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弁護士日記

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損害賠償金が4.5倍に増えた

2010年07月15日

 今年の7月に名古屋地裁から、ある交通事故裁判の判決をもらった。この裁判の原告は、公務員の方である。西川さん(ただし、仮名)は、平成18年当時、ある地方都市に所在する、ある役所に勤務していた。西川さんは、仕事が終わってから、自転車に乗って交差点の横断歩道を青信号で横断中、交差点を左折してきた車に衝突されて転倒、負傷したのであった。怪我の程度は、腰椎を骨折するという重傷だった。
 西川さんをはねた車にはもちろん任意保険が掛けられており、某損保会社の担当者が西川さんとの示談交渉に当たった。その後、西川さんの怪我もようやく症状固定したので、平成20年9月になってから、損保会社の担当者より賠償額の提示があった。その金額は、600万円を少々上回っただけの低額であった。
 西川さんは、損保会社からの金額提示に疑問を持ち、市役所の交通事故相談所や弁護士会の交通事故相談所で無料法律相談を受けた。その結果、600万円では低額すぎるという回答をもらった。そして、西川さんは、その年の11月になって、当事務所にご相談を持ちかけられたのである。
 私は、事実関係を検討したが、やはり金額的にみて極めて低額な不当なものであることが分かった。西川さんの意向を確認したところ、すぐに裁判を起こして欲しいということであった。そこで、私も裁判に向けて至急準備を開始したのであった。
 裁判は、平成21年の春に始まった。請求額は、当初約3000万円であった(その後、裁判の途中で200万円分請求を増額している。)。
 裁判の主たる争点は、自転車に乗って横断歩道を渡っていた西川さんの過失の有無および逸失利益の有無であった。まず、被害者である西川さんの過失の有無については、原告はゼロを主張した。これに対し、加害者である被告は、西川さんには25パーセントの過失があると主張した。次に、逸失利益について、被告は、西川さんには交通事故後に収入の減少がないという理由で、これを否定した。
 しかし、そのような被告の主張(答弁)は、まったく不当なものであった。第1に、原告は自転車に乗って青信号表示に従って交差点を横断中に被告の運転する車にひかれたのである。自転車が青信号表示に従って交差点の横断歩道を走行するという光景は、日頃ありふれた光景であって、ごく当たり前の普通の状況である。
 自転車に乗って、ごく普通の当たり前の通行方法をとっている最中に事故にあった場合、過失があるとは、とても考えられない。判決も、原告である西川さんには過失がないと判断した。
 このように、交通事故裁判においては、加害者つまり損保会社は、きわめておかしな主張をしてくることがしばしばあり、日常茶飯事となっている。おそらく「駄目で元々」の精神から、おかしな意見を述べるのであろう(ただし、加害者の代理人として、どのような弁護士が付くかによって、程度に違いはもちろんある。おおむね、経験年数を重ねた代理人であればあるほど、被害者側からみると、おかしな意見を述べる確率が高まるという印象を個人的には持っている。)。こういう場合、原告側としては、過去の判例や当該事件にかかわる証拠を示した上で、いかに被告の主張が間違っているかを裁判官に説明する必要がある。
 第2に、逸失利益の有無については、原告は、自賠責保険の後遺障害等級が11級7号であったことを理由に、20パーセントの労働能力喪失を主張した。これに対し、上記のとおり、被告は、原告には労働能力喪失は認められないという不当な意見を述べた。しかし、交通事故を原因として原告には腰椎骨折が生じているのである。その点を無視して、ただ単に現在は減収がないという理由で、逸失利益を否定しようとした被告の主張は、常識に照らしても的外れなものであった。裁判所も原告の逸失利益を認めたが、労働能力喪失率は67歳まで14パーセントとした。
 判決が出てからしばらくして、加害者の代理人弁護士から、「被告としては控訴しません。損害賠償金の計算書をお送りしますので、金額をご確認ください。」という連絡が入った。計算書をみると、2830万円余りの金額が記載されていた。損保が、最初に示談金として提示した600万円と比較すると、実にその約4.5倍の損害賠償金額となった。

日時:17:02|この記事のページ

参議院議員選挙について(2)

2010年07月09日

 いよいよ7月11日は、参議院議員選挙である。菅内閣が成立した当初は、内閣支持率も予想外に高く、民主党としても、早期の選挙を有利と見て、7月11日の選挙を決めたようである。ところが、菅総理は、選挙日程を決めた後に、消費税率を引き上げる必要があるという政策をぶち上げてしまった。確かに、現在の国家財政を冷静に見た場合、消費税率の引上げは不可避であると私も考える。
 しかし、タイミングがいかにも悪すぎた。なぜ、この時期に、唐突とも思える消費税論議を始めたのか?参議院選挙で多数を得られなければ、民主党が考える消費税率の引上げも不可能となるのである。その原因は、菅内閣発足時の意外な高支持率に目が奪われ、それを背景に消費税の論議をしても、選挙には余り悪影響がでないと予想したためではないか。また、今回新たに民主党の幹部に登用された者の中には、消費税率を早期に引き上げる必要があるという持論の持主がいて、政策が、その論者に影響された結果ではないのかと思われる。この点は、戦術がいかにも稚拙であったというほかない。
 選挙というものは、戦争と同じで勝たねば意味がない。戦争に負けると、歴史的にみて良いと思われることをやっても、戦勝国側からは、「それは悪いことだった」とすべてが否定されてしまう。要するに、勝てば官軍であり、勝った側の論理が、全部正当化されてしまうのである。選挙も同様であり、いくら善戦しても、落選すれば、ただの人になる。落選したような者の主張など、誰も聞いてくれないのである(もちろん、次回の選挙に雪辱を期するということで政治活動することは、それなりに意味のあることであって、否定はしないが。)。
 さて、話を元に戻す。民主党は、昨年(平成21年夏)の総選挙で勝利した。その原因は、従来の自民党中心の政治では、日本は駄目になるという意識を国民の大多数が持ったからであった。確かに、自民党の政策は、政界・財界・官僚が手をつないで、お互いの利益を守ろうとする政策であり、そのような反国民的政策が、今後も継続することは、国民の目から見れば、良くないことと写ったのである。その感覚は正しかった。
 しかし、昨今、民主党も自民党と同じではないかという声が多くなっているように思える。しかし、それは、余りにも短絡的な考え方である。民主党は、政権をとってからまだ1年も経過していないのである。ここは、ある程度長い目で見てやる必要があるのではないか。仮に、参議院選挙によって、再び自民党が力を持つようなことがあったら、改革は元の黙阿弥となって、旧体制が復活することになる。その場合、そのつけは、国民が払うことになろう。そうなってから後悔しても遅いのである。

