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弁護士日記

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ゴーン被告が逃げた

2019年12月31日

 2019年の12月31日、日産自動車の元会長であるゴーン被告が不正な手段を使って故郷のレバノンに逃げたことが分かった。
 報道によれば、偽のパスポートを使って出入国管理当局の担当者を騙し、プライベートジェット機に乗って海外(レバノン)に逃亡することに成功したらしい。
 国際空港が年末の忙しい時期を迎えたことを利用しての計画j的犯行であって、実に悪質である。ゴーンは、本日、日本の司法制度を批判する声明を出したが、ゴーンのような汚い手を使って国外逃亡を図った者には、そのような批判をする資格などない。こんな卑劣な男が日産自動車で権力をふるっていたのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
 以上のような事実関係を踏まえ、将来、どのような問題が発生するかについて、私の予想を述べる。
 第1に、レバノンに逃げた理由であるが、ゴーンの国籍がある国であるから、地球上において逃亡先としては一番適している。また、日本とレバノンの間には、犯罪人引渡条約が締結されていないため、日本が、ゴーンが被告人であるという理由で、引渡しを求めても、レバノン政府がこれを拒否した場合、事実上、引渡しは不可能となる。つまり、ゴーンは、終生、レバノンで安穏な生活を送ることができる。
 第2に、2020年の4月に始まるとされている公判つまり刑事裁判は、そもそもゴーン被告が再び日本に戻って来ることは考えられないため、裁判所としては、被告不在のまま開廷することを決めるのかどうか見ものである。もちろん、刑事訴訟法上、一定以上の重い罪(公訴事実)については、被告不在で審理を進めることができない。今回、裁判所がどのような判断を示すか、注目される。
 第3に、なぜ偽造のパスポートであることを出入国の管理担当職員が見破ることができなかったのかという疑問がある。年末時期に出国をしようとする大勢の旅行客がいたという事情もあって、審査が普段よりも緩くなっていた、あるいは杜撰になっていたのではなかろうか。しかし、「絶対にあってはならない」ことが起きてしまったのである。
 ゴーンが出国したのが、羽田か成田かは分からないが、出入国管理当局の幹部は、ゴーンが偽のパスポートを用意して出国を図ることまで、念頭に置いて警戒し、末端の担当者に対し、特段の注意を払うように指示を出しておくべきであった。私が仮に出入国管理の責任者であったとしたら、ゴーンの顔写真を特別に作って、この顔には特に注意するよう指示を出していたであろう。実に残念である。警戒を怠ったと推測される出入国管理を司る幹部職員の責任は極めて重大であり、単なる戒告程度では済まないであろう(辞職もあり得る)。
 第4に、弁護人の責任である。弘中弁護士は、刑事弁護人として保釈がとれるよう、いろいろと条件を工夫して裁判所に示し、結果、保釈が裁判官によって認められた。ところが、依頼人であるゴーン被告が海外に違法な手段を使って逃げてしまった。
 刑事弁護人にとって、これは全く想定外のことであったであろう。逃亡を図ったこと自体は、ゴーンが全責任を負うべきである。しかし、逃げられてしまったという結果責任について、今後、同人の弁護人である弘中弁護士がどのようなコメントを出すのか注目される。「自分も驚いている」という程度のコメントでは終わって欲しくないものである。
 第5に、保釈を許可した裁判所の責任である。裁判所つまり裁判官としては、刑事訴訟法に従って保釈を適法に出したということであり、今のところ違法問題は生じないであろう。
 しかし、昨今、保釈を出した被告が逃亡してしまうという事件が何件か起きている。このような事態が起こっても、裁判官は、自分の行った判決とか決定には一切法的責任を問われない。ある意味、「無責任」な仕事である。これは「司法権の独立」という憲法上の大原則から来ていると解してよい。
 今後の対策であるが、保釈自体を厳格に審査するという方法もあろうが、それに代わって、保釈保証金を今の2倍程度に増額するとか、あるいは保釈中に逃亡した場合は、刑が加重されるよう法改正を行い、今後は、保釈中の逃亡を絶対に許さないという制度を早急に構築すべきである。

