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弁護士日記

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呆れた新聞紙のコラム

2023年11月24日

 岐阜新聞という新聞がある。この新聞はローカルな新聞であるゆえ、地元の情報は細かく報道してくれる。その意味で有用である。
 半面、90歳を超えた超高齢者が今でも最高顧問となって会社を牽引している様は、何とも形容し難い。さて、今年の秋に突出した話題とは、クマによる人的被害の多さである。クマの被害が全国規模で多く生じている原因については、専門家がいろいろな見解を述べている。
 ある人物は、昨年はクマの餌となる木の実が豊作であったため、子熊が例年以上誕生した。ところが、今年は、逆に木の実が不作でクマの餌が不足し、仕方がなく人が多く生活する都市近郊に出てきたという意見を述べる。確かに、昨年は子熊が例年以上に増えたということは、クマ全体の個数が増える結果となる。ところが、今年は、逆に餌が不足しているというのであるから、結果、餌をめぐってクマ同士の競争が激化し、競争に負けた弱いクマは、仕方がなく都市の近郊にまで出てきて餌を探さざるを得ない事態に陥っているという説明は筋が通っている。
 しかし、クマ側の事情で人と出会い、クマが人を襲うという事態は何としても解決する必要がある。私は、クマを大量に殺処分し、適正な個体数まで減少させる必要があるという持論である。交通事故などで人が死傷した場合、事故を起こした側は、それなりに法的な責任を負うことになっている。具体的に言えば、事故を起こした態様が悪質な場合は、交通刑務所に送られて厳しい矯正教育を受けることになる。人間の場合は、それ相当の制裁を受けるということである。
 ところが、クマによる被害については、奇妙なことが起こっている。普通の市民が自宅でクマによって殺されたり、あるいは重傷を負わされても、地元警察は、「クマが出没しています。危険ですから屋外に出ないようにしてください」などと呑気な広報活動で胡麻化そうとしている。あたかもクマが主人で、人間は脇役のような取扱いである。これはどう考えてもおかしい。クマは、あくまで人間に被害を与えない限度で生存が許される存在にすぎないのである。したがって、クマによる人的被害が多発した場合、クマは、即刻殺処分されなければならないのである。
 ところが、2023年11月23日付けの岐阜新聞「分水嶺」は、A氏という人物の著書を引き合いに出し、クマに襲われたら、「手をクマの口の奥まで入れ、舌をつかんで抵抗」することを推奨する。これには呆れた。このコラムを書いている人物自身ですら、自分でそのような行動をとれるとは考えていないのではないのか?自分にできない行動を、コラムを読んでいる読者に対し奨めているのである。これはおかしい。
 また、「もともと居住空間が近いとされるクマと人がうまく暮らしていくには、互いに張り合うのではなく『見て見ぬふり』ほどの距離間を保つことが大切と」A氏はアドバイスしていると結ぶ。これも現実に合っていない。クマは、勝手に人間の居住地域に接近し、柿木の実を食べたりしていることが問題となっているのである。このような状況で「見て見ぬふり」とは、一体どういうことか?読みようによっては、人間はクマによる乱暴狼藉に対して黙って耐えよ、というメッセージと受けとることも可能である。しかし、これは常識を逸脱した不合理な考え方というほかない。全く同感できない。
 少なくとも、新聞紙のコラムは、普通のネット記事とは比べ物にならないくらいの重みがあるのであるから、今後は、慎重に物を言って欲しいものである。

