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弁護士日記

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意味不明、岐阜新聞「分水嶺」

2022年12月18日

 今年も、いいいよ2週間を残すのみである(2022・12・18現在)。私事であるが、2023年の年賀状は、既に全部投函した。残る仕事は、家の大掃除をするくらいである。
 さて、これまでも折に触れて述べているが、私は、産経新聞と岐阜新聞を定期購読している。
 産経新聞の購読目的であるが、国家的見地に立って、我が国の国益に沿った正しい情報を仕入れるための手段として活用している。しかし、産経新聞にも欠点があり、地元のことが全く紹介されていない。
 次に、岐阜新聞であるが、ローカルな新聞であるから、政治状況を正しく見る目を養う道具としては全く役立っていない。しかし、岐阜県に関する細々とした記事は満載であり、地元の動きを知るためには極めて有用である。例えば、岐阜市薮田において、岐阜県の新庁舎(本庁)が完成し、お披露目式が昨日あった。テレビでも報道されていたが、新庁舎は、以前の旧庁舎と比べ、別物と言い得る威容を誇っており、非常に立派で重厚なものという印象を受けた。問題は、2023年の1月から新庁舎で働くことになる県職員の能力又は意識のレベルであり、この点が、これからの課題となろう。
 さて、岐阜新聞には一面に「分水嶺」というコラムがある。いろいろな話題を取り上げているが、こと政治に関する限り、一貫して左翼政党の主張に沿った内容となっている。本日の内容とは、今話題となっている反撃力についてである。論旨は、結論として、反撃力について否定的な評価となっている。
 ここで「分水嶺」の内容を分解してみる。「ロシアによるウクライナ侵略(・・・)中国や北朝鮮のミサイル技術の高度化に国民の不安が高まっているとはいえ、国民的な議論はない」とある。
 第1に、この筆者は、国民的な議論はないと断定するが、一体、筆者のいう「国民的議論」とは何を指すのか、全く不明である。なぜなら、国会で各党による質問があり、政府は、これに答弁しているからである。国会は、国民の代表機関であるから、国会での質疑・応答を通じた議論があれば、国民を含めた議論が事実としてあったことになるはずである。
 第2に、筆者のいう「国民的な議論」が、国会の外におけるものを指すのであれば、筆者の方から具体的に言及がないとおかしい。まさか、ごくごく一部の左翼の連中による国会外のデモ行進のようなものを想定しているとしたら、考え方がズレていると言うほかない。
 第3に、政党が掲げる政策とは、まず、衆参の議員選挙において、公約として示される。民主政治は、それを受けて有権者がその是非を判断し、信頼できると感じた政党に投票するというシステムになっている。防衛力の強化という公約は、確か、前の参議院議員選挙で自民党が掲げていた公約ではなかったのか?選挙で自民党が多数の支持を得て勝利し、結果、政権を握っているのであるから、岸田内閣において、反撃力の強化を掲げた具体的な政策が出てきても自然なことである。筆者は、そのような適法な過程も否定しようとするのか?
 第4に、そもそも政策とは、国民の方から出てくるものではない。ほとんどすべてがトップダウン型なのである。例えば、国民が嫌う消費税についても、決して、国民の方から「消費税を検討してはどうか」という議論が巻き起こったのではない。国民から税金を取ることを究極の使命と考える財務省が、政権に働きかけをして、「知恵」を付け、納得した時の政権がそれを政策として採用し、選挙で信を問い、やがて法律として成立するというものである。
 反撃力も構図は同じであり、世界情勢に詳しくない国民の方から、「反撃力の是非を検討してはどうか」などという議論が起きるわけがないのである。「分水嶺」の筆者は、そのような道理が分かっていない。あるいは実はよく分かっているのであるが、「分水嶺」を読む読者には理解できないだろうとタカをくくって、このような表現をとったのかもしれない。
 次に、「分水嶺」の筆者は、「反撃することでさらに緊張が高まり、事態がエスカレートしないかという不安は首相の説明では拭えない」とも記載する。この考え方は、立憲民主党の末松議員の国会での質問と似ている。完全に間違った考え方(愚論)であると断定できる。
