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専守防衛論の欺瞞

2020年06月30日

 中国という共産主義が支配する全体主義国家は、近時、ますますその野望をあらわにしてきた。今日、わが国の防衛をどうするかという問題から、何人も逃げることはできなくなっている。つまり、「自分は関係ない」と高を括るような態度をとることはできなくなっている。
 なぜなら、武漢ウイルスによる被害を軽く上回る甚大な被害が、中国による尖閣諸島侵攻を契機に生ずる可能性が高いからである。ただし、そのような深刻な事態が起こるのは、今年か来年かは分からない。仮にそのような事態が発生した場合、戦争が始まるのであるから、オリンピックどころではなくなる。日本は戦時体制に突入する。
 その場合、わが国が自由民主主義体制を維持し、今後も平和国家として存続するためには、共産主義中国の、どす黒い野望を打ち砕く必要がある。その場合、具体的には、中国の侵略行為を未然に防止する、つまり全体主義国家である中国が、わが国への侵略を断念するというシナリオが一番望ましい。
 そのような結果を導くためには、どうしたら良いのか?この点は熟慮の上にも熟慮を重ねる必要がある。既存のありきたりの概念に浸っている暇はない。ところが、この点について、与野党とも、「専守防衛」という考え方をとる者が多い。
 しかし、これまでも私が指摘しているとおり、専守防衛という考え方は、根本的に間違っている。というよりも、想像上の産物というべきであって現実性は全くない。いわば蜃気楼のようなものである。以下、理由を述べる。
 第1に、専守防衛という考え方は、敵つまり中国軍がわが国に対し攻撃を加えた場合、日本を防衛するために自衛隊が活動し、敵の侵攻を食い止めて時間を稼ぐ。そうこうするうちに、米軍が応援にやってきて、敵に対し攻撃又は反撃するというものである。
 しかし、これには重大な疑問がある。そもそも、自国を防衛するのは、その国自身の責務ではないかという疑問である。戦争とは、国家の存亡をかけた戦いである以上、戦争当事者の国民が、自分で自国つまり日本を守るというのが自然である。つまり、防衛も攻撃も、自前で行うのが、真の防衛力というべきではないかという疑問である。「防衛は日本、反撃は米国」という考え方は、いかにもいびつである。実用性を欠く間違った考え方である。これは、普通の高校生でも理解できる話である。
 第2に、果たして米国が日本防衛に参戦するかという疑問がある。米国と日本は、安全保障条約を締結しているから、米軍には日本が攻撃を受けた場合に日本を防衛する義務がある。
 しかし、それはあくまで条約上の取り決めにすぎない。防衛義務を米国に強制することはできない。したがって、米国の大統領の気持ち次第で、「条約を順守して戦争に参加するよりも、ここは参加しない方が、米国にとって利益になる」と判断すれば、米軍は何もしないという事態も想定できる。
 事件が起こった場合、世間では、しばしば「想定外だった」という弁解を聞くことがあるが、政治家たる者、そのような言い訳は決して言うべきではない。あらゆる事態を想定して対策を講じておくのが、まともな政治家の役割なのである。
 例えば、中国が核ミサイルを沖縄に落とし、沖縄県が全滅したとする。県知事以下県民全員が即死したとする。その場合、米国の大統領が、果たして中国本土に対し核ミサイルを発射するであろうか?おそらく、核弾頭の使用はしないというのが確率的には一番高い。
 他方、米国が、自国つまりアメリカ本土に対し核ミサイルを撃ち込まれた場合は、ほぼ間違いなく核ミサイルを敵国つまり中国に打ち込むであろう。そうしないと米国民は黙っていない。
 このように、米軍を頼りにした戦略の構築は、非常にもろいものである。中国の侵略を阻止するためには、「同害報復」の原則を見せつけ、中国に対し「日本を攻撃したら、大量の返り血を浴びることになる」「止めておこう」というふうに誘導する必要がある。
 平和というものは、口先で「平和が大切」と1000回叫んでも無意味である。それよりも敵国(中国)に日本攻撃を思いとどまらせるだけの重厚な軍事力をわが国が整備することが大切である。
 想えば、日本国憲法が制定された当時、中国は、核兵器を保有していなかった。人民解放軍の兵士を大量動員する人海戦術で闘うほかない、開発途上国であった。軍事的な装備も貧弱であった。私が子供の頃、ラジオを聴くと、「こちらは北京放送局です」という電波が入ってきた。聞き耳を立てると「張り子のトラ」、「アメリカ帝国主義」という文言が頻繁に聞こえた。
 ところが、今では、中国は、長期間にわたる戦略を基に、軍事力も米国にかなり接近してきた。つまり、軍事大国化した。他国を無視した傲慢な振る舞いから、妙な自信を付けたと見るほかない。戦争を始める準備が最終段階に入ってきたようである。
 かたや過去に一度もバージョンアップをしていない日本国憲法9条は、今や骨董品のようなものに成り下がった。その意味で、日本の平和的存続を阻害する日本国憲法9条は、百害あって一利なしであり、早急に改正する必要がある。

 

 

