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弁護士日記

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後遺障害の等級認定手続き

2015年07月31日

 当事務所では、交通事故被害に遭われた方のために、後遺障害等級認定の手続きについて代理人を務めることも行っている。
 交通事故に遭って、治療を行ったが、不幸にも後遺症が残ってしまった場合、自賠責保険で適正に後遺障害の等級認定を受ける必要がある。この点は非常に重要である。なぜなら、自賠責保険で認められた後遺障害等級が基準となって、その後の賠償金額も決まってしまうことになるからである。障害等級が軽ければ、賠償金も少ないものになってしまう。他方、障害等級が重ければ、賠償金額も当然多額になる。
 そのような重要な手続であるにもかかわらず、大半の被害に遭われた方(以下、「被害者」と呼びます。)は、加害者の保険会社の担当者にお任せの状態で十分、ということで終わっている。詳しく言うと、被害者は、主治医から自賠責保険後遺障害診断書を書いてもらい、それを加害者の保険会社の担当者に渡す(または、加害者の保険会社の担当者が、直接、主治医と話をつけて後遺障害診断書を作成してもらい、主治医から後遺障害診断書の交付を受ける。)。
 加害者の保険会社の担当者は、そのようにして入手した後遺障害診断書に必要書類を添付した上で、損害保険料率算出機構(いわゆる「調査事務所」)に出して、後遺障害の等級を決めてもらう。そこで決まった等級に従って、加害者側の保険会社として支払可能な賠償額を被害者に提示することになる。被害者は、その提示額を検討して、示談に応じるか否かを決める。
 大半の交通事故が、このような流れで処理されている。ここで重要な点は、加害者側の保険会社が、損害保険料率算出機構に対し、どのような書類を出しているかは、被害者には不明だという点である。したがって、もし追加の書類さえあれば、より重い等級が認定される可能性があった場合、果たして、加害者側の保険会社の担当者が、わざわざ追加の書類を準備して、損害保険料率算出機構に対して出してくれたのか否かは分からない(被害者と、加害者の保険会社とは、利害が対立するという関係に立つ。)。
 そこで、被害者としては、最初から弁護士に委任して、後遺障害等級の認定の手続きをやっておけば、安心できるのである(この場合、被害者と弁護士とは、利害を同じくするという関係に立つ。)。
               

日時:16:17|この記事のページ

340万円で和解した

2015年07月22日

 高橋さん(女性。ただし、仮名です。)は、75歳を超える後期高齢者の方であった。その高橋さんが、当事務所に来られたのは、今から1年8か月も以前の平成25年の秋のことであった。
 高橋さんの話では、自転車に乗って横断歩道を渡ろうとしていたところ、左の方から車がやってきて、自分が乗っている自転車に衝突し、そのはずみで、自分は道路に投げ出されて怪我を負ったとのことであった(障害等級は14級が認定された。)。
 高橋さんは、既に別の弁護士に交渉を依頼して損保会社との示談を進めているとのことであった。その弁護士の話では、損保会社は賠償金としては、今後、170万円くらいしか出せないと言っているとのことであった。
 しかし、高橋さんは、その弁護士の自信を欠いた交渉ぶりに危惧感をいだき、当事務所に相談に来られたのであった。私が、賠償額を計算したところ、過失相殺が問題になることから、私が代理人になっても、320万円ほどの賠償金にしかならない可能性が高い、とお伝えした。
 その後、高橋さんは、「弁護士特約を利用したいと思います。先生に依頼します。現在委任している弁護士さんには降りていただきます」という方針をとられた。
 私は、高橋さんが高齢であることも考慮して、翌平成26年1月に、日弁連交通事故相談センターに示談斡旋を申し立てた。示談斡旋の結果、斡旋担当弁護士であるK弁護士から、「398万円でどうか?」という斡旋案が示された。
 高橋さんは、高齢でもあり、その金額を拒否する方針ではなかったが、同年3月下旬に、損保会社から、K弁護士に電話があり、「損保会社としては、250万円くらいまでしか出せない」との結果が伝えられた。
 どのような思惑で、そのような低額の金額を斡旋担当弁護士であるK弁護士に伝えてきたのかは分からない。損保会社の担当者が、仮に、強く出ておけば、申立人代理人の宮﨑弁護士もあきらめて引き下がるであろう、と考えてK弁護士に電話をした、ということであれば、それは全く見込み違いである。
 なぜなら、弱い立場にある被害者の救済に全力を投入するのが、これまで一貫した私の流儀であって、私の場合は、加害者が横暴であればあるほど、また、非常識な主張を行えば行うほど、逆に、事件処理に力が入るというタイプの弁護士であることが全く分かっていなかったことになるからである。
 したがって、私が、示談斡旋の不調を受けて、すぐに訴訟を提起したことは当然の結果であった。名古屋地裁に対する訴訟の提起は、平成26年4月下旬であった。その後、裁判は、7回継続し、8回目には、高橋さんに法廷に来ていただき、原告本人として、事故の様子などを語っていただいた。
 その後、裁判官から、「和解で解決してはいかがでしょうか?」という提案があり、本年4月下旬に、340万円という金額が提示された。交通事故訴訟は、結局のところ、賠償金をいくらもらえるかという裁判であるため、金額で折合いがつけば、解決も難しくはない(これに対し、名誉毀損を理由とする賠償請求事件などの場合は、事件の性格上お金で済む問題ではないため、示談で解決することはほとんどなく、原則として判決で決着させるほかない。しかも、負けた方は、さらに高裁に控訴するケースが多い。強者が、弱者を苦しめる構図の公害訴訟も同様である。)。
 話を元に戻す。裁判官から提示のあった340万円という金額について、高橋さんは、これを了解され、また、今度ばかりは損保もこれに同意した。そこで、和解が成立し、高橋さんは、損保会社から340万円を受け取ることができた。なお、私の報酬金は、高橋さんの弁護士特約で全額賄えた(高橋さんの自己負担は0円であった。)。
 思い起こすと、平成25年の秋に、損保会社が提示していた金額は170万円であったことから、ちょうど2倍の賠償額で事件が終わったということになる。
      