日時:14:35|この記事のページ

日韓首脳会談など有害無益である

2019年12月22日

 本日(22日)の産経新聞によると、安倍首相は、今月24日に中国の成都で開催される日中韓サミットに参加し、24日には韓国大統領の文(ムン)と個別に会談する予定であるという。
 外務省の官僚は、一体何を目的としてそのような無意味な会談を設定したのか?識者の大方の見方は、安倍首相は、韓国の大法院(最高裁判所)が下した、いわゆる徴用工判決から生じた重大な問題の解決を文(ムン)に要求するためということらしい。
 しかし、安倍首相がいくら国際法理論に則った解決を文(ムン)に求めても、文(ムン)は全くこれを理解しようとしないであろうと私は予想する。「聞く耳を持たない」ということである。つまり、私の予想は、文(ムン)が、安倍首相の注文を多少なりとも受け入れる可能性は皆無である、ということである。そのような確度の高い予測が現時点で立てられている以上、安倍首相は、文(ムン)と個別会談をしてはいけない。
 詳しい理由は以下のとおりである。
 第1に、韓国の大法院が日本企業に対し慰謝料の支払いを命じた根拠は、日韓併合が違法であるという理屈が大前提となっている。違法な併合を原因として、いわゆる徴用工が日本に召集され、精神的な苦痛を受けた。その慰謝料を払えというものである。そして、韓国の大法院の理解によれば、この慰謝料は、日韓請求権協定で解決済みの「損害」には入っていない、だから現時点でも慰謝料については請求が可能であるというデタラメの理屈をとっている。
 しかし、日韓条約の締結つまり日韓請求権協定を双方の国が結んだ時点で、日本が韓国に支払うべき賠償金には、あらゆる損害が含まれていると解するのが普通の国際常識であり、また一般人の感覚でもある。いかに韓国の裁判所が低レベルであるかを示している。問題外の人間が裁判官を務めているのである。
 例えば、交通事故によって人身被害を受けた者が、加害者に対し損害賠償請求をする場合、休業損害や治療費のような財産的損害が含まれるのは当たり前として、精神的苦痛を受けたことによる慰謝料(例えば、入院期間中、痛みによる苦痛受けたことによる慰謝料)が含まれることも当たり前の話である。もちろん、被害者において、特に慰謝料は請求しないという態度をとることも適法であるが、示談書に調印する場合、原則として、そのことによって決まった賠償金を支払えば、全ての損害の賠償が完了したことになる。後になって、慰謝料の請求をし忘れたので、あらためて請求するということはできない。
 さらに、不法行為による賠償請求権には消滅時効があり、これまでの旧民法では、損害の発生と加害者を認識したときから3年で時効消滅するとされていた(旧民法724条)。どの国にも消滅時効制度はあるはずであり、韓国だけが例外という話は聞いたことがない。
 消滅時効制度があることによって、人々や企業は、大昔の事件・事故を理由に他人から突然損害賠償の請求を受けることを心配しなくても済む。つまり、社会の安定につながるということである。
 第2に、文(ムン)は、もともと独裁者キム・ジョンウンが支配する北朝鮮と融和を図り、できれば北朝鮮と統一国家を作ろうと考えている人間である。腹の中は、完全な反日人間である。反日人間とは、分かりやすく表現すれば、日本にとって不幸なこと、また日本にとって不利益なことが起こると、それだけで嬉しいという人間である。ここでの重要点は、世界中の国のうちで、日本だけに悪意を感じるという点である。ここで、韓国民は従来から北朝鮮に対しても激しい敵意を感じていたのではないのかという指摘が出よう。確かに、いままではそうであった。
