催される。興味のある方は是非参加されてはいかがであろうか。
　


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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">農地法</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 05 Oct 2011 16:57:43 +0900</pubDate>
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         <title>山田吉彦著「日本国境戦争」を読んで</title>
         <description>　山田吉彦著「日本国境戦争」(ソフトバンク新書)を読んでみた。この本の著者である山田吉彦氏は、現在、東海大学海洋学部教授である。氏は、海洋政策、海洋安全保障、国境問題の専門家である。
　ちょうど１年前の９月に、日本固有の領土である尖閣諸島で、中国の漁船が領海侵犯を犯し、その取締に当たった海上保安庁の巡視船に故意に衝突してきたという事件が起こった。その後の経緯は、いまだ多くの国民の記憶に新しい。
　山田氏によれば、この事件の以前からも、中国は、大量の漁船団を組んで、尖閣諸島の海域に送り込んでいたという。８月には１日で２７０隻、事件が起こった日には、１日で１６０隻もの漁船団を尖閣諸島に送り込んでいた。そのうち、３０隻が領海侵犯を行ったのであるが、その３０隻のうちの１隻が、海上保安庁の巡視船に故意に衝突してきたのである。
　私は、この本を読んで驚いた。１隻の漁船がたまたま衝突してきたのではなく、中国政府が仕掛けた大漁船団が徒党を組んで、尖閣諸島に押し寄せ、３０隻が我が国の領海を侵犯し、そのうちの１隻が衝突してきたということを初めて知ったからである。偶然に１隻の漁船が衝突してきたという事件ではなかったのである。
　ここで、なぜ中国は、漁船団を組んで他国の領海を侵犯するのかという疑問が湧く。山田氏は、その理由について、日本が主張している尖閣諸島の我が国の領海内で騒ぎを故意に起こすことによって、領土問題が存在することを国際社会に認識させるという点があげられている。
　そして、山田氏は、中国政府は、漁船の船長が逮捕されることをむしろ望んでいたと分析する。なぜなら、中国人船長が逮捕され身柄を拘束されたことで、日本に対し、言いがかりを付ける大義名分が出来るためである（ちょうど、悪知恵にたけた暴力団が、善良な市民に対し、ささいなことをネタに因縁をつける構図と全く同様である。）。
　ところが、日本政府は、違法行為を犯した船長を、なんと釈放してしまった。法治国家としては考えられない大失態を犯した。なぜそのようなおかしな対応を取ったのかは不明であるが、ちょうどその頃、横浜で開催がされることが決まっていたＡＰＥＣ首脳会議を成功させるという目的が、釈放の大きな要因をなしていたことはほぼ間違いない。
　そして、菅総理は、ＡＰＥＣ首脳会議において、中国の胡錦濤国家主席と会談した際に、顔を上げることなく下を向いたまま原稿を棒読みし、かたや胡錦濤は菅首相の顔を凝視するという、おかしな光景が生じたのである。しかし、このような菅政権の延命という小さな目的のために、我が国の国家主権を放棄するかのごとき愚行を犯した罪は重い。当時の民主党の政権幹部の認識が、いかに間違ったものであったかを露呈したといえよう。
　また、民主党政府が、衝突ビデオを国民の目に触れないようにしようと試みたことは大きな間違いであって、これには弁解の余地はない。しかし、幸いにも、勇気ある一海上保安官がビデオを国民に見せてくれたことで、日本国民は、中国人船長のやりたい放題の無法行為をこの目で確認することができた。
　そのほかに山田氏は、東シナ海のガス田の協議の問題や、２００４年に発生した中国の原子力潜水艦の我が国領海侵犯をも取り上げる。
　前者については、東シナ海のガス田開発については、最初から余り採算がとれないということが分かっていたのであるから、日中中間線の西側(中国側)で、中国が開発をしたいというのであれば、勝手にさせておけば済む問題だったとする。仮に、採算ベースに乗るのであれば、中間線の東側(日本側)において、日本独自で開発を進めればよいだけの話であるとする。私もこれに賛成する。
　日中共同開発というような試みは、うまくいくはずがない。相手は、嘘、ゴマカシ、裏切り、強迫、謀略など何でもありの一党独裁の国家なのであるから、仮に日本が武士道精神にのっとり、紳士的な態度をとっても、中国を利するだけの結果で終わる可能性が高いからである。
　後者については、国際法上、他国の潜水艦が他国の領海を通過する場合には、必ず海上に姿を現した状態で航行する必要がある（これを無害通航権という）。
　ところが、２００４年、中国は、原子力潜水艦を、石垣島と多良間島の間を、水面下１００メートルを保ったまま（要するに潜航したまま）、我が国の領海を通過させたのである。このような行為は、国際法に反する違法行為であって、普通であれば撃沈されても文句はいえないのである。このときも、日本は、何もしなかった。このような行為を、仮にアメリカやロシアの領海で行っていたら、宣戦布告に近い行為がされたものと判断されて、撃沈されていた可能性が高いとする。私も同様の考え方である。
　山田氏の本には、そのほかにもいろいろと有益な情報が記載されている。私としては、国民の皆さんに対し、本書を広くお勧めしたいと考える。
　我が国は、海で囲まれているため、国民は、国境線の存在を明確に意識することが少ない。それだけに、中国のような国家の権益を海洋に拡大しようとしている意図が明白な国家が隣接している以上、日本としても、これに対する警戒感をより高めておく必要が是非ともあると考える。
　具体論については、次回に譲る。
								　　　　</description>
         <link>http://www.miyazaki-law-office.jp/blog/2011/09/post_68.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 15 Sep 2011 10:32:31 +0900</pubDate>
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