日時:16:04|この記事のページ

安保法案に賛成する

2015年07月22日

 安全保障関連法案について、私見を述べたい。私は、安保法案に賛成する。しかも、法案は、できる限り早く成立させる必要がある。なぜなら、国際法を無視した中国の膨張主義の姿勢が、過去とは比較にならないほど明らかになってきているからである。
 これに関連して、新聞報道によれば、数日前の20日(月)には、安全保障関連法案に反対する学者が150人集まって同法の廃案を呼びかける集会が東京都内で開かれたようである。
 日本は、思想・良心の自由、言論の自由があるから、言論が違法性を帯びない限り、何を主張しても勝手である。したがって、学者が、150人集まって、同法案に反対の意思を表明することも自由である。
 しかし、私はこのような動きには賛成できない。以下、理由を述べる。
 第1に、安全保障関連法案が違憲であると主張する、これらの学者たちの基本的な立場を確認しておく必要がある。学者のうち、憲法学者には「違憲である」という人々が多いようである。当たり前のことであろう。なぜなら、憲法学者のうちの多くの人々は、自衛隊の存在自体が日本国憲法9条に抵触すると考えているからである。
 自衛隊が日本国憲法9条に違反すると言うのであるから、安全保障関連法案が憲法違反であるという結論に結びつくことは当然である。
 しかし、自衛隊が憲法違反であるという主張は、それ自体が極めて不合理なものである。仮に我が国を防衛する実力組織(自衛軍)がなかったとしたら、我が国は、いつでも他国に侵略される危険に直面することになるからである。
 なぜそのようなおかしな結論が出るのかと言えば、憲法9条自体に欠陥があるからである。したがって、憲法9条は、是非とも早期に改正する必要がある。憲法9条をまともな条文に改正することによって、今回のような、理解し難い動きが生じないようにする必要がある。
 第2に、そもそも、私は、学者という人間の発言を余り重視していない。彼らは、国民によって選ばれて大学教授の地位に就いたわけではない。したがって、誰に対しても公的な責任を負わないのである。責任を負うのは、せいぜい自分を雇用してくれた大学に対してか?
 学者は、真理の追究を建前として、自分が好きな分野を研究し、それを生業として生活するという人々である。したがって、学問研究の結果として、何を唱えようと基本的に勝手なわけである。もし、自分が唱えたことが原因となって、何か重大な災いが国民に生じたとしても、一切公的な責任は取らないのである。
 もちろん、学者がいろいろな分野を研究することによって、新たな製品が発明されて、それによって国民が多大の便宜を受けることも多く、そのような研究に対しては、感謝の気持ちも自然と沸いてくる。したがって、研究すること自体は特に問題はない。問題なのは、そのような能天気な学者の主張を、我々国民は、正しいものとして鵜呑みにすることであり、そのようなことはあってはいけないということである。
 今回、反対声明を出しているのは、お馴染みの「進歩的文化人」や「左派系の学者」ばかりではない。いわゆる進歩的文化人や左派系の学者は、いわば確信犯的な人物であるから、我々が、いくら「おかしい」と言っても聞く耳は全く持っておらず、これらの人々に対し、正論を説くことは、「馬に念仏」であって最初から無駄である。
 私が、やや驚いたのは、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英京都大学名誉教授がメンバーに入っていたことである。益川氏は、ノーベル賞を受賞した人物ということもあって、同氏を前面に押し出すことによって宣伝効果を高めようと計算した人物が裏にいるはずである。
 私の見たところ、益川氏は、余り人を疑うことをされない好人物のようである。そのため、あくまで善意で参加を申し出たところ、図らずも、このような集団の真ん中に担ぎ上げられてしまった、というのが真相に近いのではないだろうか。
 益川氏は、専門は物理学であって、政治・外交・防衛問題には全くの素人である。したがって、本来であれば、このような政治的なメッセージを出す人々には近づかない方が賢明であった。晩節を汚すような結果にならなければよいが、とやや心配している。