 しかし、文(ムン)およびその取り巻きの連中、つまり政権の中枢部は、北朝鮮に対する警戒を緩め、むしろ北朝鮮と友好関係を結ぼうと考えている。半面、今や日本は対抗すべき国であり、友好国でも何でもないという認識である。
 この認識に立つ限り、安倍首相が、いくら文(ムン)に対し、「請求権協定違反の状況、つまり国際法違反の状態の是正」を求めても、骨の髄から反日思想に毒されている文(ムン)が、これを受け入れるはずがないのである。
 来年2020年の半島情勢について、簡単に私の予想を示す。
(1) 北朝鮮は、わが国に対し、中距離弾道ミサイルを発射し、その弾道ミサイルは、場合によってはわが国の領海又は領土に落下し、結果として人的・物的被害が出る可能性がある。安倍首相は、「極めて遺憾である。断じて許さない」との声明を発するが、これに呼応して米軍が直ちに北朝鮮に対し反撃つまり限定的軍事行動を起こすか否かは、米国次第である。何もしない可能性もある。
 我が国としては、自衛のために自衛隊の出動も当然あってしかるべきであるが、声高に「他国の領土・領海・領空に侵攻し、他国を攻撃することは自衛の範囲を超え、憲法違反である」と繰り返す左翼政党の執拗な妨害に遭って、政府としては、迅速な対応は難しいであろう。しかし、多くの国民から、「野党は一体誰の味方なのか?」という強い批判が巻き起こり、自衛隊の出動に目途が立つ可能性がある。
 わが国の左翼政党は、これまでも「平和憲法を守れ」というスローガンを掲げてきたが、この事態を迎えた日本国民は、このキャッチフレーズが全く無意味であることを知るに至る。
 なぜなら、キム・ジョンウンにとっては、日本国憲法9条などどうでもよい存在であり、またキム・ジョンウンが他国(日本)の憲法9条に拘束される理由は一切ないからである。
 つまり、日本国憲法憲法9条は、国際秩序に違反することを何とも思わない不良国家による、わが国への侵略又は攻撃を防止する効果など皆無であることが白日の下にさらされる。「平和憲法を守れ」という空疎なうたい文句は、わが国の安全と平和維持には全く効果がないことが分かる。戦後から続いた間違った教育によって、勘違いさせられてきた国民も、やっと目が覚めることになる。
(2) 韓国は、これまで以上に反日姿勢を強めるであろう。ただし、文(ムン)が大統領の地位にとどまっていることが条件となる。また、いわゆる徴用工判決に基づき日本企業の財産を差し押さえる事態が現実のものとなり、日韓関係は次第に国交断絶に向かう。
 仮に、前記の弾道ミサイルが発射された場合、米国が北朝鮮に対し限定的攻撃を決意した場合、文(ムン)は、自国(韓国)には被害が発生していないことを理由として、米軍に協力しない姿勢を示す可能性があり、その場合、米韓同盟は終焉する。
(3) 以上のことが現に起これば、もちろん東京オリンピックは開催が中止となる。
 以上のような事態にならないようにするためには、不断の努力によってわが国の防衛力を格段に強化してゆく必要がある。つまり、軍事的な抑止力を高めておけばおくほど、北朝鮮の独裁者がバカな考えを起こす危険性はより低下する、つまり日本が安全になるということである。独裁者のキム・ジョンウンとて、自国が壊滅する戦争はしたくないと考えているはずだからである。

