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弁護士日記

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日本は科学技術立国を目指せ

2021年03月02日

 本日の報道によれば、国際特許の出願件数は、世界がコロナで悪影響を受けた中でも、依然として高い伸びを示したそうである。世界の国別では、中国が1位、アメリカが2位、日本が3位を記録した。
 思うに、日本は国土面積が比較的狭く、また、天然資源については何もないという状況にある。このような客観的状況の下で、今後我が国が発展を続け、世界の主要先進国のグループに居続けるためには、付加価値を付けた物を売って外貨を稼ぐ基本姿勢がますます求められよう。
 そのように考えた場合、一番重要なのは、科学技術で世界をリードできる実力を維持し、発展させる必要があるということである。ところが、国家予算には限りがあるため、国のお金を成長分野に効果的に配分することは極めて重要となる。ばらまきは許されないのである。
 例えば、通信技術やエレクトロニクスに関連した技術は、まさに日進月歩であり、日々、著しい変化が起こっているとみて間違いない。そのようなことは科学技術に疎い私でも分かる。世界を相手にして日本が負けないようにするためには、工学(電気、機械、化学、建築・防災学、航空学等)、農学(バイオテクノロジーほか)、理学(物理学、原子物理学、海洋学、宇宙・天文学等)、医学(各種ワクチンの開発・研究)の分野に、集中的に国家予算を投入するべきである。
 他方、上記の「選択と集中の原則」を採用した場合、いわゆる文科系の学部については、国家予算を増額する必要性は低いと言わざるをえない。中でも「斜陽産業」の代表例が法律学である。
 法律学ほど歩みの遅い学問はない。正確に言えば、進歩がないといった方がよかろう。例えば、刑法には、いろいろな理論があるが、ここ50年間あまり顕著な発展はないと断言してよい。どうしてそのようなことが言えるのかというと、50年前に刑法総論の書物に書かれていた理論は、50年経過した今日でも、ほとんどが通用するということである。
 もし、嘘だと思うのであれば、50年前に出版された代表的な刑法総論の教科書と、現時点で書店に並んでいる教科書を比較するとよく分かる。もちろん、50年間のうちに新しい最高裁の判例が出たことによって、あるいは新しい刑事立法がされたことによって、議論が進化していることは認めるが、昔の原理原則が今日では全く通用しなくなったという話はあまり聞いたことがない。
 また、理論の進歩がない分野の代表例は、おそらく憲法であろう。日本国憲法は、戦後に制定された以降、一度も改正が行われていないのであるから、憲法解釈論も、最高裁の新判例の出現に伴って多少の変化はあるとしても、基本的なところは変わりようがないのである。せいぜい、これまでの学説を整理して体系化するというような作業をするだけで足りる。
 憲法は、一部の学者にとっては、改正すること自体が想定外の「不磨の大典」であり、お経のようなものである。憲法学は、まさに「化石」のような学問であるとすら言い得る。憲法学者が、学問の自由を掲げて、飯の種である日本国憲法をどのように解釈し、それを大学で学生に対し講義しようと、多くの日本人の日々の生活には全く影響がないのである。仮に必要性があるとしても、せいぜい司法に関わる職業人および官僚の仕事に就く人々に限定されよう。
 これに対し、国民の生活に影響が大きいのは民法である。国民にとっては基本法と言える。民法は、かなり以前の段階で、非常に読みにくい片仮名文字による条文の表記法が、ひらがな文字による表記に置き換わった。また、最近では、家族法や債権法の分野が大きく改正され、条文内容もかなり変わった。民法なくして、日々の生活や商業活動は成り立たないと言える。
 また、行政法の分野も、ここ数十年の間で、新しい法律が次々と制定され、国民にとってより使いやすいものに進歩してきている。
 文科系の学問には、ほかにも経済学、経営学、文学、美術・音楽などがあるが、経済・経営学は実学である以上、毎年それなりの理論の進歩はあるのではなかろうか。現にノーベル賞でも、アメリカの経済学者が毎年のようにノーベル経済学賞を受けている。
 文学については、例えば、歴史上の人物を描いた作品を読んだときの感動を想起すると納得がいくことであるが、国民が豊かな生活を送る上では不可欠のものと言えよう。美術・音楽についても、国民にとって文化的生活を送る上で重要なものであることは言うまでもない。
 以前、日本学術会議の問題が起こり、菅首相に会員の任命権があるか否かが議論された。私の考え方は、以前から述べているとおり、任命権が確実にあるというものである。
 ところが、コロナ禍で困っている国民をよそに、「学問の自由を守れ」などというおかしな意見が、一時期新聞紙上をにぎわせたこともあったが、一向に国民の関心は深まらなかった。一般国民からすれば、経済的に全く困っていない学者連中のつまらぬプライドに関わる話など、どうでもよい出来事にすぎなかったのである。今や、かつて国会で拳を上げていた左翼政党議員ですら、選挙の票にならないと分かった途端に、冷淡な態度を示しているように思える。
 話をまとめる。私見によれば、限られた国家予算は、工学・農学・理学・医学の分野に集中投資すべきである。半面、法律学については、民法・商法・行政法の分野を除き、人材を今よりも豊富に育成する必要性は低く、予算の配分についても真っ先に削減すべきであろう。なお、経済・経営学、文学、美術・音楽については、文科系に属するが、できる限りの予算措置は必要であろう。

日時:19:26|この記事のページ

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