衆議院議員選挙が終わり、自民党・公明党は少数与党となった。
現時点で、躍進した国民民主党の玉木代表は、かねてから自分が実現したかった政策を実現できる絶好のチャンスが到来したと思っているに相違ない。他方、自民党の石破首相は、選挙結果に接した時点で呆然自失の状態に陥ったであろう。また、自民党の森山幹事長も頭を抱えたに違いない。
その後、石破首相と森山幹事長は、現在報道されているとおり、何とか国民民主党を自分の側に引っ張り込んで、石破政権の存続のための重要な道具として、うまく使おうと考えているように見える。その結果、双方の思惑が一致し、本日(11月1日)の報道を見る限り、自民党と国民民主党は、個々の政策について協議することで合意したようである。しかし、国民民主党は、余り深入りしないよう、部分連合には否定的であり、あくまで政策ごとの協議にとどめる方針であるようだ。
ここで、一つ疑問が生じる。一体、玉木代表は何を考えているのかという点である。上記のとおり、自分が唱えていた政策を、体力が弱った自公を利用して実現しようということのようである。しかし、私が見たところ、玉木代表は、お人よしの印象が強い。周到に着々と準備を重ねて実行に移すというタイプではない。したがって、結局、自公の政権延命工作に利用されてお終いという最悪の結末に至る可能性を否定できない。
自民党の石破首相は、全く信用できない人物である。昔から唱えていた持論または思想をあっさりと放棄し、なお平然としている人物である。変節の常習犯といっても過言でない。第一、石破氏は自民党の総裁選で、間違って総裁に選ばれてしまった人物であり、本来であれば、一評論家議員として終わる運命にあった。また、森山幹事長は希代の策士と言っても過言でない。長年にわたって国会対策に携わってきた経験から、腹の底では何を考えているのか、本当のところは誰にも分からない。常にポーカーフェイスを保ち、内心を悟られないよう用心している。海千山千の「古タヌキ」のような印象がある。このような古い行動スタイルの人物を幹事長に据えたのが石破茂という人間なのである。話にならないとはこのことである。
本来であれば、自公以外の政党は、まず第1ラウンドで、国益実現に寄与しない自公政権を倒し、第2ラウンドで、次代のリーダーを選ぶという方法をとるべきであった。しかし、玉木代表がその道を選択しなかった最大の原因は、立憲民主党を全く信用していなかったからではなかろうか。まともな政策が何もない立憲民主党に日本の国政を委ねることだけは絶対に避けなければならないという判断である。私も同感である。石破・森山も酷いが、立憲民主党はもっと酷いということである。少しでも悪くない方を選択したということである。
このようにして、石破首相は、現時点では命拾いをする公算が高い。しかし、石破首相が、これ以上ボロを出したときは万事休すとなろう。内閣不信任決議案が可決されるということである。
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