日時:15:53|この記事のページ

岐阜新聞「分水嶺」に問う

2019年12月17日

 本日(12月17日)の岐阜新聞1面「分水嶺」を読んでいたら、NHKの大河ドラマ「いだてん」の視聴率について最低平均視聴率を記録したことについて触れられていた。私は、このドラマは最初の頃、数回にわたって数分間ずつ見たが、全く面白くないため、以後、一切見ていなかった。
 同紙24面に細かい記録が出ているが、全47回の平均視聴率で「初めての1桁台を記録した」と報道されていることから、大河ドラマ始まって以来のワーストワンを記録したということになる(関東で8.2%、名古屋で7.9%、関西で7.1%)。
 これが民放であれば、視聴率の低迷を理由に開始数か月で打ち切りになるところであるが、製作者が金満体質のNHKであるため、最終回まで放送されたのであろう。マラソンに例えれば、ふらふらの状態で42.195キロを走り切ったということか。NHKに対しては、今後は、国民から徴収した受信料を無駄使いしないようクギを刺しておきたい。
 さて、本日の岐阜新聞の「分水嶺」は、安倍政権が長期にわたって続いていることを批判的に見た上で、安倍内閣の閣僚について疑惑が生じたり、桜を見る会をめぐって問題が発覚したことに触れた上で、「改憲にこだわる自民党総裁の任期を延ばす動きに付き合わされるのは迷惑千万だ」と結ぶ。
 この意見を書いた人物に問いたい。どうしてこのような結論になるのか、よく分からないからである。
 「改憲にこだわる自民党総裁」とは安倍晋三総理個人を指しているのか?あるいは、「改憲にこだわる自民党」の総裁一般を指しているのか?「分水嶺」を書いた人物が安倍内閣を批判しているという文脈から解釈すると、前者となる。
 そうすると、この人物は、安倍晋三総理個人の任期を延ばすことには反対しているということになる。
 ところで、この人物は、わざわざ「改憲にこだわる」という文言を付加していることから、憲法改正に反対する立場をとっていることが推測される。なぜなら、安倍内閣の閣僚の不祥事などを問題視したいだけであれば、「改憲にこだわる」という文言を付け加える必要ないからである。
 すると、この人物が言う「改憲」とは具体的に何を指すのかという問題が生じる。合理的に考える限り、憲法9条2項に行きつく。要するに、この人物は、憲法9条2項の改正には賛成できないという思想の持主であることが推測される。政治的には、左派政党の主張と同じということである。
 ここで、私はこの人物に質問する。この人物は、新聞紙という極めて公的な役割を担う手段を通じて自分の意見を述べ、かつ、それを世間に拡散しようとしているのであるから、自分の意見を発信する以上は、その内容について責任を持つべきであると考えられるからである。
 質問1 本日の分水嶺を書いた人物は、日本国憲法の全体について、ひととおり勉強したことがあるのか?
 質問2 憲法9条2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と規定する。この条文に関する日本国政府の見解つまり憲法解釈とは、9条2項が禁ずる「戦力」とは「自衛のための必要最小限度を超えるもの」であり、自衛のための実力つまり「自衛力」を保持することは認められるというものである(佐藤功著「日本国憲法概説全訂第3版」86頁参照)。
 政府見解も、かなり無理をして憲法解釈をしているが、その原因は、憲法の条文が最初から間違っていることから来ている。およそ、自国を守る軍事力を備えない国家など地球上にはないのである(一部に軍隊を持たない国があるではないかという反論をする者がいるが、そのような国家はそもそも侵略に値しない国家か、または合理的に考えて他国が侵略する可能性を想定することができない環境下にある国であり、そのような国を例に挙げるのは、全く不当である。)。
 仮に無理を重ねた政府見解を支持した場合、この見解によっても、日本国防衛のための自衛力を認める立場にあることは明らかである。一口に「自衛力」と言っても、具体的には、その自衛力を行使する国家機関が必要となるわけである。
 自民党の見解が最終的にどのようなものとなるかは知らないが、自衛力を組織的・効率的・合憲的に行使するために、現に「自衛隊」がある。その自衛隊を憲法9条2項に明記するという方向が現時点における安倍内閣の方針と聞く。であれば、憲法9条2項に自衛隊の存在を認めるための憲法改正は全く問題がないことになる。換言すると、自衛隊という実力組織の存在を憲法に明記しておく必要があるのである。
 これに対し、立憲民主党などの野党は、今のままの状態でも何ら支障がないのであるから、自衛隊を明記するための憲法改正には反対するという立場をとっている。しかし、この立場は、憲法を無理に解釈した結果として生じた、いわゆる「解釈改憲」を是認するという立場であり、到底支持できない。現実を直視しようとしない「事なかれ主義」ではダメなのである。
 法律というものは、時代の変化に伴って条文が改正されるのが当たり前のことである。その典型例が税法である。税法は毎年のように改正されている。国民生活に深く関与する民法ですら、現状に適合させるべく、近時、大幅な改正が実現している。
 憲法も法規範の一種であり、時代の変化に合わせて改正を行う必要がある。「イスラム法典」のような宗教上の教義を規定したものではないのである。まして、日本国憲法は、建前はともかく、実質はアメリカが日本の弱体化を狙って制定するよう日本に押し付けたものであり、このような最初から間違った憲法は、本来であれば、昭和40年~50年の時代に改正を済ませておくべきものであった。
 私の理想は、憲法9条2項は「日本国民の平和と安全を保持するため、わが国は陸海空軍を保持する」という内容である。
 一体、岐阜新聞の「分水嶺」を書いた人物は、憲法9条2項について、あるいは世界情勢についてどのような考え方を持っているのか、本人から、じっくりと話を聴いてみたいものである。

