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弁護士日記

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原子力損害賠償法の解釈と東京電力の賠償責任

2011年05月20日

 前回の弁護士日記でも触れたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災による巨大津波によって東京電力の福島第一発電所が壊れた。それによって放射能汚染による損害が生じた場合に、果たしてその賠償責任を東京電力が負うべきかという問題については、法的な疑義がある。
 政府の発表、新聞、テレビなどの全ての情報発信者が、何の疑問もなく東京電力には損害賠償責任があることを当然の前提としている。それを真に受けて、被害を受けたと主張する人々も、東京電力に損害賠償責任があると信じているようである。賠償責任があることを前提に賠償金の迅速な支払を東京電力に求めている。
 しかし、そのような要求は、法的に見て妥当なものであろうか?我が国においては、民事上の権利義務の存否を判断するのは、最高裁判所を頂点とする司法府(裁判所)であって、菅内閣すなわち行政府ではない。この一番重要な点を、誰もが忘れている。
 原発の放射能漏れを原因として損害を受けたと主張する人々が、東京電力を訴えて民事裁判が開始された場合、果たしてどのような結果が出るかは未定なのである。
 ここで、原子力損害の賠償に関する法律の解釈が問題となる。確かに、原子力損害賠償法の3条には、原子力事業者が損害賠償の責任を負うと定めてある。また、この責任は、原子力事業者つまり東京電力に、事故を起こしたことについて、過失があろうとなかろうと生じる責任である。いわゆる無過失責任である。
 しかし、その損害が「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」によって生じたものである場合は、免責されるとも定めてある。
 そのため、第一に、今回の津波が、果たして「異常に巨大な天災地変」に相当するか否かが争われる。東京電力の法的見解は、福島第一原発の事故の場合は、これに当たるというものである(2011年5月19日付け中日新聞夕刊10面には、都内の男性が、福島第一原発事故で精神的苦痛を受けたと主張した東京簡裁での裁判において、被告の東京電力は、異常で巨大な天災への対策を講じるべき義務があったとまではいえないという答弁を行ったと書いてある。)。
 この点については、見解が分かれるものと思われる。否定説として、遠い昔の時代から巨大津波が発生していた歴史があったのであるから、今回の津波も当然予想できたという立場があり得る。
 これに対し、肯定説としては、東京電力は、国の示した原発施設の安全基準に従って設備を備えていたのであるから、その基準を超えた津波は起こらないと解釈してもよいはずであり、今回の津波は、予想外の異常に巨大な天災地変に相当するという立場があり得る。
 では、いずれの立場が妥当か?その問題を考えるに当たり、国家賠償法2条の公の営造物責任の解釈を参考にすることが賢明である。仮に、福島第一原発が国営の原発であったとしたら、特別法で別段の定めをしない限り、国家賠償法2条が適用されることになる。
 国家賠償法2条の国の責任も無過失責任であると考える立場が通説である。では、無過失責任であるから、どんな場合であっても、国が賠償責任を負担してくれるのかというと、実はそうではない。条文上、「設置又は管理の瑕疵」がある場合に限って責任が生ずるとされている。そして、設置又は管理の瑕疵がある場合とは、最高裁の判例によって、公の営造物(河川、道路、ダム、建物等)が、「通常、有すべき安全性」を欠いた場合でなければならないとされている。
 通常有すべき安全性を備えていた限り、例えば、たまたま堤防が決壊して周辺住民の家屋が河川の濁流によって破壊され、多大の被害が出たとしても、堤防を管理していた国は一切の法的責任を問われないのである。
 そうすると、国が示した安全基準を備えていた福島第一原発には瑕疵はなく、今回の巨大津波が、異常に巨大な天災地変に当たると解釈するのが妥当ということになる。
 結論として、東京電力には、法的な損害賠償責任はない、と私は考える。しかし、仮に東京電力がそのような論理を唱えようものなら、政府及び世論の袋叩きに遭って、会社が潰される危険があるため、政府の行政指導に従順に従っているだけのことなのである。まさに、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えるしかないのである。
 まして、金融・経済政策が余り分かっていない弁護士出身の枝野官房長官が、金融機関に対し、債権放棄を促す発言をしているのは、異常というほかない。
 仮に、銀行が、東京電力に対する債権放棄をした場合、以後、東京電力に融資をする金融機関はなくなり、その結果、東京電力は経営危機に陥り、倒産に至ることも十分あり得るのである。
 そのような事態が生じた場合、福島第一原発の被害者は、損害賠償をほとんど受けられなくなる危険が一挙に高まる。徳川時代の棄捐令のようなおかしな政策を持ち出して、これを撤回しようとしない枝野長官には、政治家としての重要な資質が欠けていると見てよいであろう。

日時:17:56|この記事のページ

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