日時:17:44|この記事のページ

名古屋高裁で和解が成立した

2010年07月05日

 私が2年半余りの間お世話をさせていただいた交通事故被害者の方の和解が名古屋高裁で成立した。三浦さん(女性。ただし、仮名)が最初に当事務所に相談に来られたのは、平成20年1月のある寒い日のことであった。愛知県の東三河地方(ただし、地方名は変えてある。)に住む三浦さんは、平成17年夏に、パートを終えて会社から自宅に車で帰る途中に大型車と衝突して大怪我を負った。三浦さんは、すぐに救急車で近くの病院に搬送され治療を受けた。重傷ではあったが、長期間の入院を経て、何とか回復した。しかし、症状固定にはいまだ至っていないということで相談に来られたのである。その際、私の方からは、「症状が固定したら、すぐに自賠責保険に対して被害者請求を行って後遺障害等級の認定を受けましょう。」と助言した。
 その後、平成20年3月にようやく症状固定し、主治医から、後遺障害診断書を書いてもらうことができた。そこで、三浦さんは、私に対し、正式に後遺障害等級認定手続の依頼をされたのであった。私は、さっそく三浦さんの後遺障害等級の認定手続に入ったが、同年夏に最初の結果が出た(併合10級)。しかし、この認定には間違いがあると判断し、同年9月に自賠責保険に対し、異議申立を行った。後日、異議が認められて、障害等級は併合9級に訂正された。
 他方、三浦さんの事故は、平成17年の8月に発生したものであったために、事故日から3年で損害賠償債権が時効消滅してしまう危険があった。もちろん、後遺障害から生ずる損害については、症状固定日から3年の時効期間を計算するのが普通の考え方であるから、時効のことは全く心配する必要はないというのが大方の意見であろう。しかし、事故日から3年で全部の賠償債権が時効にかかるという理屈もあり得ないわけではなく、「石橋を叩いて渡る主義」の当事務所としては、平成20年の8月までに訴訟を提起して、完全に時効を中断しておくべきであると判断した。
 ところが、今回の事故は、加害者が交通事故を起こしてから死亡したという珍しい事件であったため、相続人が被告となった。私は、事故を起こした加害者の住所を自分の目で確認する必要があると判断し、自分で現地を調査した。せっかく訴状を裁判所に出しても、加害者の相続人に送達されない限り、原則的に裁判は始まらないからである。訴状が確実に送達される見込みがあるかどうかを、よく確かめる必要があったのである。
 現地調査の結果、加害者の妻および子が相続人となっていることを知り、さらに戸籍などで確認をした上で、平成20年8月に、名古屋地裁の某支部に提訴したのであった。裁判は、1年半継続した。裁判も終盤にさしかかった平成22年1月初旬には、裁判官から、和解勧告が書面で行われた。しかし、和解金額は、1060万円という全く問題外の低額であった。そこで、原告としては、この和解金額は認め難いと裁判官に回答した上で、和解金額の増額を図っていろいろと主張を追加した。
 そして、最終的には1400万円という線での和解を被告側に打診したが、被告側弁護士の対応が遅かったので、結局、原告は、その金額での和解提案を取り下げた。そのために判決となって、平成22年3月、名古屋地裁某支部は、おおよそ1106万円の支払いを命じた。
 原告は、このような低い金額ではとうてい納得できないとして、平成22年3月に名古屋高裁に控訴した。そして、名古屋高裁では、1500万円という和解案が裁判所から提示された。控訴人つまり三浦さんは、これを検討した結果、決して満足する金額ではないが、しかし了解できない金額ではないとして、最終的に受け入れることを決断されたのであった。そして、先日、裁判所内で正式に和解が成立した。
 この一連の裁判から得た教訓は、裁判官の提示した和解案については、あらゆる角度からその内容をよく検討し、理屈で説明が付かないようなおかしな点があった場合は、きっぱりと和解を拒否する必要があるということである。今思えば、一審裁判官が最初に示した和解案は、どう考えても説明が付かない不合理な案であった。仮に、一審裁判官が、最初から、和解案として1500万円程度の金額を提示しておりさえすれば、当事者双方とも無用な訴訟活動を省くことができたのであった。

日時:17:24|この記事のページ

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