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弁護士日記

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損保と闘う(8)(損保側弁護士の実像)

2010年02月19日

 日頃から損保側の弁護士と法廷で闘っている自分から見て、損保側の弁護士についてどのような印象を持っているかについて、本音をお話したいと思う。
 損保側の弁護士とは、要するに、交通事故の加害者が契約している損保会社と何らかの繋がりがある弁護士であって、損保会社から依頼されて事件処理を引き受けている人物のことである。例えば、甲さんが歩行中に乙の運転する車にはねられて怪我をしたとする。その場合、乙が契約する○○損保が全面に出てきて、甲さんに対し、治療費の支払い等の事務処理を行う。○○損保の担当者と事故被害者である甲さんとの間で、後日、示談の話合いがまとまれば、正確には、甲さんと乙の示談が成立することになるから、事故の後始末はこれで終わる。
 ところが、話合いがまとまらずに、交渉決裂ということになると、事故被害者である甲さんとしては、自分で権利を実現する必要に迫られる。その場合、甲さんに交通事故賠償問題に関する知識が十分あれば、一人で○○損保と闘うことも可能であろう。
 しかし、大半の被害者は、そのような知識を持ち合わせていないので、専門家に相談することになる。専門家である弁護士としては、当該事案が、果たして訴訟で解決した方がよい事案なのか、あるいは話合いで解決しても特に不都合はない事案なのかを十分に見極める必要がある。その点が弁護士にとっては、重要である。ここで、間違った判断を行い、間違った助言を甲さんにしてしまったら、大変なことになる。
 裁判になった場合、事故加害者である乙が委任した弁護士が登場する。とは言っても、その弁護士を紹介するのは、○○損保であるから、乙としては「この弁護士とはうまが合わないから嫌だ。ほかの弁護士に代えて欲しい。」と言っても、それは通らない。損保が用意した弁護士に委任せざるを得ないのである。
 このように、損保が用意した弁護士が、加害者乙の代理人として法廷にやって来ることになる。その弁護士を仮に丙弁護士とする。丙弁護士は、損保会社から事件の依頼者として紹介された乙の代理人として働くわけであるが、別に、乙から特に個人的に信頼されて依頼を受けているわけではなく、また、その事件限りの委任関係にすぎないから、その事件が終われば顔を合わすこともない。
 そのような状況で、丙弁護士は仕事をするのである。弁護士というと、独立した職業の印象が強いが、一般的に見て、損保会社と当該損保会社から仕事を紹介されている弁護士の関係は、両者が経済的な従属関係にあるため、あたかも雇用主と従業員のような関係に立つ。もちろん、そのような構造は、実質的な関係を表現したものであって、建前は、あくまで弁護士は社会正義の実現のために独立して職務を行うと説明されている。
 さて、私は、過去に、多くの加害者側つまり損保側の弁護士と裁判を闘ってきたが、損保側の弁護士に共通して見られる特徴は、約束を守らない人物が多いということである。例えば、準備書面といって、双方がその主張の正当性を記載した書面を裁判所に出して、裁判は徐々に進行するのであるが、最近の運用は、裁判がある期日のおおむね1週間前までに、準備書面を裁判所に出すことが求められている。
 ところが、そのようなことには全く気が回らない弁護士が相当数存在する。ひどい輩になると、法廷で約束した締め切りを堂々と破って、何食わぬ顔をしている人物も少なくない。最近も、ある裁判所で、本年1月27日に、準備書面の提出時期が2月15日までと指定された事件があった。ところが、損保側の某弁護士は、最終の裁判期日が指定されていた2月17日の当日午前中に、FAXで準備書面を私の事務所に送信してきた。
 私は、「こいつは一体何を考えているのだ」と思い、当該交通事故事件の依頼者の利益を守るために、急遽、他の事件の準備を全部中止して、損保側の弁護士が送信してきた準備書面に対する反論をまとめ上げた。そして、当日午後、裁判所に持参して提出したのであった。
 このように、損保側の弁護士には、もちろん例外もあるが、信用出来ない輩が多いように思われる。誠に残念なことであるが、これが現実である。私としては、今後とも、損保側弁護士に対し、強い姿勢で臨む覚悟である。    