日時:19:18|この記事のページ

無駄な議員が多すぎる

2020年06月29日

 本日、ネットを見ていたら、我が岐阜県の関市の市議会議員が威力業務妨害の疑いで警察に逮捕されたというびっくりするニュースが載っていた。
 関市議会のOという議員(67歳)とのことである。容疑は、市役所に爆発物を仕掛けたと予告する文書を市の支所に送付し、市役所の業務(公務)を妨害したというものである。この人物は、過去に市議会議長もやっていたと聞く。
 ここで思った。人間は生まれた時点から、根っからの悪党として生まれるわけではなく、その後の生育環境によって途を踏み外す者が一定の確率で生ずる。この人物も、どこで考え方を間違えたのか?67歳という年齢であるから、若気の至りで罪を犯したということは考え難い。やはり、67歳までの人生を過ごす過程で、次第に間違った考え方に染まってしまったということであろう。
 それにしても、議員という職業は、昨今、何のために存在するのか、意義が問われている事件が多い。模範解答を述べれば、民主主義の体制にあっては、民意を汲んだ公選の議員が議会を構成し、行政機関が勝手なことをしないようにチェックを行うという役割を果たしているということになる。
 ところが、実体は理想とかけ離れているように感じる。一言でいえば、議会自体は必須の機関であるが、しかし、無駄な議員が多すぎるのではないのか。このことは、国会の場合も、地方議会の場合も当てはまる。
 国会議員については、まずは定数を半減させるべきである。半減すれば、いい加減な人物が国会議員になってしまう確率も低くなるし、税金の浪費を抑制することができる。
 そもそも国会の主な任務は、立法作業と行政府の監視である。しかし、前者は全くできていないし、後者についても、どうでもよいことばかりに力を入れているように見える。検事長の定年年齢をどうするかという問題よりも、共産党独裁国家の中国による尖閣諸島への圧力の問題の方が、100倍も重要である。
 しかし、与野党とも、なぜかこの問題に触れたがらない。中国と腐れ縁があるため、正論を述べることを遠慮しているのではないのか。議員の頭の中は、いかにすれば議員を長く続けることができるか、つまり次の選挙で当選できるか、で占められているようである。それしか関心がないから、当選という目標に役に立たない論点については、ほとんど関心がないということであろう。
 地方議員については、極論すれば、存在してもしなくても、住民はほとんど困らない。例えば、武漢ウイルス(いわゆる新型コロナウイルス)の対策をめぐっても、日々報道されるのは、医療機関の活動状況であり、行政機関による会見である。地方議会の取組みや地方議員の行動が、テレビで取り上げられたことは、私の記憶では一度もない。
 また、地方議員を長くやっていると、「〇〇のドン」と言われるような、いかがわしい人物に堕落する危険が出てくる。このような人物は、それなりに顔がきくため、かえって弊害をもたらすことがある。
 相当以前のことだったが、大阪府のI市で、初当選した若手市長に対し、ドンと呼ばれる古参の議員が圧力をかけている場面をテレビで見たことがある。このような「害虫」のような存在の議員は表舞台から排除する必要がある。
 地方議会の議員の存在価値が著しく低下している現状において、関市の市議会議員が逮捕されたというニュースは、まさに地方議会議員の今の姿を現していると言えよう。議員定数を削減し、ヤル気のある者だけで議会を構成することが望まれる。
 そのためには、一定の質を保証するため、報酬は、地方住民の平均年収を参考にしつつ、他方、人間関係、しがらみ、義理人情、過去の行きがかり、惰性などで議員を長年続けている者を議会から一掃すべきである。公職選挙法を改正し、立候補可能な年齢制限規定を導入すべきである。満65歳定年で良いのではないかと考える。

