

本日(2022年9月27日)、日本武道館で安倍元首相の国葬があり、私はテレビ中継で見た。午後2時すぎから国葬が始まったが、日本武道館の中では多くの招待された人々の姿が映し出された。想像していたよりも多い人数がいたという印象を受けた。
会場の正面に掲げられた安倍元首相の写真は、親しみやすさと同時に、一国の指導者として日本国をリードした実績と責任感にあふれる表情を示していた。
今回、山上という短絡的な考え方に染まった殺人犯のために命を奪われたことは御本人自身にとっても悔しいことであったことは勿論であるが、日本国にとっても多大の損失を受けたということであり、残念の一言に尽きる。そのことはいずれ、日本史の教科書で記述されることになるであろう。
岸田首相の弔辞があり、また、衆参両議院の弔辞と最高裁長官の弔辞もあった。岸田首相の弔辞は、今回の国葬を主宰した者としてのそれなりの内容があった。ただ、深い感動は覚えなかった。
続いて、細田衆議院議長と尾辻参議院議長の弔辞であるが、二人とも全く心がこもっていなかった。公式行事でしばしば聞くようなありふれた内容であり、心に訴えるものがなかった。さらにこの二人のお世辞にも洗練されたとは言えない所作は、その隠された頑迷な人間性をあぶりだしているように見えた。具体的に言えば、尾辻参議院議長は、献花を片手で行っていたように見えた。尾辻氏は、日頃からそのような他人に対する配慮を欠く行動をとっているのではないのか?故人に対し敬意を示すには、両手で行うべきものであろう。
衆議院といい、参議院といい、このような低レベルの人物を議長に選出しているのであるから、国会の権威も何も感じられない(もっとも、私は、いい加減な人物が跋扈する国会には最初から期待していない)。ただただ、このような、みっともない老人には早く引退して欲しいという気持ちが一層強くなった。
ところが、菅前首相の弔辞は、良い意味で期待と違った。予想では、平凡な内容に終始するのではないかと予測していたが、全然違った。文学性すら感じる内容の素晴らしい弔辞であり、久しぶりに感動を覚えた。菅氏自身が書いたのであれば、今までの国会での答弁は何だったのか、という疑問を生じる。ひょっとすると、今回は、才能のある第三者に原案を起案してもらっているのかもしれない。しかし、今はそのような野暮な詮索は差し控えることとする。
それにしても、国会付近で安倍元首相の国葬に反対する左翼集団は何を考えているのか?連中による下品で、事実に反した、かつ、死者を貶めようとする歪んだ悪意に満ちたデモ行進は、通常の理解を超える。このような無礼な振る舞いは、(周辺国の文化では許される行動かもしれないが)普通の日本人にとっては嫌悪の対象となる。
この手の連中に対しては、いくら誠意をもって説明をしても無駄である。あたかもカルト宗教の教祖の教えに完全にマインドコントロールされてしまっている狂信的信者とその心理状態が似ているからである。彼らに対しては、「付ける薬がない」ということである。もっとも有効な対策は、一切無視することである。話題に取り上げない、連中と同じ土俵に上がり議論や討論をすることを避ける、あるいはこの手の連中の主張を擁護する間違った意見がテレビで出たら、すぐにスイッチを切るということが最善の対処法である。
なぜなら、民主主義とは、お互いに議論をすることで自分と相手方の考え方を修正する、そして相互に妥協点を探るというプロセスであるが、この手の集団はそのような正常な手法が全く通じない。だから、無視して、最初から一切相手にしないのが上策となる。
防衛力について最近の読売新聞の世論調査によれば、国民の70パーセントの人々が、防衛力を現在のレベルより増強すべきであるという意見を持っていることが判明した。70パーセントという数字は、国民の大半の者が、防衛力の増強を肯定的に考えているということである。
その国民の感覚は正しいと評価することができる。背景には、専制国家(特定の人間だけが国家の運営方針を決めることができる国)であるロシアによるウクライナ侵略が本年2月上旬に始まったことが相当影響していると思われる。私は、昔からこのロシアという国が大嫌いである。
理由は簡単である。ロシアは、大昔から周辺国に対し、常に侵略を重ねに重ねてきた「暴力団」のような国だからである。他国に対し戦争を仕掛け、戦争をてことして領土を奪おうするDNAが国民全体に浸透している。非常に危険な国である。また、第2次世界大戦の末期、正確には日本が無条件降伏を連合国側に伝えた直後、突如として満州や北方領土に侵略を開始したという厳然とした事実もある。
満州国については、もともと日本の領土ではなく、日本が一定の思惑を持って勝手に作り上げた事実上の国であるから、その地が事実上の日本領から離れるのは当然のことであり、特に意見はない。しかし、北方領土については、第2次世界大戦の前に、既に日本の領土であることが国際的に承認されていた。間違いなく今も昔も日本の領土なのである。