日時:17:16|この記事のページ

宇都宮健児著「弁護士冥利」を読んで

2010年02月12日

 サラ金問題の第一人者である宇都宮健児弁護士による「弁護士冥利 だから私は闘い続ける」(東海大学出版会)を読んだ。宇都宮弁護士は、古くからサラ金問題を追及し続けた弁護士として、我々一般の弁護士の間では非常に有名である。宇都宮氏は、本書以外にも、サラ金問題の解決法を一般国民向けに分かりやすく説いた本を何冊も出しておられる。私も、有益な参考書として、氏の著書を何冊か購入したことが過去にある。
 ただ、宇都宮氏が、なぜこれほどまでに弱者救済の立場から、精力的な活動を続けておられるのかの秘密は分からなかった。しかし、この本を読んでその理由が分かった。
 宇都宮氏は、四国愛媛県西予市のある漁村で長男として生まれた。しかし、家族5人の生活は苦しく、宇都宮氏が小学校3年生のときに、一家は、大分県の杵築市にある開拓地に移住したそうである。そこで、父母は、林野を苦労して開拓し、少しずつ農地を増やしていったという。
 その後、宇都宮氏は、12歳のときに熊本市にある親類の家に預けられ、親類の家から地元の中学に通い、さらに熊本高校に進学し、昭和40年春には東京大学文科Ⅰ類に見事現役合格を果たす。宇都宮氏は、学校の授業だけで難関大学に合格したのである。現在、難関大学合格者の大半を占めるのは、両親の期待を背負って年少時から進学塾に通い、そこでひたすら受験テクニックを修得した者たちではないだろうか。宇都宮氏は、そのような、あたかも促成栽培の野菜に似た、ひ弱な精神の高校生たちとは全く違う。
 年少時に人よりも余分に苦労をした人物は、そうでない人に比べて、知らぬ間に身に着く精神力の強さが格段に違うようである。宇都宮氏の弱者救済にかける情熱の原点は、少年期の体験にあったと考えて間違いないようである。
 さて、宇都宮氏は、東大法学部に入った後に、弱者救済が出来る職業という理由で、弁護士を志すようになり、在学中に司法試験にも一発合格を果たす。
 ここまでの経歴を見る限り、普通は、東京の一流法律事務所に採用され、後はエリート弁護士の道がほぼ約束されたように思える。しかし、宇都宮氏が辿った道は、決して平坦なものではなかった。司法試験に合格し、司法研修所での2年間の研修を経て弁護士になったものの、宇都宮氏の場合は、同期の弁護士と比べ、独立がなかなか出来なかったのである。その理由について、宇都宮氏は、著書の中で、同期のイソ弁(居候弁護士、つまり勤務弁護士のこと。)が、中小企業の経営者とゴルフをしたり、同窓会などの機会を見つけて小まめに顔を出して名前を覚えてもらうことをしていたのに対し、そのようないわゆる「営業活動」をすることが苦手であったため、いつまで経っても、勤務先の法律事務所から独立することが出来なかったと語っておられる。そのため、雇用主である弁護士(ボス弁)から、「肩たたき」にあってしまったという。
 宇都宮氏は、その後もすぐに独立することが出来ず、仕方なく別の法律事務所に再び恥を忍んでイソ弁として入るが、そこでも、雇用主である弁護士から、「事務所を辞めて欲しい」と通告を受けるはめに陥る。そこで、背水の陣で事務所を辞め、独立する。
 宇都宮氏は、独立後は、サラ金から高金利で借金して多重債務状態に陥って苦しむ多くの人々の相談に乗って、身を粉にして働く。昭和55年当時は、サラ金問題に取り組む弁護士がほとんどいなかったという。確かに、現在でこそ、借り手に有利な最高裁判決も多く出て、過払金返還訴訟とか債務整理の手法もほぼ確立しているが、昭和55年当時を想像すると、弁護士がサラ金に立ち向かうことには、法律面で、言葉では表せないほどの苦労があったことと拝察する。その後、宇都宮氏及び関係者の努力が実って、平成18年12月13日に「新貸金業法」が国会で成立し、グレーゾーン金利が撤廃されることが実現した。このことについて、宇都宮氏は、弁護士人生の「最良の日」と述懐しておられる。氏がそうまで感慨を覚えられることも無理からぬと、私も思う。
 さて、話は変わるが、本年2月5日に開票された日本弁護士連合会の会長選挙において、宇都宮氏は、全国に52ある地方の弁護士会のうち、42会の支持を受けたが、会員数が圧倒的に多い東京弁護士会など9会の支持を受けた山本候補に、僅かの差をつけられた(1会は同点であった。)。しかし、会長選挙の規約上、当選するには、52弁護士会の3分の1以上の支持を受ける必要があり、未だ当選者が決まっていない。まさに、前代未聞の事態となっている。宇都宮氏は、規制改革と称した自民党政権下での方針によって、司法試験の合格者が急激に増加し、その弊害が表れているとして、年間合格者を1500人以下に抑えるように提唱しておられる。私も、これには大賛成である。
 司法試験は、その人物が法律家となることが本当にふさわしいかどうかを判定するための試験であるから、合格水準は客観的に厳格なものでなければならない。それを、小泉・竹中流の規制改革論者は、「法曹の数が増加すれば、それなりに需要も増加するはずである。」、「競争は絶対に良いことである。競争によって、能力のない弁護士は自然淘汰される。」との立場から、合格者を激増させることを是とした。
しかし、現実には法的な需要は余り増えず、「弁護士余り現象」が生じた。それどころか、能力は余りなくても営業のうまい商人のような弁護士だけが多く残る構造を生み出した。まともな需要予測もしないまま、いい加減な見込みだけで合格者を激増させたことは、まさに、かつて日本がアメリカを相手に太平洋戦争開戦を決意したのと同じくらい愚かな出来事であった(ところが、この事態に直面しても、かつての合格者激増論者は、誰ひとりとして責任を取ろうとしない。)。
私としては、宇都宮氏には是非、日本弁護士連合会の会長に当選していただき、真に国民のためになる弁護士会を作っていただきたいと思う。