 

 

 

日時:11:43|この記事のページ

サミュエル・ハンチントン著「文明の衝突と21世紀の日本」を読んで

2019年12月13日

 サミュエル・ハンチントン著「文明の衝突と21世紀の日本」(集英社新書)を読んだ。
 この本に書かれた内容は、2000年以前に発表されているものであるが、おおよそ20年を経過した今日の状況を的確に言い表わしているという意味で、非常に深い内容を含んでいると評価できる。
 ハーバード大学の政治学の教授である著者は、「文明」というものに着眼する。
 著者によれば、世界の文明は、おおよそ7つのものに分けられる(24頁)。西欧文明(ヨーロッパ諸国や米国など)、東方正教会文明(ロシアなど)、中華文明(中国、台湾、朝鮮半島など)、日本文明(日本のみ)、イスラム文明(イスラム諸国)、ヒンドゥー文明(インドなど)、ラテンアメリカ文明(南米諸国など)である。人によってはアフリカ文明も加えられるが、多くの学者はこれを認めることには否定的である(124頁)。
 著者は、文明とは文化の総体であり、文化を拡大したものであるという認識を示す(106頁)。そして、文明は、人を文化的に分類する最上位のカテゴリーであり、また、文化的アイデンティティーの最も広いレベルを構成していると言う(111頁)。具体的に言えば、言語、歴史、宗教、社会制度を共通とする概念である。
 著者は、これからの世界は「文明の衝突」の時代に入ると予言する。つまり、同じ文明に属する国々と、異なる文明に属する国々の間で衝突が起きると言う。また、異なる文明に属する国同士の間には緊密な盟友関係は生じないであろうと分析する。
 現実を見ても、日本と中華文明に属する韓国との間では、今後も、真の友好関係は生じないであろう。他方、韓国と北朝鮮は、政治体制は全く異なるが、文明は共通している。数十年後には、統一国家になっている可能性がある(ただし、一国二制度の国)。
 では、中華文明の元祖とも言い得る中国とわが国の関係はどうか。
 私は、極めて否定的である。理由は簡単である。今の中国という国は、かつての「中華の夢」を実現しようとして、周辺国に対し武力の行使をすることも全くいとわない国であり、到底、このような人権無視の共産党独裁国家との同盟など考えられないからである。
 すると、わが国は、西欧文明に属する米国との同盟を今後も維持・発展させる以外にないという結論となる。ここで、先に述べた「異なる文明に属する国同士の間には緊密な盟友関係は生じない」という公式と矛盾するのではないかという疑問が湧く。
 日本の場合は、日本という一国だけで文明を構成しているため、同じ日本文明を有する外国が存在しないという特殊事情がある。そのため、たとえ文明が異なっても、最低限、三権分立、人権尊重および民主主義を堅持する国を選んで、その国と同盟せざるを得ないわけである。その相手方が、現時点で世界でナンバーワンの国力を保有する米国ということである。この選択は、已む得ないであろう。少なくとも、他国無視の強権国家である中国と組むよりは、1000倍もマシである。
 来年、中国の習近平が国賓として来日し、天皇陛下と会うという計画が進んでいる。安倍首相が何を目論んでいるのかは知らないが、日本にとっては、歴史的な愚行であると言う以外にない。このようなことは、あってはならないのである。
 世界の鼻つまみ者となっている独裁国の中国を応援するようなバカげた真似は絶対にしてはいけない。仮にこのまま計画が進み、来年の春に、皇居で天皇陛下が独裁国家の首領である習近平と会われるようなことがあったら、末代まで、安倍首相に対する批判が続くであろう。
 歴史的な汚点を残さないようにするため、今からでも遅くないので、計画を見直すべきである。

