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弁護士日記

弁護士日記

賠償金額が2.1倍になった

2011年05月27日

 私が代理人を務めている交通事故の裁判において、裁判所で和解が成立した事件があるので、参考までにご紹介しようと思う。今回の依頼者は、佐藤さんという女性である(ただし。仮名である。)。
 佐藤さんは、いわゆる高齢者に当たるが、事故前は非常に元気な方であった。自分で自転車に乗って遠方に出かけられるほどの健康体の方であった。
 ところが、自転車に乗って外出された際に前方不注視の車にはねられて、路上に転倒されて大怪我を負われた。怪我の方は、命は何とかとりとめたものの、自力で歩行するのも困難な後遺障害が残ってしまった。さらに悪いことに、事故で頭部を強打されたことによって、高次脳機能障害も残ってしまった。
 その後、自賠責保険によって後遺障害等級認定が行われ、併合2級という結果を受けた(内訳は、高次脳機能障害の分が3級3号で、身体的機能の障害の分が10級11号及び12級5号である。)
 損保会社から賠償金の提示があり、示談が成立すれば3,106万円を支払うという申出があった。しかし、家族の方がその内容に疑問を持たれ、当事務所にご相談があった。私が提示内容をみたところ、金額的にみて賠償額が少なすぎるという判断を下した。
 そこで、昨年の夏に名古屋地裁に裁判を提起したのであった。大きな争点は、第1に、過失相殺の有無であり、第2に、将来介護費用であった。
 裁判が始まってから、加害者側(損保側)は、最終的に過失相殺は10パーセントを主張してきた。また、介護費用については、日額2,000円から3,000円という問題外の低額を主張してきた。
 これに対し、被害者側(原告)は、過失相殺はゼロであると主張した。また、介護費用は、日額10,733円を主張した。
 さて、裁判所の和解案は、加害者が6,694万円を支払うというものであった。そのうち、焦点となっていた上記の点について、裁判所の見解は、次のようなものであった。第1に、過失相殺はゼロとみる。その理由として、事故態様からみて過失ゼロと考えるのが相当とされ、また、原告にどのような過失があったかを被告が立証していないという点があげられた。
 第2に、介護費用については、日額8,945円を認めるというものであった。その理由として、全部の介護のうち、職業介護人による介護が65パーセントを占め、家族介護が35パーセントを占めるという根拠が示された。
 以上のことから、過失相殺率ゼロについては原告の主張が認められ、また、介護費についても、日額約9,000円に近い金額が認められ、原告の主張に極めて近い和解案が提示されたのであった。損保側の主張である介護日額2,000円から3,000円という主張が、いかに被害者の権利を軽視した、常識から外れた不当なものであるかが、ここではっきりしたのである。
 しかし、加害者代理人は、この和解案を受諾した。加害者代理人として、裁判中において正当なものであると主張していた金額の4倍から3倍に当たる金額であるにもかかわらず、これを受諾したのである。
 このことからも、私が以前から何回も指摘しているように、交通事故裁判における損保側の主張が、実にいい加減なものであるかが浮き彫りになった一事例といえよう。
 原告側は、この和解額は妥当なものであると判断し、また、訴訟を早期に終結させることが依頼者の救済に繋がるとの判断から、裁判所の和解案を受諾したのであった。
 このようにして、裁判上の和解の結果、当初の損保の提示賠償額3,106万円が6,694万円となった。金額にして3,588万円の増加、倍率にして2.1倍の増加率となった。
 以上、実務上の参考事例としてご紹介させていただいたものである。