日時:20:13|この記事のページ

尖閣諸島と日本の今後

2020年06月24日

 今年は2020年である。昨年は、言うまでもなく2019年であったが、その12月に、2020年の出来事を的確に予想した者は、誰一人いなかった。昨年の12月も、いよいよ年末を迎えると、新聞報道、テレビ・ラジオなどの放送は、異口同音に、「来年が良い年であることを願います」というメッセージを出すことで終わっていた。つまり、すぐにやってくる未来がどのようなものとなるかについて、何も分かっていなかったということである。全部のマスメディアは、能天気な態度に終始していた。
 さて、本日付けの産経新聞の社説を読むと、「有人化に乗り出すときだ」とあった。理由を読むと、中国によるわが国の固有の領土である尖閣諸島に対する侵略を阻止するためであることが読み取れた。
 私もこのような考え方には賛成する。中国の野望(いわゆる「中国の夢」=他国の隷属)を阻止し、わが国の平和と繁栄を維持するためには、早急に尖閣諸島に対するわが国の実効支配を強化する必要があるのである。
 わが国は、固有の領土である北方領土と竹島を、それぞれ、ロシアと韓国という「まともでない国」によって不法占拠されている。このように、たとえわが国の固有の領土であっても、他国によっていったん不法占拠されると、これを排除することは容易ではない。なぜなら、かなりの確率で大規模な戦争に発展することを覚悟する必要があるからである。
 これに対し、現時点でわが国が支配している状態の島を、より強固に支配することは、奪われた島を奪い返すことに比べて容易である。なぜなら、尖閣諸島に対する中国の侵略を阻止するという、いわば広い意味の「防衛行動」の概念に収めることが可能だからである。
 どういうことかと言えば、わが国は、これまで専守防衛を国の基本的方針としているため、
他国に対する積極的な攻撃と解釈できるような行動はとれないということになっているからである。
 しかし、私は、「専守防衛」などという方針は、現実離れした「言葉の遊び」にすぎないと考える。非常に不合理な考え方だということである。そもそも防衛に、専守も攻撃もないのである。
 例えば、ボクシングの試合を考えた場合、普通は、双方の選手が攻撃に回ったり、防御に回ったりして、攻守が瞬時に入れ替わりながら、試合が続いてゆく。仮に、A選手は、決して攻撃を加えてはならず、防御に専念するというルールで闘った場合、A選手が世界チャンピオン級の実力者であっても、相手のB選手に勝つことは難しい。B選手がへばって自分からマットに倒れ込む以外に勝つことができないためである。つまり、最初から試合にならないということである。
 戦争の場合も同様であり、専守防衛論では、中国が、第一波として、日本領(領土)に対し攻撃を開始した場合に、日本は防衛のための戦争を行うことができたとしても、いったん、中国軍(人民解放軍)が態勢を立て直すために兵力を引いて、中国国内において第ニ波の攻撃のために兵力の補給を行っているような場合、専守防衛論では、中国国内の中国軍の後方基地を日本が攻撃することができなくなってしまう危険がある。これでは、いつまでたっても戦争は終結しない。結果、中国の邪悪な意図をくじくことができなくなる。上記のボクシングとあまり変わらない。
 防衛戦争とは、わが国の領土を守るという目的をもって遂行されるべきものであり、専守防衛などという言葉の「お遊び」に縛られていては、真の防衛戦争など出来ないのである。したがって、出てくる結論(正解)とは、敵地を攻撃する能力を日本が完備することである。これ以外にない。日本が敵国である中国の軍事敵地を攻撃する能力があることを中国が知るだけで、大きな戦争抑止力になる。
 ところが、たまたま読んだG新聞の社説には「気になるのは、軍備増強の議論が先走っていることだ」とあった。軍備の増強など決して認められないという思想であろう。おそらく共同通信社の幹部の記者が書いている社説であろうが、全く話にならない。「何を考えているのだ。日本の国益を少しは真面目に考えたらどうだ」と言う以外にない。
 共同通信社の記者の頭の中には、軍備の増強=悪という間違った思想が染みついてしまっているようである。一体どのような教育を受けると、このようなおかしな思想に到達するのか、一度、ご本人に合って質問したいものである。
 例えば、NHKの「麒麟が来る」を持ち出すまでもなく、利害が一致しない国同士で、話し合いによる解決が望めない場合、ものを言うのは、最終的には軍事力である。軍事力を常に強化しない限り、隣国の侵略を受け、やがて他国の支配を受け入れる以外になくなるのである。軍備の増強は、悪いことどころか、むしろ喜ぶべきことなのである。軍事力が完備されておれば、他国も容易に隣国への侵略行動を開始することはできなくなり、結果、話し合いによる妥協の途も出てくるのである。ただし、中国が話し合いによる妥協を考えている様子はない。最後は、軍事力で、他国をつぶすことを考えているとみてよい。虎視眈々と侵略の機会をうかがっていると考えて間違いない。極めて好戦的な、「暴力団」のような危険な国家である。
 話を戻す。尖閣諸島に関し、産経新聞が提唱するように有人化を推進すべきである。有人化の具体的方法については議論を経る必要がある。例えば、ミサイル観測用のレーダー設備を備えた軍事施設、あるいは海上保安庁の職員が一時的な休息をとれるような簡易な庁舎を建設することなどが考えられる。
 一番重要なことは、尖閣諸島の防衛を、わが国が主体的に行う強固な意志があることを内外に示すことである。にもかかわらず、与野党の議員は、一部の意識の高い有能な議員を除き、大半が無関心を示している。巨大地震の場合は、いつ来るかを正確に予知することができない。しかし、中国の尖閣諸島侵略に向けた動きは、過去10年以内に起こった中国の行動を検証すれば、いよいよ危険な状態に入ってきたと言える。
 危険が予知できるのに何も手段を講じないのは、新型コロナウイルスに例えれば、爆発的な感染拡大が予想されるのに、政治が何も手を打たないことと同じである。そのような国会議員は要らない。そのような国会議員は、全員をクビにする以外に方法がないくらい、無責任だということである。これは万死に値するくらい罪が重い。
 仮に2021年に、中国による尖閣諸島への侵略行為が開始された場合、わが国には、今回の武漢ウイルス(いわゆる新型コロナウイルス)を上回る混乱が生じるであろう。ただし、遅まきながら、現時点から日本が強い態度を示し、敵地攻撃能力を整備する方向で国政が一致して動けば、中国も、簡単には侵略を開始できなくなる。
 無関心を示している(中国共産党の重要な仲間である)怠慢議員を一掃すべきである。
 