日時:13:55|この記事のページ

弁護士資格を有しない者による非弁行為について

2010年02月01日

 弁護士法72条は、弁護士資格を有しない者(非弁護士)による法律事務の取扱いを禁止している。この条文に違反した者は、2年以下の懲役または300万円以下の罰金に処せられる(弁護士法77条3号)。
 最近、弁護士資格を有しない者(行政書士志望者つまり無資格者)が、他人の法的紛争に介入する様子を、面白おかしく展開させるテレビドラマが某民放局で始まった。この番組は、違法行為を違法でないと国民に誤認させる危険があって、製作者の良識が疑われる。
 そこで、ここで弁護士法72条の内容を確認しておきたい。
 詳細をここで紹介するスペースはないので、要点のみ紹介する。なお、条文の紹介にあたり、弘文堂発行「条解弁護士法(第4版)」(日本弁護士連合会調査室編著)の606頁以下を参照し、かつ引用することを最初にお断りしておく。
 弁護士法72条は、弁護士資格を有しない者が、報酬を得る目的で、一般の訴訟事件その他一般の法律事件に関して、鑑定、代理、仲裁、和解その他の法律事務を取り扱い、または周旋をすることを禁止している。ここで、弁護士法違反となるためには、行為者に「報酬を得る目的」があることが必要である。これは、例えば、大学の法学部の学生有志が、学業目的で、市民のために無料法律相談を行うような場合、あるいは個人がその親族のために法律的な助言を行うような場合を想定している。そのような場合は、弁護士法に違反しない。
 次に、ここでいう「報酬」とは、必ずしも現金に限定されず、また、その金額の多少を問わないとされる。また、報酬を得る目的とは、依頼者と事前に報酬を得ることを約束した場合に限らず、法律事務を処理する途中あるいは解決後に依頼者が謝礼を持参することを予想していた場合も含まれる。行為者において主観的に報酬を得る目的さえあれば足り、現に報酬を得たことは、弁護士法72違反の成立要件ではない(結果として、無報酬だった場合であっても違反になる。)。
 ここでいう「法律事件」とは、法律上の権利義務に関し、争いや疑義があるか、新たに権利義務関係の発生する案件を指すとされている。例えば、100万円をBに貸したAが、Bに対し100万円の返還を求めたが、Bが「返済を待ってくれると約束したではないか」と言って、即時の返済を拒むような場合がその典型例である。このような法律事件について、弁護士資格を有しない者が、例えば代理人として関与して相手方と交渉すれば、弁護士法72条違反になる。もっとも、報酬を得る目的がない場合は、例外的に許されるのであるが、普通の人間が第三者の法律事件に関与した場合、報酬を得る目的がなかったとは到底考えにくい。
 過去の裁判例で、法律事務に該当するとされた実例として、被害者に代わって自賠責保険金の請求・受領を行うこと(東京高裁昭和39年9月29日判決)、交通事故の相手方と示談交渉をすること(札幌高裁昭和46年11月30日)、大家の代理人として店子と交渉し、建物賃貸借契約を解除すること(広島高裁決定平成4年3月6日)などがある。なお、ここでいう「法律事務」に該当するためには、当該案件が事件化している必要はない。
 また、同条にいう「鑑定」とは、法的な専門知識に基づいて法律事件に関し法律的見解を述べることである。
 ここで、行政書士が行い得る業務との関係が問題になる。行政書士は、行政書士法1条の2あるいは1条の3に規定がある業務を行うことができる。行政書士は、依頼者の求めに応じて権利義務または事実証明に関する書面を作成することはできる。しかし、例えば、被害者の求めに応じて損害賠償額を算定したり、あるいは本人の代理人として加害者または保険会社と交渉する権限はない。
 前者は、損害賠償額を算定すること自体が先に述べた「鑑定」に該当する疑いがあるからである(条解639頁)。後者の代理が許されないことは言うまでもないことである。この点について、北樹出版から発行されている兼子仁著「新3版行政書士法コンメンタール」43頁は、「事故責任を自認する加害者と過失割合や損害賠償金等の話合い・協議を被害者から受任した範囲で代理し、合意の示談書をまとめて自賠責保険支払い請求につなげることは、行政書士の合法的な契約締結代理業務に当ろう」とされるが、全然賛成できない。
 なぜなら、加害者が事故責任を自認していると断定できるかどうかが必ずしも明白でない場合があるし、また、加害者が事故責任を完全に自認していたとしても、しかし、過失割合の認定、事故と被害との相当因果関係の有無、後遺障害の有無および等級の認定、素因減額の有無など法律上の争点が含まれることが現実には多く、これらの判断はまさに専門的法律判断に属するからである(条解639頁)。
 さて、冒頭の論点に戻るが、行政書士はあくまで行政書士であって、それ以上でもそれ以下でもない。もちろん、彼らは、国民が共通して認識する意味での「法律家」ではない。世の中の約束事を踏まえようとしないドラマは、良識ある視聴者の支持を得ることはできず、近い将来、放送打ち切りになると、私は予想する。

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