日時:19:04|この記事のページ

死刑制度は必要不可欠な制度である

2023年11月09日

 2023年11月7日、岐阜県弁護士会の方から「死刑制度に関する会内アンケートご協力のお願い」という文書が送信されてきた。低い給料と物価高が国民的関心事となっているこの時期に、「何だこれは?」と思った。発信人は、「死刑制度検討PT」座長Oという弁護士である。文書の内容を読むと、岐阜県弁護士会の総会で死刑制度廃止に向けた決議をしたいところ、会内から、令和5年5月24日付けで会員総会の決議事項として上程すべきでないとの意見が出た。その意見の中で、令和3年8月実施の会内アンケートで、「死刑廃止決議案を会員総会の決議事項とすべきでない」との意見が相当数に上ったことを踏まえたとしている。今回、再びアンケートをする理由として「最近の会内世論を把握するため」と明記されている。何が「会内世論だ」。
 これを読んで、要するに、岐阜県弁護士会で、死刑制度廃止の総会決議をしたい、そのために正当化の材料を集めたいのだと推測した。一般社会の住民の皆さんは、一部の弁護士がこのような活動に熱をあげていることは、ご存じないであろう。このような活動に対しどう思われたであろうか?私は、100%否定である。そこで、アンケート用紙に「死刑は必要不可欠の制度である」と記入し、さらに「弁護士会はこのようなことに首を突っ込むべきではない」と書いて、弁護士会事務局に対し、送信しておいた(2023年11月7日)。
 死刑廃止の運動をしたければ、自分の信条に従って自由勝手にすればよいではないか。誰も反対しない。ところが、彼らは、それを「岐阜県弁護士会の総会決議」にどうしても結びつけたいという思惑があるようである。岐阜県弁護士会を巻き込みたいということなのか?なぜ、彼らは、そこまで拘るのか?
 すると、本日(2023年11月9日)、岐阜県弁護士会の方から、死刑制度検討PTの名前で、再び、「死刑制度等に関する会内アンケート実施にあたって」という文書が送信されてきた。いろいろと理屈が書いてあるが、結論は1行、弁護士は、「積極的に死刑制度に向き合い意見表明をしなければならないのではないか」とあった。
 これには驚いた。死刑制度に対し、それを是認するか、反対するか、あるいは沈黙を守るかは、内心の自由にも深く関係することだからである。それを、弁護士たるもの死刑制度に対し、YESかNOの意思表示をすべきであると論じているように読めたからである。弁護士には沈黙する自由はないと言いたいのであろうか。これでは、共産主義独裁国家の思想と変わらないではないか。実におかしな主張である。これは認めるわけにはいかない。
 死刑制度については、賛成する者も、反対する者も、論理を駆使して相手を論破できると勘違いしてはならない。死刑制度についてどう思うかという問いに対する答は、論理ではなく多分に感性ないし文化の問題となるからである。
 例えば、全く落ち度のない市民を標的に、複数の強盗犯が住宅に押し入って住人を襲い、被害者を死亡させ、金品を奪って逃走したという凶悪事件について、何故、死刑ではなく無期刑にする必要があるのか?死刑でよいではないか。反対論者は「人権、人権」と声高に唱えるが、ここで言う人権とは、一体誰の人権を指しているのか。結局は、凶悪犯罪者個人の人権である。しかし、一方で、無残にも殺害された被害者の人権をどう考えるのか。彼らは、この点については、沈黙を守りとおす。
 私見によれば、何ら落ち度のない市民が殺害された場合、凶悪犯人も、国家によって死刑の言渡しを受け、同じく殺害されなければならないのである。これは、一種の合法的殺人ということであって、当然に許容される。簡単に言えば、他人の生命を奪っておきながら、自分だけが生存しようとするのは虫が良すぎる。
 ここで、彼らは「冤罪が起きたらいけない」という理屈を持ちだす。冤罪は絶対にあってはならない。それは、当たり前のことである。そのために、刑事訴訟法という法律があり、地裁、高裁、最高裁という3段回の審理を経て、慎重にも慎重を期するよう制度が設計されているのである。反面、証拠が明白であり、本人も罪を認めているような事件については、冤罪はほぼあり得ない。
 日本は先進国に含まれるが、日本の犯罪発生率が他の先進国と比べて低い原因は、ひょっとすると日本が死刑制度を堅持していることと関連性があるかもしれない(ただしこの点は、刑事政策の専門家による学術的分析が必要である)。
 死刑制度は必要不可欠な制度であることを説明することは、いくらでも出来るが、今回は、ここまでとする。以上、一般社会の人々に対し、新聞には掲載されない岐阜県弁護士会の動きをリポートした。
 

日時:19:24|この記事のページ

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