日時:18:41|この記事のページ

専門バカの刑事裁判官は要らない

2019年12月06日

 最近の刑事事件の判決を見ていると、「専門バカ」という言葉が想起される。
 専門バカとは、専門領域については一般人を寄せ付けない高度の理論や経験があるが、世事については疎い、あるいは大局的見地に立って妥当な結論を出すことができない困った人物を指すようである。
 熊谷6人殺害事件において、東京高裁刑事部の大熊裁判長は、12月6日、既にペルー人被告を死刑とした、さいたま地裁判決を破棄し、あらためて無期懲役刑とした。大熊裁判長は、死刑を無期刑に減刑した理由として、被告は犯行当時、心神耗弱状態にあったという理由をあげた(刑39条2項)。
 刑法の条文にそう書いてあるから、減刑したまでのことであるということらしい。司法の判断は恣意的なものであってはならないから、裁判官としては、刑法の条文に従う義務があることはそのとおりである。
 ただし、ここで見逃せないのは、大熊裁判長が、精神鑑定の結果の評価を問題にしている点である。
 被告が心身耗弱状態にあったのかどうかという点は、どのような証拠をもってその事実を認定したのかという問題と深く関連する。一審のさいたま地裁は、ペルー人被告に完全な責任能力を認めたのである。ここで、上記の精神鑑定の結果が非常に大きな意味を持ってくる。
 精神鑑定書に対する東京高裁と、さいたま地裁の評価が異なったため、東京高裁では心身耗弱が認められ、片やさいたま地裁では完全な刑事責任能力があったと認められたのである。
 ここで、二つの問題がある。一つは、精神鑑定の結果が事実を正確に評価したものと言えるか否かである。この点は、実物を見ていないため、意見を述べることは不可能である。
 二つ目の問題は、精神鑑定書の評価をする主体が違うという点である。東京高裁は、3人の裁判官だけで評価している。ところが、さいたま地裁では、裁判員裁判であったため、9人という多くの人数の評価によって結論が出ている。
 では、いずれを尊重するべきか。私は、市民の感覚が取り入れられたさいたま地裁の判決を支持する。東京高裁の3人の裁判官は、「俺たちはプロだ。法律の素人に何が分かる」と内心考えているのかどうかは、私には不明である。
 しかし、仮にそのように考えているとしたら、唯我独尊的な間違った姿勢であるという以外にない。ここで冒頭に述べた「専門バカ」と同じである。
 3人の評価と、9人の評価では、後者の方が客観性が高い。また、市民感覚を判決内容に取り入れることもできる。司法機関も国家機関の一部であり、その究極的な目的とは、法秩序を維持することによって国民の自由を保障し、また、国民生活の安定を促進することである。何も司法権のために国民が存在するわけではない。あくまで主人は国民であり、司法機関はその下僕にすぎない。
 ところが、少なからぬ刑事裁判官は、その基本を忘れているようである。具体的に言えば、最高裁が1983年に示した「永山基準」なる「言い伝え」または「伝承」に、事実上縛られている。
 永山基準は、法律でもなければ、政省令でもない。まして最高裁規則でもない。単なる事実上の言い伝えにすぎない。しかし、永山基準に抵触した判決は、最終的に最高裁が認めないので、下級審裁判官としては、永山基準に抵触しないように自己規制をしているわけである。
 我が国では、こんなバカげたことが長年にわたって続いている。今回の東京高裁のおかしな判決も、死刑を極力避けようとする永山基準の影響を受けたものではないかと、私は睨んでいる。つまり、「死刑はなるべく回避したい。では、心身耗弱という理由を付けておくか。よし、これでいこう」ということではないのか。
 もちろん、今回の東京高裁の判決に関する限り、ここに記述した内容は、私の推測にすぎない。しかし、そのように考えると、辻褄が合うということである。
 最後に、この事件では6人が無残にも殺害された。何らの落ち度もない被害者が6人もペルー人被告によって殺されたのである。これは実に残虐なことである。普通に考えれば、この男を死刑に処することは100パーセント正しいということである。
 ところが、今回のように無期懲役刑になった場合、服役者が後日刑務所から出てくる可能性がある。これはいかにもおかしい。
 そこで、国会は、刑法を改正し、「終身刑」という刑罰を付け加えるべきである。終身刑は、文字通り、刑務所で死ぬまで服役するという制度である。途中で釈放されることはない。最高裁がどうしても永山基準を墨守するというのであれば、立法府である国会の方で、刑法を改正し、終身刑を新たに制度化するべきである。
 野党は、「桜を見る会」などという些末な問題に関わっている暇があるのであれば、刑法改正の問題を研究し、立法を行う方針を固めて、次の総選挙に臨むべきである。そうすれば、国民の多数の支持を受けられる可能性がある。与野党逆転の可能性もないわけではない。
 法律が変わってしまえば、プライドだけが高い刑事裁判官もこれに粛々と従う以外にないのである。まさに国民の下僕であることを知ることになる。

