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弁護士日記

弁護士日記

賠償金額が2.1倍になった

2012年01月26日

 ちょうど1年前の1月下旬に事件処理の依頼のあった被害者の方の事件が昨日解決した。したがって、委任から1年未満で事件が解決したということになる。
 この方は、比較的若い年齢の方であったが、オートバイで名古屋市内を走行中に、交差点内で車線変更してきた車と衝突し、後遺障害等級10級10号の認定を受けた。かなり長い期間にわたって治療を受け、平成21年10月に症状固定した。
 この事件のポイントは、交差点内で車線変更して本件事故の原因を生み出した加害者と、オートバイをそのまま進行させていた被害者の過失割合がどのくらい認められるかという点である。
 被害者である依頼者は、事故によって記憶が失われてしまっており、事故態様に関する立証がうまくゆくか、という点がやや心配であった。しかし、私の主張は、交差点内で後方の確認をしっかりとしないで車線変更してきた加害者つまり被告に100パーセントの責任があるという主張であり、これを一貫して維持した。
 これに対し、被告の代理人弁護士は、原告である被害者にも20パーセントの過失があると主張し、その結果、双方の主張が対立したのであった。
 私としては、原告の主張を記載した詳しい陳述書も用意して、原告である被害者の方の尋問を申請していたのであるが、裁判期日において、裁判官から、「本件は和解で解決するのが妥当と考えます」という意見が出た。
 このような場合、私は、かねてより、被告代理人弁護士が、ある程度の常識を備えている人物の場合は、和解には応じるという姿勢をとっている(もちろん、和解案を受諾するには、裁判官の提示する和解案ないし金額が、私の考える許容範囲内に収まっている必要はあるが。)。
 反対に、裁判において、客観的証拠もないのに、事実に反するでたらめな主張を繰り返したり、あるいはまじめに訴訟活動をしようとしない横着な被告代理人弁護士が相手の場合は、仮に裁判官から和解勧告があっても、一切応じないことにしている。そのような低レベルの輩と和解することには抵抗感があるからである。
 今回の被告代理人弁護士は、常識を備えた人物とお見受けしたので、私も和解に応じることにしたものである。和解案の内容であるが、弁護士には守秘義務があるので詳細を明らかにすることはできない。しかし、裁判官の示した過失割合は、原告が5で、被告が95というものであった。この裁判官の和解案には、双方とも一発で同意し、昨日、和解が成立したものである。
 ちなみに、提訴前の損保会社の支払提示金額は1327万円であった。
 これに対し、裁判所で決まった和解金額は2880万円であった。したがって、被害者の方が裁判を行ったことによって、賠償金は、2.1倍に増加したことになる。
 この結果には依頼者も満足された。私としては、今後も、すべての事件について、苦しんでおられる交通事故被害者の側に立って、ご依頼のあった事件を丁寧に解決する方針であることに変わりはない。
                            