 なぜなら、この立場によれば、結局、反撃をしないことが好ましいという結論に至るからである。中国・ロシア・北朝鮮が、大喜びする立場であり、おそらく「もっと反日世論工作に励んでくれ」とほくそえんでいることであろう。中国・ロシア・北朝鮮という国は、国際法を無視するという基本的性格を有する国である(ところが、自分に有利になる場面では、他国に「国際法を守れ」と要求する一面もあり、根底から信用できない無法者国家というほかない)。また、独裁者が、強権をもって意のままに国を動かす専制国でもある。さらに、他国との外交交渉がうまくいかないときは、軍事力の行使によって国益を実現することをためらわない好戦的な国である。
 日本が反撃力を持たないことは、すなわち、このような無法者国家のやりたい放題を黙認するということである。無法者国家の立場に立てば、仮に自国が日本を先制攻撃すると、今度は、逆に日本から反撃されるということになれば、日本に対する先制攻撃を差し控えるという効用が生じる。つまり、世界平和が維持できる。
 次に、日本が反撃をした場合、「分水嶺」の筆者は、「事態がエスカレートしないか」という。筆者のいう「エスカレート」が何を指すのかは必ずしも明確でないが、推測するに、無法者国家が、我が国の反撃に激高して、さらに大規模な攻撃を日本に対し行うという状況を指しているように思える。しかし、いったん戦争となれば、このような事態が起こり得ることは、当たり前の常識であり、そのようなことは政府もよく分かっている。
 戦争になれば、事後予測は不可能であり、「負けるか、勝つか」の二者択一が基本となる。したがって、先に日本に攻撃を仕掛けた無法者国家を打ち破る以外に解決策はないのである。講和もあるが、講和=平和ということではない(内容次第では国土を奪われることにもなりかねない)。したがって、日本としては、日米の安保条約に基づく防衛力の強化によって、負けない国力を涵養・発展させることが一番重要となる。 
 なお、筆者の言う「エスカレート」という言葉の意味が、仮に無法者国からのわが国に対する核攻撃を意味すると仮定した場合、我が国としては、そのような非常事態の到来を未然に防止するため、アメリカが保有する核兵器の使用を前提とする防衛計画が必須となることは言うまでもない(いわゆる「核の傘」である)。
 核保有国が他国に対し戦争を仕掛けようとする場合、それを対象となった他国が阻止できる場合とは、他国又はその同盟国が核兵器を保有し、かつ、使用できる準備を整えている場合に限定される。話し合いですべての紛争を解決することができると考える者(国)は、いわゆる「お人好し」国家(救いがたい愚か者)であり、早晩、世界の歴史から消滅する運命を辿るであろう。日本の平和と繁栄を維持するためには、そのような選択はあってはならない。
 なお、「分水嶺」は、「泥沼に突入しない戦略も重要だ」と結ぶ。この表現も、何を言いたいのか不明である。筆者が左翼的な立場に立っていると推測できることを参考にすれば、おそらく「外交的努力が必要だ」というキャッチフレーズに行きつく。日本も国際社会の一員である以上、他国との外交的な努力が必要だという基本は、くどくど言うまでもなく当たり前のことである。
 しかし、相手国が、友好国か、中立国か、あるいは敵国(日本を先制攻撃する意図を持つ国)であるのかを見極めた上で、用心深く外交をする必要がある。中国・ロシア・北朝鮮は、自由も人権もない国であり、紛れもない敵である。そのことを念頭に置いて、外交を進める必要がある。
 そろそろ、2022年の弁護士日記は打ち止めとする。来年こそ日本の富国強兵を促進するための元年としたいものである。
(追記)
 2022年12月19日付けの岐阜新聞「分水嶺」によれば、共同通信社が行った世論調査では、「岸田首相が表明した防衛力強化のための増税を64.9%が『支持しない』と回答」とあった。これは不当な印象操作の疑いがある。防衛力の強化のための財源として、財務省が主導する形の増税を行うことに国民の大多数が反対するのは当然である。正解は、増税ではなく、防衛国債を発行して財源の不足を補うのである。防衛力を強化することで、将来にわたって多くの日本人が安全面の強化という面で恩恵を受けることになる。したがって、国債で賄うのが良い。各種世論調査によれば、防衛力の強化自体については、国民の過半数が賛成している。ところが、岐阜新聞「分水嶺」は、うっかり読むと、防衛力の強化自体に国民の大多数が反対しているかのごとく読める。岐阜新聞「分水嶺」は、今後、公正・正確な意見の表明に努めるべきである。そうしないと、発行部数の回復・改善などおぼつかないであろう。