その日本の領土をロシアは現に違法に占領しているのであるから、そのような強盗集団とも称すべき国と日本が友好関係を結ぶことは100パーセントあり得ない。ロシアが、北方領土から無条件で撤退し、「これまで散々悪事を働いて日本に大きな迷惑をかけました。許してください」と言わない限り、あくまで「許し難い敵」という位置づけになる。しかし、ロシアが反省することなど、地球が消滅したとしても到底あり得ない。
その悪党ロシアが、今回、隣国であるウクライナに対し侵略を開始し、暴虐の限りを尽くしているという現実がある。ウクライナは、米国の援助を頼りに徹底抗戦の構えをとっている。当然の態度である。今、ロシアを徹底して潰す必要がある。悪魔のような国は滅亡させる必要がある。
今年の2月にロシアの攻撃が始まって、首都のキーウの近郊まで一時、強盗団(ロシア軍)が迫ったことがあったが、一部の有名評論家は、テレビ番組に出て「とにかく逃げろ」という主張をし、「逃げたい者は、ウクライナから逃げる自由がある」などと完全に間違った意見を述べていた。
この主張は一見すると、もっともらしく聞こえる。しかし、完全に誤った意見である。逃げるといっても、一体、どこに逃げればよいのか?また、ウクライナの国民全員が祖国から逃亡してしまった場合、そこには強盗団ロシアが入り込み、ロシア語による統治が始まることになるのであるから、結局、ウクライナという国が消滅することになる。この底の浅い考え方しかできない論者は、果たしてそのような結果も予測かつ容認した上で、テレビに出て、勝手な持論を述べていたのであろうか?はなはだ疑問に感じる。この人物は、状況の変化に応じ、巧みに自分の主張を変容させ、自分に批判が集まらないよう工作することに長けている。ともかく、私の目から見る限り、信用できない人物である。
そのような危険な性質を持った国は、ロシアにとどまらない。習近平が首領となって国を治める中国がある。また、キム一族が強権支配する北朝鮮もある。この3カ国に共通しているのは、➀民主主義国でないこと、➁核兵器を保有していることの2点である。
このような国は、平易に例えれば、法律ではなく暴力で話を付けようとする暴力団と同じ体質を持っているということである。ここで、世間には、すぐに「対話」という耳障りの良い言葉を全面に出す勢力がある。しかし、最後は力で事を決する意思をもっている国が相手の場合、話合いで決着がつかなかった場合にどうなるのかということも考えておく必要がある。左翼勢力の者たちは、その点に触れないようにしている。その点を深く議論すると、自分たちの立場が崩壊してしまうからである。
他方、国内においては、国家権力というものが、他とは天と地くらいの格差がある圧倒的な力を持っている。暴力団といえども、正面から国家に歯向かったときは、数年以内に完全に潰れることになる。理由は、簡単である。要するに、「暴力団壊滅法」という新法を制定し、その法律違反を理由にどんどん逮捕し、毎日刑事裁判にかけ、連日のごとく刑務所に送り、一生刑務所内で拘禁するようにすれば済むからである。
しかし、相手が国家の場合はそうはいかない。世界政府というものがないからである(今後も成立することはありえないと考える。)。そうすると、自国の安全を確保し、自国民の生命・財産を守るためには、自前で防衛力を常に十分なものに保つ必要があることになる。日本に限らず、どこの国も、当たり前のことであるが、自国民の利益が第1であり、外国人の利益は第2である。
自国民の利益を守るためには、周辺の危険な国が日本に対し「今攻撃すれば勝てる」と思わせないことが一番重要である。つまり、戦争という手段をとることを決意させないことが肝要ということである。それには、すぐに我が国の防衛費を現在の2倍に増額する必要がある。防衛費を2倍に増額し、防衛のための装備品も充実させる必要がある。一口に装備品の充実といっても、数年間で完全にできるはずがない(これは常識である。)。急いでも5年~7年程度はかかってしまうのである。
最近も、例によって間違った意見を掲載している新聞がある。それは岐阜新聞である。岐阜新聞の9月3日付けの社説には「軍拡競争に突き進むのか」という見出しがあった。この記事を執筆していると推測される共同通信社の人物は、よほど軍事力がお嫌いなようである。日本学術会議の連中(ただし法文系)と思想を同じくしているとみるほかない。しかし、このような間違った意見に対しては正当な批判を加え続ける必要がある。

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