日時:13:16|この記事のページ

護憲勢力の正体とは何か

2020年06月18日

 新聞紙上等で、しばしば「護憲勢力」と呼ばれる団体が登場する。この護憲勢力の主張とは、一言で表せば、「憲法を守れ」ということであろう。
 しかし、これは、実に時代錯誤的な間違った考え方という以外にない。なぜ間違っているのか、その理由はいくらでもあげられるが、今回は主な点に絞る。
 本日付けの産経新聞によれば、中国は、ロシアの軍艦が尖閣諸島のわが国の接続水域を走行した際に、ロシア側に対し、尖閣諸島は「中国の領土である」と主張した上で、ロシアの軍艦に対し、その進路などを問い合わせたという。この中国の行動は、尖閣諸島が中国のものであることを大前提としている。仮に日本領であると思っているのであれば、何も尋ねる必要などないからである。
 また、中国軍は、最近、インド北部のカシミール地方において、インド軍と衝突を起こし、双方に多くの死者がでている模様である。原因は、言うまでもない。国境線をめぐる領土問題である。好戦的な中国が、インドとの衝突を、単なる小競り合いでとどめているのは、インドが核兵器を保有しているためである。仮にインドが核兵器を持っていなかったとしたら、中国は、おそらく大砲や戦車などを用いてインド軍を攻撃していたであろう。
 このように、中国は、自国の領土を拡張するためには、手段を選ばない。しかし、相手が強ければ、攻撃の方法も手心を加え、他方、相手が弱ければ、攻撃の手段をエスカレートさせることに躊躇がない。
 尖閣諸島は、他国である日本の領土であることがは、実は中国も分かっている。しかし、事実を全て無視し、領土的野心から、他国の領土である尖閣諸島を自分のものにしようと虎視眈々と狙っている。中国にそのような邪悪な意図が確実にあることは、多くの心ある日本人には分かっている。
 ところが、護憲勢力の一員と目される左翼政党からは、中国の行動を非難する声は聞こえて来ない。昨日まで、国会が開かれていたが、国会の質問などにおいては、左翼政党の幹部や議員からは全く出ていなかった。これは、極めて大きな問題である。
 ここで、一体護憲勢力は、誰の味方なのか?という疑問が生じる。仮に日本国又は日本国民の真の味方であれば、中国が日本に手出しできないようにするため、質と量を兼ね備えた軍事力を整備することに賛成するはずである。
 ところが、左翼勢力は、口を開けば「戦争法案反対」とか「日本が戦争ができる国になってはいけない」などと意味不明の発言を繰り返す。ここに、反日的憲法学者が加勢し、もっともらしく主張を行う。
 しかし、それだけではない。財界も、利益第一主義の立場から、「中国は重要な隣国」と発言する。根が商売人であるから、金を儲けることしか眼中にない。かつて元大手商社の会長だったN氏は中国大使に任命され、親中派ぶりを発揮した。私は、このような人物を全く評価しない。
 今や中国は、多くの核兵器を備蓄し、核ミサイルは、おそらく日本の主要都市に照準を合わせて、習近平の命令があれば、いつでも発射できる態勢にあるはずである。また、共産主義という悪魔のような思想を基に、全体主義・強権独裁国家になっている。
 ここで、日本が進むべき途は、法の支配と西欧型民主主義を基盤とする国家と協力することである。いわゆる「まともな国」と連携し、かつ、協調することである。その場合、日本が、まともな国の一員として受け入れられ、かつ、存続するためには、世界標準の考え方を採用する必要がある。日本国憲法自身の間違った考え方を改める必要がある。
 中国が一番喜ぶのは、日本において、護憲勢力が間違った考え方を声高に唱え、反日マスメディアも同様の姿勢をとってくれることである。現在でも日本国内において、親中派や媚中派の議員、財界人、外交官、ジャーナリスト、実業家、科学者、学者などが数多く暗躍しているが、中国は、そのような中国にとって都合の良い勢力を、より増殖させようと工作を日々行っているはずである。
 しかし、SNSの発達などによって、日本人も次第に目を覚ます人間の割合が増しているように感じる。中国による間違った情報操作に対抗して、真に日本の利益に叶う政策を実現しようという姿勢が強まっているように感じる。
 当面、日本の防衛費を現在の二倍に増額し、また、海上保安庁の巡視船も、予算を倍増し、より大型の巡視船を次々と作るべきである。
 防衛装備にしろ、大型の巡視船にしろ、今回のコロナ騒動のマスクと同じであり、本当に必要になったとしても、半年やそこらで完成するものではない。近い将来、巨大な悪である中国軍が尖閣諸島に侵攻を開始する危険がある以上、今から、防衛に必要な装備を着実に整備するべきである。
 一般に暴力団は、「強い者に弱く」「弱い者には強い」。日本は、もっと軍事力を強化すべきである。そうすれば、中国も簡単には手出しができないのである。
 
 
 

 