日時:13:15|この記事のページ

小5たかり事件と教育委員会のおかしな対応

2019年12月03日

 昨日(2日)のニュースを見ていたら、名古屋市の公立小学校で、5年生の児童が、同級生6人からたかりを受け、20万円を奪われたという事件があり、名古屋市教育委員会が記者会見で謝罪している姿を放送していた。
 ここで、私は違和感を覚えた。報道では「いじめ」という表現を使っていたが、果たしてこのような表現で正しいか。刑法249条1項は、「人を恐喝して財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する」と規定する。
 ここでいう「恐喝」とは、被害者を畏怖させて財物を交付させる行為を指す。例えば、他人の犯行現場をたまたま目撃した者が、「警察には黙っていてやるから、口止め料として100万円よこせ」と告げたような場合がこれに当たる。
 今回、被害に遭った児童は、同級生6人から「お金を持ってこないとのけ者にする」などと告げられたという。大人が普通に考えると、そんなことで、子供が畏怖するはずがないと思うかもしれないが、状況次第では、十分に被害児童を畏怖させる効果があったと考えられる。そうすると、加害児童6人の行為は、恐喝罪に当たる可能性を排除できない。
 つまり、ニュースでいう「いじめ」というものでは説明できない可能性がある。また、一般論として考えても、他人から金銭を奪うという行為は、極めて悪質なものということができる。
 6人の悪童には徹底した指導と教育が必要である。単に、被害者に謝ったら、それで許されるなどと考えていたら、甘い。奪ったお金を返済することは当然であるが、精神的苦痛を受けた慰謝料として60万円程度の賠償金を6人が連帯して支払う必要があるのではないか。
 仮に賠償金を支払うのが嫌だという態度を示した場合、行動で反省の態度で示してもらう必要がある。6人は、学校の運動場に出て、全校児童が見ている前で、被害児童に対し、謝るべきである。これくらいの罰を与えないと、悪童は、将来、本当の悪党になる危険がある。
 問題は、名古屋市の教育委員会が、本年10月上旬に異変に気が付いた被害児童の保護者から学校に連絡があり、さらに学校から報告を受けたにもかかわらず、いじめ防止対策推進法でいう「重大事案」に該当するとの認定を行ってこなかったことにある。
 普通に考えれば、重大事案に当たることは容易に判定できるのである。それを12月2日に至るまで放置してきた名古屋市教育委員会の怠慢は、重大な失態に当たる。
 いつものことであるが、なぜ教育委員会は、こうも「とろい」のか?
 原因はいろいろあろうが、教育委員会に勤務する人的要素が、大いに関係していると考える。つまり、教育委員会には、教職員以外の一般職員も配置されているであろうが、おそらく主体は教員上がりの職員ではなかろうか。教員という職種は、学校という閉鎖された環境で、20代から60すぎの定年時までの長い期間を過ごす。大人は教員だけであり、教える対象は全員が未成年者である。
 ということは、学校の教員は、外部の普通の大人との厳しい切磋琢磨の機会が全く与えられていないということであり、いわば「井の中の蛙」のような存在である。しかも、いつも「先生」、「先生」と呼ばれている環境下にあるため、いつまでたっても、成長できない。
 教員は、そういう環境に置かれているため、世間の一般の大人の常識や知恵が、なかなか身につかないという結果になっているのではないだろうか。
 教育委員会の体質を変えることは、問題の本質が構造的な原因から出ているため、容易ではないが、例えば、人事異動の際に、教員を、一般職の部局(市長部局または知事部局)に異動させて、世間の常識を学んでもらうという方法がある。
 例えば、小学校の教員歴8年、30歳の若手を、定期人事異動によって、市役所の徴収課に移動させ、世の中の厳しい風に当てるのである。数年間でよいから、そのような環境下で過ごさせれば、事なかれ主義に固まったおかしな物の考え方が、多少なりともまともな方向に変化することを期待できよう。

 

日時:15:47|この記事のページ

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