日時:12:48|この記事のページ

防衛力の強化は公共の福祉に叶う

2022年12月10日

 最近のテレビ報道を見ていると、目につく話題の第1は、旧統一教会がらみの法案に関するものであり、第2に、防衛費の増額に関するものである。その他は、独裁国の中国で、国民の反発を恐れて、習近平が新型コロナの拡大予防対策を緩和する兆しがあるというニュースくらいである。国内における新型コロナの感染者の数の増減については、多数の国民にとっては、余り関心がない話題となっている。
 さて、防衛費であるが、今後5年以内に、GDP比2パーセントにまで増額するという政府の方針は、当たり前のことであり、特に異論はない。憲法9条という天下の悪法の下、遅まきながら日本もようやく普通の国(国際標準の国)に一歩近づくことができることになった。「一歩前進」という評価である。
 今般、防衛費の増額が具体的に政治課題にあがった主な要因は、これまで長年にわたる故安倍元首相の先見の明による、防衛力強化を図ることが国民の生命・財産を守るためには不可欠という政策が根底にあることは間違いない。
 しかし、より直接的には、2022年の2月に始まった傲慢な独裁者プーチンのウクライナ侵略がきっかけになっていることも疑いない。プーチンによる隣国ウクライナへの侵略が始まる前、これまで左翼系の新聞社は、盛んに「外交的努力が必要だ」という全く空虚なキャッチフレーズを、常時、社説等に掲載し、間違った方向に岐阜県民(国民)の世論を誘導しようと躍起になっていた。実に暗愚な姿勢である。
 各国が主権を持つ国際社会においては、国の大小または国力には無関係で、各国は平等であり、それぞれ国家主権というものを持っている。したがって、ある国Aと他の国Bの間に紛争が生じた場合、当事者国A・Bは、まずは平和裏に話合いを重ねることによって紛争を解決すべく努力を払うことは、基本中の基本である(そのようなことは誰でも知っている)。
 しかし、紛争というものは、国内の紛争を見れば分かるとおり、話合いまたは協議で全部が解決するものではない。仮にすべての紛争が、当事者間の話合いで解決するのであれば、裁判所など不要となる。しかし、日本国にも外国にも現に裁判制度があり、裁判所が存在する。という普遍的事実から、公平な立場にある第三者(国家権力)の力によって紛争を法的に解決する必要が生まれる。
 ところが、国際社会においては、確かに司法裁判所などの司法機関があるが、国際司法裁判所の場合、強制管轄権がないため、A国が提訴しても、相手方のB国が司法裁判所による解決を拒否することができ、結果、裁判にならない。つまり、実効性が欠ける。そうすると、最後は、実力を行使して紛争を解決するほかない。これが戦争である。かつて戦争論を書いたクラウゼヴィッツが言っているとおり、戦争とは、問題解決のための政治的行為なのである。
 この真理を日本に当てはめた場合、隣国には、中国という好戦的な共産主義国家がある。その中国は、「尖閣諸島は、中国の領土であり、これは中国にとって死活的な問題である」と何回も繰り返して述べている。つまり、尖閣諸島の領有権をめぐる問題で、中国は譲歩する意思がゼロであると公言している。一方、尖閣諸島は、日本古来の領土であり、紛れもない日本領なのである。この問題で日本が譲歩する余地はゼロである。
 そうすると、中国が、自国であると主張する台湾に対し、様々な世論工作を仕掛けた上で、突然、軍事侵攻する可能性が相当程度あるところ、同時に、尖閣諸島に対する攻撃を開始することも十分にあり得るのである。
 このような未来予測ができる現時点で、左翼新聞は、相変わらず「外交的努力が必要だ」とお経のように唱え続けるつもりか?バカバカしいの一言に尽きる。
 中国は、日本にとっては最大の脅威である。中国の脅威に対し、日本国の国土・日本人の生命・財産が破壊されないようにするためには、「目には目を」という古来からの思想が有効となる。
 敵である中国が、日本領を侵略し、日本人の生命・財産に損害を与えた場合、直ちに反撃を行い、敵である中国のミサイル基地、空軍の基地、武器弾薬庫、武器弾薬の製造工場などを破壊するような実力を事前に備えておく必要がある。そのような実力と意思があることを中国に知らしめることが、中国による侵略行為を未然に防ぐ有効な方法となる。
 ところが、2022年12月10日付けの岐阜新聞社説の見出しは「国を危うくする予算膨張」とあった。共同通信社の誰が書いているのかは知らないが、不見識の誹りを免れない。この表現では、防衛費を総額すること自体を否定的に捉える内容となるからである。防衛費の大幅増額は基本的に正しいことであり、また、GDP比2パーセントの予算を確保するためには、あらゆる手法を駆使して経費を調達する以外に、日本が生き残る道はないのである。私流に表現すれば「国民を守るための予算の確保を目指せ」という見出しになる。
 なお、上記岐阜新聞の記事(3面)によれば、安保3文書の中国に関する記述に公明党は神経をとがらせているとの記載があった。そして、「国家防衛戦略に『脅威』の表現を入れる案が示されると、北側一雄副代表は怒って部屋を出ていった」と明記してあった。
 この状況を知って、私は、一体、公明党は、なぜ中国の顔色を必要以上に気にするのか、何か深い原因があるのか、表に出せないヤミのようなものを感じた。中国が日本にとって脅威であることは、平均的な日本人にとっては、当たり前の常識と言ってよい。公明党は、昔から親中派の議員が多いと聞く。最近において宗教団体一般に対する献金規制法が成立しようとしている状況が大きなストレスとなって、北側氏を感情的にイラつかせたのかもしれない。
 岸田首相は、国益の何たるかを理解しようとしない偏狭な公明党とは縁を切って、よりまともな野党との連携を模索すべきではなかろうか。もっとも、岸田首相にはそのような胆力はないと見るから、この構想が実現することは期待できないが。
 

日時:14:05|この記事のページ

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