日時:14:07|この記事のページ

間違った常識を疑え

2020年06月13日

 武漢ウイルス(いわゆる新型コロナウイルス)が中国から全世界に送り込まれ、世界の人々は、これまでの経験しなかったような災難に直面した。幸い、感染の拡大にひとまずストップがかかったようであり、経済活動も少しづつ再開し始めたようである。
 本日付けの産経新聞の23面を読んでいたら、「マスクが感染防止に最も効果」という見出しを見つけた。アメリカの大学などのチームが、アメリカの科学電子版11日に発表したということである。
 効果があったという根拠であるが、紙面によれば、マスクを着用することによって、人々のくしゃみから発生するしぶきから出たウイルスがマスクによって遮断される効果があるということらしい。やはり、マスクは、感染防止の効果があるということが立証されたといえる。
 ところが、昨年までのテレビの健康番組などでは、登場する医者は、異口同音に、「ウイルスは非常に小さいので、マスクなどをしても繊維の目を余裕をもって通過してしまう。したがって、マスクは効果がない」という意見が正当な医学知識であるかのように報道されていたと記憶する。その上で「しかし、マスクをすることで、手指によって直接顔面に触れることが物理的に抑制され、その限りにおいて、効果がないとはいえない」という見解が通説的な地位を占めていたように思う。
 しかし、テレビの健康番組に登場する医師の解説は、少しだけ勉強をしている視聴者からすれば、全く陳腐なものにすぎず、飽き飽きしていた。専門の勉強を日々しているのか疑わしい人物が多かった。暇さえあれば銀座のクラブで豪遊しているのではないかと感じた。
 昔から、私は、マスクがウイルス防止には効果があると考えていた。
 理由は簡単である。答えを出すには、何も医学の専門的知識など要らない。確かにウイルスは小さく、マスクの網目を通過してしまうのはそのとおりであるが、しかし、ウイルスも物体である限り、マスクの網目に衝突してそこで動けなくなってしまうことは十分にあり得ることである。
 どいうことかと言えば、仮に1000個のウイルスがマスクの外から到来した場合、マスクをしていなければ1000個のウイルスが人の鼻の穴に入ってしまう。しかし、マスクをしていれば、1000個のウイルスのうち、全部が動けなくなることはないとしても、半減したり3分の1に減ったりすることはあり得ると考えられる。そうすると、やはり一定の防止効果はあるというほかない。
 また、鼻毛は、外部から侵入したウイルスなどの病原菌をブロックする効果があることは常識となっている。そうすると、マスクと鼻毛を比較した場合、前者の方が、より網目が細かいといえることから、ウイルスの侵入を防止する効果はあるというふうに結論付ける以外にない。これまでの医学の通説は、デタラメだったということである。
 このように我々の周囲には、よくよく自分の頭で考えると間違っていると思われる「常識」にあふれている。間違った情報の多くは、テレビ、新聞などのマスメディアから出されていると見てよいであろう。
 特にテレビは、報道番組と名乗っているものは注意が必要である。純粋の事実の報道であれば全く問題ない。ところが、アナウンサーないしキャスターと称する人物の隣には、一定の思想傾向を持った「ご意見番」的な人物がおり、その人物が、自分の思想を通じてニュースを解説することが多い。そのため、偏向報道が生ずる。世論操作の危険が生まれる。善良な国民は、間違った解説を日々聴くことによって、間違った考え方に染まってゆくおそれがある。
 特に危険なのは、中国という全体主義国家である。中国は、三国志の昔から、謀略に長けた国である。一例として、間違った情報を、宣伝工作を仕掛けようとする国(ターゲット)の国民自身を使って行うという悪賢い方法を好む。ターゲットとされた国の内部で、その国の人間(工作員)に、中国の利益になるような発言をさせることによって、結果、中国の国益を守るという方法である。
 近時、オーストラリアに対する中国の支配計画を弾劾した「目に見えぬ侵略」(クライブ・ハミルトン著。飛鳥新社刊)という本が話題を呼んでいる。私もさっそく注文した。読んだ後には私なりの書評を行う予定である。
 的中して欲しくない話であるが、日本人は中国に渡航しない方が安全である。理由は簡単である。仮に中国がわが国の尖閣諸島に侵攻を開始した場合、わが国と中国は交戦状態に陥る。その場合、その時点で中国にいる日本人は、旅行者であろうと、ビジネスマンであろうと、日本に帰国することが禁止され、一種の人質状態に置かれる可能性が高いためである。出国禁止の理由など、中国のような全体主義国家にとってはどうでもよいことであり、何でも付けられる。

 
 

 

