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弁護士日記

弁護士日記

産経新聞の「正論」を読んで

2015年01月21日

 昨年、私は所用があって東京に行ったことがあるが、その際、旧知の友人の弁護士と酒を飲みながら夕食を共にした。その際、我が国の防衛問題に話が及んだ。その友人の弁護士は、「安倍政権は危険な方向に進んでいる」との見解を開示した。
 その見解を聞きとがめた私は、「何が危険なのか」と問うた。すると、友人の弁護士は、「我が国が、このまま軍事費を増大させると戦争の危険が高まる。平和が大切だ」という。これに対し、私は、「適正な軍事力を整備することこそ、戦争を起こさせないために必要不可欠ではないか」と反論した。
 すると、友人の弁護士は、「そのようなことになったら、軍備の拡張競争が起こって、ますます戦争の危険が高まる」と再反論してきた。
 結局その日は、議論をしても収束することなく、夕食を終えた。
 年が明けて、産経新聞の平成27年1月14日の朝刊を見た。すると、まさに、昨年友人の弁護士と議論していた論点が明解に書かれていた。そこで、要点のみ紹介させていただく。産経新聞の紙上で「正論」を書かれていたのは、防衛大学校教授の村井友秀氏であった。
 氏は、最初に、国の安全保障の面から見て、脅威となる国の定義を示す。脅威となる国とは、面積・人口・経済力が大きく、地理的にも近く、攻撃能力があり、攻撃意図もある国であると定義する(これを「脅威均衡論」という)。その上で、氏は、米国、ロシア、中国、北朝鮮、韓国の5つの国家について検討を加える。
 そして、5つの国のうち、中国のみが脅威となる国に該当する、と結論付ける。特に重要なポイントは、攻撃意図があるか否かである。中国は、我が国の固有の領土である尖閣諸島の領海内に恒常的に艦船を入れて、我が国の領海を侵犯し続けている。これは、我が国に対する明確な攻撃意図があることの、動かぬ証拠である。
 ここで、氏は、攻撃意図を有した強大な国家(中国)に隣接する国がとるべき選択肢は2つに限られるとする。一つは追従(バンドワゴン)であり、他のものは均衡(バランス)であるとする。
 そして、仮に、我が国が、前者の立場をとったとしたら、(中国・韓国・北朝鮮)以外のアジア諸国は失望し、さらに、我が国はこれらの国から軽蔑されることになるであろうと予測する。私も同感である。そのような道を選択することは、我が国が衰退することを意味する。
 氏は、我が国が選択する立場は、後者しかないと結論付ける。私も同じ考え方である。
 ここで、氏は、「均衡」の意味を示す。均衡とは、軍事バランスを維持することである。確かに、自分が所属する国家が、軍事的に不十分なままでは、強大な軍事力を有する国家からの要求を断ることはできない。無体な要求を拒絶できるのは、ひとえに相手国に対し戦争を思いとどまらせるだけの軍事力がある場合に限定されるのである。つまり、いったん戦争を起こしたら、攻撃を開始した国も甚大な損害を受けることを覚悟しておかないといけない、という風に理解させることが必要だということである。
 氏は、このような軍事力を均衡させるため軍事力を増強すれば、我が国と中国との間に軍拡競争が起こり、そのために国家の予算を使うことは、日中双方にとって相当な負担になるであろうと分析する。
 氏は、しかし、軍事力を均衡させることで、平和が維持されるのであれば、「日本はより小さなコストを選ぶべきである」と述べる。つまり、中国が、我が国を攻撃した場合は、戦争が始まるのであるが、その場合に発生するコストよりも、軍事力を整備するためのコストの方が小さいのであるから、そうするべきである、と結論付けるのである。
 私も全く同感である。いったん戦争が始まれば、我が国に巨大震災が発生した場合の数倍以上の巨大な損害が我が国に生ずることは明白である。そのようなことは、決してあってはならない。
 世の中のいわゆる「平和主義者」たちは、我が国が先に戦争を起こしてはならないということばかり心配するが、非常に認識が甘い。視野が余りにも狭すぎる。実際には、中国が、我が国に対し戦争を仕掛けてくる確率の方が何十倍も大きいのである。そのことは、中国の軍事予算が、毎年物凄い伸び率を示していることからも明らかである。
 私としては、我が国は、今後も防衛費を着実に増大させることによって、しっかりと国土の守りを固め、中国に対し、日本を侵略する気を起こさせないことが一番肝要と考える。
                                   以上
          

日時:13:20|この記事のページ

名古屋に事務所を構えて20年が経過した

2015年01月07日

 私が弁護士になったのは、平成2年の4月のことであった。その後、すぐさま現在の弁護士法人愛知総合法律事務所での5年間にわたる勤務弁護士生活を経て、平成7年4月に現在の地に自分の事務所を構えた。今年の3月で、まる20年を迎える。
 弁護士は、自分の依頼者の利益を最大限に実現することが使命だといわれる。これは基本的に正しい。しかし、反面、自分の依頼者の要望が、社会の一般常識からかけ離れたものである場合、あるいは社会正義に反するものである場合は別である。
 そのような要望に応えることはできない。なぜなら、そのような要望の実現に弁護士が協力することは、弁護士の本来の使命(人権の擁護)に反する結果を招き、ついには社会の人々の信頼を失ってしまうことになるおそれがあるからである。
 私の場合、自分の基本的方針に会わない依頼は、仮にこれを引き受ければ多額の金銭的報酬が期待できる事件であっても、全部お断りすることにしている。受任の段階で、依頼の内容をふるいにかけ、自分の納得のいくものだけを受任するようにしている。そのような作業を経ているからこそ、一件、一件の事件に対し、普通以上の多くのエネルギーを注ぐことが可能となるのである。
 私が断ることにしている依頼者とは、例えば、周囲の人々に多大の迷惑を及ぼしているにもかかわらず、その事実から目をそらし、自分を何とか正当化しようとしている自己中心的な人物又は団体である。かつて昭和の時代に大きな社会問題となった公害企業がこれに当たろう。このような人物又は団体の利益を積極的に擁護することは、私の場合はないのである。
 ただし、近年、弁護士人口が短時間に激増した結果、弁護士同士の競争が激化している。そのため、弁護士業も、一時代前の「社会正義の実現に努力する」という理念だけでは成り立たなくなっているようにみえる。したがって、今後は、損得勘定をも考慮した商人的な発想も必要とされよう。時代の変化といってしまえばその通りであるが、何か割り切れないものが残る新年である。
                              

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