日時:16:52|この記事のページ

議員定数は、半減すべきだ

2012年01月20日

 最近になって、民主党は、衆議院議員の定数を比例で80人、小選挙区で5人減らす法案を用意していると新聞報道等で知った。しかし、これは余りにも生ぬるい削減案である。私の見解によれば、衆議院議員、参議院議員とも、定数は今の半分程度で十分である。「今国会議員業を営んでいる人間の半分は全く不要だ」ということである。
 そもそもなぜ国家に国会議員が存在するかといえば、行政府つまり内閣が勝手なことをして国民に不利益を及ぼさないように行政を監視するためである。あるいは、民意を国政に反映させるためである。
 ところが、現在の国会議員を見ていると、自分が議員という特権階級になるべく長くとどまりたいために、いろいろな活動を行っているとしか思えない。庶民の願っていることを実現することは、二の次であって、まずは自分の特権的身分を確保することが第一というふうに考えているとしか思えないのである。
 では、なぜそのように言えるのか?果たして根拠はあるのかという点が問題となる。答えは、「根拠はある」ということである。以下述べる。
現在、一番重要な政治課題は、消費税率のアップ問題である。野田内閣は、今、本気で消費税率を上げようとしている。
 消費税率アップについては、いろいろな意見がある。私は、消費税率を上げることはやむ得ないと考える。年々増大する社会保障費を賄うには、もはや国債の発行つまり、国が借金を続けるということは限界にきていると考えるからである。
社会保障費を国債発行で賄えないとしたら、選択枝は二つしかない。社会保障費を削るかつまり福祉サービスの低下を認めるか、あるいは今のままの福祉水準を維持するために税金を増額するか、である。国民は、いずれも「嫌だ」と思うに違いない。しかし、どう考えてみても二者択一しかないのである。そこで、私は、税金の増額つまり消費税率を上げるという手段を選ぶ。
 やや話が逸れたが、ここで一番重要なことは、消費税率を上げる前に、国、より正確に言えば国民からお金(税金)をもらって生活している人々つまり公僕に対し、不利益の一部を引き受けることを求めることである。これは、自ら「身を切る」ということである。つまり、公務員の給与を引き下げ、同時に、国会議員の特権的身分を見直すことである。
 特に、国会議員は、議員報酬以外にも政党交付金、低廉な賃料による議員宿舎の提供、交通通信費の支給など、全部合計すると、議員一人当たり年間約1億円の税金を使っていることになる。
 こんなに国会議員の身分が経済的に恵まれた国は、世界の民主的な先進国のどこを見てもないと言ってよい。このように、世界標準からすればトップレベルの恵まれた特権を享受しているのが、日本の国会議員なのである。
 では、日本の特権階級に位置する国会議員が、それに見合うまともな仕事を日々しているかといえば、私には到底国民のために働いているとは思えない。国会議員が、日々まともな活動をしていると評価するためには、彼らの活動によって国民が大いに助かっている、あるいは利益を受けているという結果が出ていなければならない。しかし、そのような実感は私にはない。
第一、ろくに専門知識も優れた見識もないような素人が、たまたま政党の名簿に登載されていたという理由だけで、ある日、幸運にも国会議員になっても、まともな政治活動など出来るはずがない。一般国民よりもレベルの低い人間が政治家になっても、すぐにそれなりの成果を出すことなど最初から期待出来ないのである。
 したがって、国会議員は、本当に知識、見識、実行力等を具備した人だけがなるべきであって、その他の大半の陣笠議員など不要というべきである。これらの人々に無駄な国家予算を付けることは、どぶに大切な税金を捨てるようなものである。
 仮に、無駄な国会議員定数を100人減らせば、年間100億円が浮くことになる。200人減らせば200億円である。
 以上、私が、国会議員の定数を半減させるべきであると考える根拠を簡単に述べた。
ところが、野党は、前記民主党の法案に強く反対している。
では、一体、野党は、比例代表での選出議員という訳の分からぬ人物の議席を80人減らすことに、なぜ反対するのか?野党の幹部からは、比例の80人を減らしたら、少数意見が抹殺されることになるという反対論が唱えられている。
しかし、小選挙区制という選挙制度を是として採用している以上、少数党の意見が反映されなくなることは、最初から分かっていた話である。また、民主主義の根本は、多数意見が最後には政治的決定権を持つということである。したがって、少数意見が切り捨てられるのも、結局は、民意のなせるわざであるというほかない。
 ただ、私は、小選挙区制には根本的に反対である。定数2人から4人程度の中選挙区制が我が国には一番好ましいと考えている。それが私の昔からの持論である。