日時:12:05|この記事のページ

カタカナ英語の使用はおかしい

2020年06月08日

 2020年も6月に入って、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)による感染がピークアウトしたようである。しかし、巷では「二次感染」は必ずやってくるという医学の専門家の意見もあって、決して油断はできない。いくら自粛解除の方向性が示されたといっても、今しばらくは、各人が必要な防止対策をとることが必要であろう。
 ところで、新型コロナウイルスが感染の拡大を強めていった、今年の3月前後から、耳慣れないカタカナ英語の使用が耳につくようになった。一番、そのようなカタカナ英語を使用したのは、小池東京都知事であろう。
 記者会見の場で「ロックダウン」、「クラスター」、「オーバーシュート」、「アラート」などの言葉が頻繁に使用された。そこで、私は思った。なぜ日本語を使わないのか、と。
 日本語では正確な意味を国民に伝達できないような特殊な用語は、英語のまま使用するほかないが、適切な日本語が見当たる場合は、日本語で説明すればよいのである。
 例えば、ロックダウンは、「都市封鎖」と訳すらしいが、都市封鎖でも十分に分かる。それを、どういう了見があって、わざわざ「ロックダウン」などと呼ぶ必要があるのか?
 私は、昔から、不必要に英語らしき意味不明の言葉を使う人物を信用しないようにしている。昔、ある中年の県職員が、何かにつけ、盛んに「一番ベターだ」などとしゃべっていたことを想い出すが、このような使用法は、文法的にもおかしいと言えよう。意味不明の英語らしき言葉をしゃべる人物は、何かの考えがあってそのような行動をとっているに違いないが、これは、自分を実体以上に大きく見せようとする心理が働いているのではなかろうか。このような人物は信用できない。
 話はやや異なるが、小池知事は、最近になって都知事選への出馬意欲を明らかにしたという報道を見たが、コロナ騒動以前は、都知事としては余り大きな実績がないように思える。コロナ騒動の際は、さすがに、昔、ニュースキャスターをやっていただけあって、弁舌は滑らかであり、テレビ映りは悪くないと思った。服装もセンスがあって、見栄えする。
 しかし、週刊誌の報道で、カイロ大学卒業という経歴は嘘であるという指摘もある。週刊誌が本当のことを報道しているのか、あるいは小池知事の説明が正しいのか、私には判断できない。しかし、万が一にも経歴詐称があったということになった場合、都知事として立候補すべきではない。
 なぜなら、例えば、県職員の採用試験に当たり、「〇〇大学卒業」と申告して試験に合格し、職員として正式採用された場合、後日、それは嘘だったということが判明したら、懲戒免職処分が相当とされる。つまり、クビということである。
 特に、小池氏の場合は、現在東京都の知事であり、日本の自治体を代表する立場にある重要人物である。そのような重い地位にある人物にとっては、経歴詐称は絶対にあってはならない。
 高齢者の一員である私が言うのもおかしいが、私は、年寄りが余り好きでない。誤解されると困るので正確に定義すると、いつまでも地位(ポスト)や利権ないし権力にしがみついている年寄りが嫌いである。周囲の人間は、「〇〇会長、いい加減、隠居してもらえないか」と思っていても、本人は、「まだまだ若い者には負けん。ご意見番として発言させてもらう」という調子である。
 テレビなどを見ていると、政治家にしても、経済団体のトップにしても、ベテランと呼ばれる年寄りは、長年にわたって蓄積してきたしがらみにがんじがらめにされているように見える。そのため、八方美人的に各方面に良い顔をする必要があり、改革などできない。
 その点、若手は、自分の思うところに従って、思い切った改革ができる。世直しができる。少なくともベテランと呼ばれる人々よりは自由に行動できる。各界の若手に対し大いに期待するものである。都知事も、そろそろ若手にバトンタッチする時期かもしれない。