日時:13:15|この記事のページ

原子力損害賠償法の解釈と東京電力の賠償責任

2011年05月20日

 前回の弁護士日記でも触れたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災による巨大津波によって東京電力の福島第一発電所が壊れた。それによって放射能汚染による損害が生じた場合に、果たしてその賠償責任を東京電力が負うべきかという問題については、法的な疑義がある。
 政府の発表、新聞、テレビなどの全ての情報発信者が、何の疑問もなく東京電力には損害賠償責任があることを当然の前提としている。それを真に受けて、被害を受けたと主張する人々も、東京電力に損害賠償責任があると信じているようである。賠償責任があることを前提に賠償金の迅速な支払を東京電力に求めている。
 しかし、そのような要求は、法的に見て妥当なものであろうか?我が国においては、民事上の権利義務の存否を判断するのは、最高裁判所を頂点とする司法府(裁判所)であって、菅内閣すなわち行政府ではない。この一番重要な点を、誰もが忘れている。
 原発の放射能漏れを原因として損害を受けたと主張する人々が、東京電力を訴えて民事裁判が開始された場合、果たしてどのような結果が出るかは未定なのである。
 ここで、原子力損害の賠償に関する法律の解釈が問題となる。確かに、原子力損害賠償法の3条には、原子力事業者が損害賠償の責任を負うと定めてある。また、この責任は、原子力事業者つまり東京電力に、事故を起こしたことについて、過失があろうとなかろうと生じる責任である。いわゆる無過失責任である。
 しかし、その損害が「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」によって生じたものである場合は、免責されるとも定めてある。
 そのため、第一に、今回の津波が、果たして「異常に巨大な天災地変」に相当するか否かが争われる。東京電力の法的見解は、福島第一原発の事故の場合は、これに当たるというものである(2011年5月19日付け中日新聞夕刊10面には、都内の男性が、福島第一原発事故で精神的苦痛を受けたと主張した東京簡裁での裁判において、被告の東京電力は、異常で巨大な天災への対策を講じるべき義務があったとまではいえないという答弁を行ったと書いてある。)。
 この点については、見解が分かれるものと思われる。否定説として、遠い昔の時代から巨大津波が発生していた歴史があったのであるから、今回の津波も当然予想できたという立場があり得る。
 これに対し、肯定説としては、東京電力は、国の示した原発施設の安全基準に従って設備を備えていたのであるから、その基準を超えた津波は起こらないと解釈してもよいはずであり、今回の津波は、予想外の異常に巨大な天災地変に相当するという立場があり得る。
 では、いずれの立場が妥当か?その問題を考えるに当たり、国家賠償法2条の公の営造物責任の解釈を参考にすることが賢明である。仮に、福島第一原発が国営の原発であったとしたら、特別法で別段の定めをしない限り、国家賠償法2条が適用されることになる。
 国家賠償法2条の国の責任も無過失責任であると考える立場が通説である。では、無過失責任であるから、どんな場合であっても、国が賠償責任を負担してくれるのかというと、実はそうではない。条文上、「設置又は管理の瑕疵」がある場合に限って責任が生ずるとされている。そして、設置又は管理の瑕疵がある場合とは、最高裁の判例によって、公の営造物(河川、道路、ダム、建物等)が、「通常、有すべき安全性」を欠いた場合でなければならないとされている。
 通常有すべき安全性を備えていた限り、例えば、たまたま堤防が決壊して周辺住民の家屋が河川の濁流によって破壊され、多大の被害が出たとしても、堤防を管理していた国は一切の法的責任を問われないのである。
 そうすると、国が示した安全基準を備えていた福島第一原発には瑕疵はなく、今回の巨大津波が、異常に巨大な天災地変に当たると解釈するのが妥当ということになる。
 結論として、東京電力には、法的な損害賠償責任はない、と私は考える。しかし、仮に東京電力がそのような論理を唱えようものなら、政府及び世論の袋叩きに遭って、会社が潰される危険があるため、政府の行政指導に従順に従っているだけのことなのである。まさに、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えるしかないのである。
 まして、金融・経済政策が余り分かっていない弁護士出身の枝野官房長官が、金融機関に対し、債権放棄を促す発言をしているのは、異常というほかない。
 仮に、銀行が、東京電力に対する債権放棄をした場合、以後、東京電力に融資をする金融機関はなくなり、その結果、東京電力は経営危機に陥り、倒産に至ることも十分あり得るのである。
 そのような事態が生じた場合、福島第一原発の被害者は、損害賠償をほとんど受けられなくなる危険が一挙に高まる。徳川時代の棄捐令のようなおかしな政策を持ち出して、これを撤回しようとしない枝野長官には、政治家としての重要な資質が欠けていると見てよいであろう。

日時:17:56|この記事のページ

東日本大震災と東京電力の賠償責任

2011年05月09日

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から生じた巨大津波によって東京電力の福島第一発電所が壊れ、放射能の汚染の問題が発生した。放射能汚染を原因とする損害賠償責任について誰が負担するのかという問題がある。
 この点について、現在、国の原子力損害賠償紛争審査会が検討中とのことである。 
 問題の焦点は、東京電力が全部の損害賠償責任を単独で負うことになるのかどうかであるが、現在の政府の方針は、第一次的賠償責任は東京電力にあるが、東京電力だけでは賠償金をまかないきれない場合には政府が財政的な支援を行うという方向である。
 私にいわせれば、国が財政支援をするのは当然のことである。なぜかといえば、今回の放射能汚染は、大震災から生じた巨大津波に原因があるといえるからである。東京電力の人為的ミスによってこのような事態が生じたものではないからである。
 さらにいえば、東京電力は、自民党政府の時代から国策としての原子力発電に協力をしてきた。また、国の原子力安全保安院の示す安全基準を守ってきた。法律的にいえば、自分の落度がないにもかかわらず、賠償責任だけを負わされている状態であって、このような状態は尋常ではない。
 また、東京電力は民間企業である。しかし、電力供給という国民の生活又は企業活動に直結する重要な役割を担っている企業である。地域独占が認められていることをも考えると、公営企業の性格が色濃いのである。
 したがって、国民としては、東京電力が民間企業として今後も存続できる形を保証してやる必要がある。仮に、「東京電力はどうなってもよいが、電力の供給だけは確実にするべきだ」などという虫の良い考え方があったとしたら、考え違いも甚だしい。
 電力会社の経営がおかしくなるということは、電力の供給も不安定になるということなのである。例えば、真夏の昼間の高温時に電力の供給が急に途絶えて、地域の住民が大変な目に遭うということなのである。だが、そのようなことはあってはならない。
 そのためには、電気料金の値上げもやむを得ない。われわれ国民は、値上げされた電気料金を支払うという形をとって、放射能汚染による被害を受けた方々を援助するべきだと考える。
 ところが、テレビのニュース番組などをみていると、「国民としては電力の値上げに理解を示すことは難しい」などというおかしなコメントを聞くことがある。しかし、このような考え方は、間違いである。国民が、快適な生活を維持したいと希望するのであれば、それ相当の負担をする覚悟が必要であると私は考える。

日時:17:10|この記事のページ

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