日時:16:36|この記事のページ

高中正彦著「判例 弁護過誤」を読んで

2012年01月10日

 昨年の12月から今年の初めにかけて、高中正彦弁護士が著した「判例 弁護過誤」(弘文堂)を通読した。本書の構成は、「緒論」と「過誤事例」から成る。緒論には原理原則が丁寧に書かれている。また、過誤事例には、いろいろな場合が細かく論じられている。
 緒論には、我々弁護士が日頃気をつけなければならない点が、格言方式で掲載されている。弁護過誤に陥らないための留意点が書かれている。ここで、高中氏が説かれる7つの要点について、順次紹介したい(本の8頁から12頁まで参照)。
 第1条 「むやみに人を信用するな」
 ここでは、弁護士がその職務を遂行するに当たり、依頼者(又は第三者)の主張することを鵜呑みにして頭から信用することの危険性が書かれている。依頼者の利益を図って職務を遂行するということと、依頼者の言うことをそのまま信用するということとは、根本的に違う。
 我々弁護士は、ともすると、依頼者の言い分を額面通りに受け取ってしまう傾向がある。しかし、客観的な状況や証拠に照らすと、その言い分が嘘であることが後になって判明するということは、しばしばあり得ることであって、この点は十分に気を付ける必要があろう。そうしないと、ピエロのような役回りをさせられてしまう危険がある。
 また、場合によっては、相手方などから非難を受けることにもなりかねず、この点は、いくら強調してもしすぎることはないと言うべきであろう。
 第2条 「こまめな報告はあらゆる過誤を根絶すると知れ」
 依頼者と弁護士の信頼関係を維持するには、連絡を迅速に行うことが重要であると、高中氏は説かれる。報告が遅れると、信頼関係にひびが入る可能性がある。この点は、私も日頃から留意していることである。そこで、原則的に、重要な報告は、内容を書面化して送付することにしている。
 第3条 「カッカとするな(常に冷静であれ)」
 弁護過誤事例のうち、相当数が名誉棄損がらみのものとなっている。私の経験に照らしても、相手方の作成した準備書面の内容に立腹したことが何回もあった。しかし、高中氏は、この点を戒めている。「カッとなった結果、いわなくてもいいことをいったり、書面に記載したために、不法行為訴訟の被告となってしまった例は多い」と指摘している。
 私の場合は、相手方から極めておかしな内容の準備書面が出たような場合、私の闘争心に火が点くことが多い。私としては、その事件に対し、普通の事件の何倍かの精力をそそぐことになるから、余計なことを言った相手方は、わざわざ不利益を招く結果となる。
 第4条 「説明の腕を磨け」
 高中氏は、ここでは、弁護士たる者、確かな法律知識と実務経験に裏打ちされた分かりやすい言葉で依頼者に説明をするべきであると、説かれる。私も同感である。
 第5条 「すべての事件について手を抜くな」
 高中氏の説かれるところは、当然のことであろう。
 第6条 「カネに魂を売るな」
 弁護士業は、いわゆる自由業であって、同じ法曹であっても、裁判官や検察官と異なって収入の保障がない。したがって、自分や家族、従業員の給料は、弁護士自身が稼いで用意する必要がある。
 しかし、だからといって、金儲け主義に走ってよいということではない。ただし、過去何年間にわたる、合理的根拠を欠く「法曹人口激増政策」によって、世の中に不要な弁護士が多く誕生している。今後、上記政策が是正されない限り、金儲け主義に走る弁護士が年々増加するのではないかと危惧される。
 第7条 「謙虚であれ」
 弁護士は、他人からしばしば「先生」と呼ばれることがあるので、何か自分が偉い人物と評価されているのではないかと勘違いすることが大いにあり得る。特に、社会人経験を全く経ずに、学生からそのまま弁護士になったような、いわゆる「優秀な弁護士」は、特に要注意である。
 私の経験に照らしても、弁護士と、それ以外の職業に就いている人々との間に、法律的知識・実務知識を除けば、人間的な違いは、全くないと言ってよい。
 以上、高中氏の著作を紹介させていただいた。我々弁護士にとって、極めて有用な書物であると考えるので、広く、お勧めしたい。   
            

日時:17:12|この記事のページ

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