日時:17:36|この記事のページ

新聞を読んで思ったこと

2020年06月06日

 他国のことはよく知らないが、新聞が各家庭に毎日配達される国は、世界的にみた場合は少数であり、日本は、その少数派に入る、と聞いたことがある。例えば、アメリカ、英国、フランス、ドイツ、イタリアなどの国ではどうなっているのか、正しい情報を知りたいものである。
 さて、仮に新聞が各家庭に毎日のように正確に配布される日本という国が例外的存在であるとする。ここで、今回、武漢ウイルス(新型ウイルス)による感染拡大を防止するために、日本では、欧米のような法に基づく強力な規制がなかったにもかかわらず、皆が、「三つの密」を避けるなど、いろいろと協調して行動できたことをどう説明するのか、が問題となる。
 一つ思いつく点は、国民が、新聞を毎日読むことを通じて、今回の事態がいかに深刻なものであるかをよく認識できたということではなかろうか。その意味で、日本においては、新聞の持つ力は依然として侮れない。
 したがって、国民が、どのような基本方針の新聞を毎日読むかによって、自分が知らないうちに、基本的な物の見方が固められてしまう、ということが言えよう(日本の国益を重視する方針の新聞を読めばそのような考え方に染まるし、逆に、日本の周辺国の利益に最大限配慮するという反日的新聞に日々接しておれば、日本を軽視する傾向が強まろう)。
 ただし、昨今では、誰でも利用できるSNSという便利な道具があることから、将来的には、新聞の持つ価値は低下し、やがて国民の支持を失った新聞は徐々に廃刊に追い込まれる可能性がある。
 6月6日付けの産経新聞の一面を見ると、麻生財務大臣が、新型コロナウイルスによる死者数が欧米諸国に比べ極端に少ない点について、「民度が違う」と発言したことを捉え、立憲民主党の蓮舫議員は「貴方はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣」とかみついたそうである。また、朝日新聞は、5日付け朝刊で、「他の国をおとしめることになりかねない」と批判したようである。しかし、なぜ、蓮舫議員や朝日新聞が、麻生大臣の発言を批判的に取り上げるのか、私には全く理解できない。
 蓮舫議員といえば、民主党政権下で、事業仕分け担当大臣として、毎日のように霞が関の役人を会議室に召集し、例のキツイ調子で詰問をしていた光景が今でも目に浮かぶ。極め付きは、確か国産の高速電子計算機のことに関連し、「二番ではダメでしょうか?」と発言したことである。
 この発言を聞いて、失笑するほかなかった。このようなレベルの低い議員が大臣を拝命するような政党に、日本のかじ取りを委ねることは絶対にできない、と感じた。例えば、プロ野球において、公式戦でリーグ優勝することは大きな意味があるが、毎年二番に付けていても全く評価されないのと同じである。
 コロナウイルス対策ワクチンにしろ、高速通信技術5Gにしろ、二番ということは、全部を失うということに等しいことが、無知な蓮舫議員には全く分かっていなかったようである。今や、一番だけが圧倒的優位に立てる時代である。二番ではダメなのである。蓮舫議員に象徴される無知というものは、実に怖いものである。国を誤った方向に導くことになるからである。戦前、全体主義国家であるナチスドイツおよびムッソリーニが率いるイタリヤと三国同盟を組んで、亡国の途に突入した最悪の選択は、二度と再現してはならない。
 では、蓮舫議員のようなタイプの人物に対処するには、どうすべきか。それは、無視が一番である。目立ちたがり屋の行動を封じるには、無視する以外にない。何を言っても一切報道しないということである。もちろん、仮に法に触れるような悪事を働いた場合は、徹底して取り上げ、追及する必要があることは言うまでもない。
 朝日新聞にしても、今回の麻生大臣の発言は、確かに日本が他国よりも優れているということを暗に言っていることになるが、では、日本の民度つまり文化には優れた点があることを公言することが、どうして他国をバカにすることになるのか?
 朝日新聞が、このようなおかしな意見を新聞紙上に書いたのは、発言者が安倍内閣を支える重鎮である麻生氏だったからではないのか?これは、まさに主観的な論評という以外にない。
 上記産経新聞が指摘する「日本が他国より劣っていたり、失敗して叱られたりしていないと落ち着かない奇病が、一部で重篤化している」という箇所は、同意する以外にない(笑)。
 今後、国益第一、事実を冷静かつ客観的に報道するという基本姿勢に徹する新聞が、発行部数を増すことを願う。
 なお、ここで「国益第一」と述べたが、やや具体的に説明したい。上記産経新聞は、習近平の来日が見送られたと報じた。そして、紙面には「事実上の白紙」という表題が付いた。当然すぎることである。
 前にも述べたが、中国共産党というとんでもない全体主義・独裁国家の親玉が日本に来ることは絶対にあってはならない。ここで、ある人物が国益第一の思想を持った人物であるか否かを簡単に判定する方法がある。それは、「習近平の国賓来日に、あなたは賛成ですか?」と質問し、その答えを聞くというものである。仮に「賛成です」または「条件付きで賛成です」という答えをした者は、所属政党の如何を問わず、全くのダメ人間である。与党であろうと野党であろうと関係ない。日本のことを真剣に考えていないと見て間違いない。あるいは、物事の本質を見極める目がない。そのようなダメ政治家は、次の選挙で落選させ、完全に淘汰する必要がある。
 今後、日本は、西欧型民主主義の理念を尊重する「まともな国」との関係を深め、中華の夢=他国の隷属化を計画する独裁国中国とは、完全に手を切るべく大胆に方向転換する必要がある。

 

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大村知事は、早く辞職した方がよい

2020年06月03日

 本日付けの産経新聞および岐阜新聞の報道によれば、美容外科である「高須クリニック」の高須克弥院長が、愛知県の大村秀章知事の解職請求(リコール)運動を始める意向であることが分かった。その理由として、2019年に開催された「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」において、昭和天皇の肖像を燃やす映像作品を展示したことをあげた。
 また、名古屋市の河村市長も、あいちトリエンナーレの実行委員会の会長である大村知事が、展示内容の問題性を理由に開催負担金の支出を拒んだ名古屋市を訴えたことも、今回のリコール請求を正当化する根拠の一つとしてあげた。そして、河村市長は、「名古屋市民や日本国民の税金や名誉を守るために応援する」と述べたという。
 私もこのような動きには全面的に賛成する。愛知県の大村知事には、一日でも早く知事の職を辞してもらいたいと感じる。理由は、以下のとおりである。
(1) あいちトリエンナーレ2019において、開催を主催した実行委員会の会長は、大村知事である。したがって、開催内容については、その適否を含め、会長である大村知事は、責任をとる立場にある。ただし、ここでいう「責任」とは、大村氏が民事上の損害賠償責任を負わされるという法的な責任ではなく、行政的あるいは政治的責任である。仮に大村氏が、具体的展示内容について、全くその詳細を聞かされていなかったとしても、行政的・政治的責任は免れない。なぜなら、監督が不十分であったということになるためである。組織のトップとしての責任を否定することはできないのである。
(2) ここが一番重要な点であるが、展示内容の妥当性の有無である。実行委員会という公的な団体が主催するのであるから、展示内容は、それに相応しいものでなければならない。税金を投入するということは、とりもなおさず、税金を負担する地域住民の大半が納得するものである必要がある。具体的にいえば、100人中の70人以上が「反対ではない」という内容である必要がある(ここでは70人という数字を示したが、民意の過半数という要素を重視した場合、51人以上ということになろう。)。
(3) そこで、果たしてあいちトリエンナーレ2019の展示内容が、公金を使って開催するに相応しいものであったかといえば、重大な疑問がある。
 なぜなら、上記のとおり、憲法上は日本国の象徴とされている昭和天皇の肖像を燃やす、つまり亡きものにしようとする悪意を万人が感じることのできる作品は、到底、公金を使って展示するに相応しいものとは言い難いからである。
 また、韓国人の作家が作ったと言われる「少女像」は、一般的知識をそなえた日本人から見れば、日本国を侮辱する意図を持つものであることが明白である。つまり、この醜悪な少女像は、韓国が歴史上の事実を捻じ曲げた上、勝手に想像(妄想)を膨らませ、日本国を不当に攻撃するための道具として韓国で活用されている、とんでもない代物ということである。韓国が日本を非難し、イチャモンを付けるための重要な小道具という機能を担っているのである。したがって、当時、このような展示内容を知った多くの名古屋市民または愛知県民から、愛知県庁当局に対し、猛烈な抗議が来たことも当然と言える。
(4) この時点で、仮に大村知事が、「展示内容について至らない点があったことをお詫びします」と発表しておれば、ここまで大きな問題には発展していなかった。ところが、大村知事は、何を心得違いしているのかは知らないが、「表現の自由を守る必要がある。検閲はいけない」などという理解不可能なコメントを記者会見で述べた。これによって、大村知事の正体が明るみになってしまった。お世辞にも教養があるなどとはいえない人物であることが露見してしまった。到底、地方公共団体のトップを務める器ではないことが露呈した。私は、今期限りで知事を辞めてもらいたいと思った。
 検閲とは、行政機関が、表現の発表前に、その内容を点検し、行政機関の意向に沿うものは発表可、沿わないもの発表禁止とすることを指す。しかし、今回の場合は、厳密に考えた場合は検閲の問題ではない。
 展示内容自体が、果たして地方公共団体が、多額の公金を費やしてまで、あえて展示するに相応しいか否かという視点から論じるべきだからである。
 換言すると、昭和天皇の肖像を燃やす作品といい、醜悪な少女像といい、その正体は、いずれも日本国に対する強烈なヘイト作品にすぎない。日本人または日本国に対する偏狭で極端な憎悪心から出た道具というべきであり、このような物は、いくら、反日左翼マスメディアが「表現の自由を守れ」と声高に報道したとしても、展示物として認める余地はない。ちょうど、ナチスドイツを象徴する「ハーケンクロイツ」(カギ十字)のようなものである。公共の場に公然と展示すること自体が、そもそも許されないのである。
 これは、公序良俗に反する「禁制品」というほかなく、事が露見した時点で、即時、展示を中止し、上記のとおり、本来であれば大村知事は、素直に愛知県民に謝罪すべきであった。
 当時、一部に「芸術作品であるから展示させろ」という声があったが、問題となった作品が芸術であるか否かは、全く関係がない。悪意に満ちた作品を作った者が、公的資金を使って、さらに公的な施設を利用して、自らの政治的主張を公開させろと要求する権利など最初からないのである。
 仮にそこまでしても公開したいのであれば、この手の偏向した反日運動に賛意を表する新聞社の会議室にでも展示させてもらえば済むことである。この場合は、新聞社も特に反対する理由がないから、堂々と公開できることになる。よって、検閲がかかっているということは言えなくなる。
(5) その後、事態は沈静化せず、大村知事は、最近になって、負担金の支出を拒んだ名古屋市を提訴するという前代未聞の愚行を犯した。本来であれば、名古屋市役所と愛知県庁はお互いに協力して、地方行政を推進するべき立場にあるが、大村知事の間違った決断は、両者に修復しがたい亀裂を残す結果を招いた。
 このような「開き直り」といわれても仕方がない大村知事の姿勢は、最近の武漢ウイルスへの対応を巡っても疑問点が多く目に付く。大村知事の発言からは、何かと評判の良い大阪府の吉村知事のことが気に入らないように思える。
 この人物には、諸般の事情を考慮して冷静に決断を下すという姿勢が全く感じられない。戦国時代の武将に例えれば、猪突猛進型の「イノシシ武者」という表現が当たるのではなかろうか。このような武将が、雄藩の一つである尾張藩(愛知県)の殿様では、尾張藩は衰退する以外にない。
 癖の強い大村知事をトップに戴く愛知県職員の日々のご苦労は、察するに余りある。大村知事よ、早く愛知県知事を辞めるべきである。
なお、上記のとおり、実行委員会は、名古屋市が、あいちトリエンナーレの(開催)負担金を支払わなかったことを問題視し、負担金の支払いを求めて、裁判所に民事訴訟を提起したと聞く。
 この裁判の勝敗の分岐点は、名古屋市が負担金の支払いを拒絶したことに正当な理由があるか否かであろう。担当裁判官が「正当な理由がある」と判断すれば、被告名古屋市の勝ちであり、逆に、「正当な理由はない」と認めれば、原告実行委員会つまり大村知事の勝利となる。まともな常識をそなえた裁判官であれば、前者を選択するはずである。
 いずれにしても、原告・被告双方にとっては、絶対に負けられない訴訟である。仮に大村知事が負けた場合、猛烈な批判にされされ、将来の知事選において愛知県知事に当選することは極めて困難な状況を迎えよう。今後かなりの確率で、担当裁判官の方から、双方に対し、和解の勧告があるものと予想する。

日時:23:05|この記事のページ

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