日時:11:08|この記事のページ

牧田善二著「人間ドックの9割は間違い」(幻冬舎新書)を読んで

2015年07月14日

 本屋で上記の本を買った。私は、日頃から健康問題にも関心が高い。そのため、ここ10年間余りは、愛知県にある医療機関で何回も人間ドックにかかっている。
 しかし、最近になって、「人間ドックにかかって、血液や尿の検査をした結果を教えてもらっても、そのことが果たして大いに役に立っているのか?」という疑問をいだくに至った。
 悪玉コレステロールの数値や血糖値の値を教えてもらい、確かに、以前よりも、食べ物や生活習慣に気を付けるようになったことは間違いない。何も知らずにいるよりは、確実に健康維持に役立っている。しかし、我々が一番怖い病気とは、言うまでもなく癌である。テレビなどを見ても、最近は、毎日のように健康に関する番組があって、いろいろな医者が、医学知識を解説してくれる。
 したがって、そのような健康番組を長期間見ていると、知らないうちに、かなりの初歩的医学知識が身に付いてくる。特に、予防医学のための知識が、知らぬ間に身に付き、健康にとって悪いことは避けるようになってきている。癌については、早期発見、早期治療が一番だと思う。問題は、人間ドックが、その目的を果たすために多少なりとも役に立っているのか、ということである。
 牧田医師は、人間ドックでは、一番危険な病気である癌を早期に発見することはできないと言う(64頁)。その原因として、人間ドックでの検査項目は、癌の早期発見には役に立たないという。その一例として、胃部のバリウム検査をあげる。胃部のバリウム検査では、早期の癌を発見することはできないという。
 私もバリウム検査を受けたことが何回もあるが、コップに入ったバリウム剤を飲むのは、決して楽しいことではない。また、硬い機械の台に載せられて長時間にわたる撮影は苦痛である。毎回のことではあるが、「なぜこのようなことをしなくてはならないのか。こんなことをして胃癌の早期発見ができるのか。」と疑問を感じる。
 牧田医師は、バリウムを飲むくらいならば、最初から、胃カメラを飲んだ方が、早期発見という目的からは確実であると説く(69頁)。さらに、胃部のバリウム検査を行っているのは、医師ではなくレントゲン技師であること、また、バリウム検査を受けると相当量の被曝を伴うこともあげる(胸部X線検査の150倍~300倍もの被曝となる。)。
 私もそう思う。胃癌が心配であれば、最初から、胃カメラを飲む方が効果的であることは疑いない。ただ、私もかなり前に、ある病院で人間ドックを受けた際に、胃カメラを飲んだことが一度だけあるが、その時は簡単には飲み込めず、やや苦労したことがあり、嫌な記憶が今でも残っている。
 この点について、牧田医師は次のように言う(129頁)。「そもそも、口から飲む胃カメラで苦しい思いをさせられたなら、その検査機関は古い道具を用いているか、下手な医者がやっているかのどちらかですから、眠っている間に、苦痛なく検査してくれるところに変更したほうがいいでしょう」と。
 最近では、検査機器も進歩しているようであり、私としても、今後は、より苦痛の少ない検査をやってくれる医療機関に変えようと思っているところである。また、胃部バリウム検査は、今後は受けるつもりはない。
 牧田医師は、先日、テレビに出ておられて、「小さい車をもっている。」と発言したのに対し、司会者が、「お車は何ですか。」と聞くと、確か、「ポルシェです。」と答えておられた。したがって、本業でかなり儲けておられると見た。
 人間ドックに対し、何か疑問を持っている人々にとっては、非常に役に立つ情報が平易に書かれている本であると思う。広く一読をお薦めしたい。

日時:14:31|この記事のページ

前原清隆著「孫子が指揮する太平洋戦争」を読んで

2015年07月09日

 私は、戦争ものに関する本が比較的好きである。そのため、第2次世界大戦、太平洋戦争などを分析した書物や、兵器に関する解説書を読むのが好きである。
 たまたま本屋で、上記の本を見つけた。早速購入して読んでみた。
 この本は、古代中国の優れた戦略家ないし思想家であった孫子の眼からみた太平洋戦争が描かれている。この本は、孫子の説く戦争の基本を踏まえ、現実に日米が戦った太平洋戦争をあれこれと論ずるものである。
 例えば、孫子の言葉で一番有名な言葉とは、「彼を知りて己を知れば百戦して殆うからず」というものであろう。この言葉は、情報の大切さを説いたものである。戦争をする場合、敵方に関する情報をよく把握し、同時に、味方に関する情報を的確につかんでいれば、100回戦ったとしても、100回とも勝利することができるという意味である(逆の場合は、100回とも負けるということである。)。
 ここで、前原氏は、具体例としてミッドウエー海戦を取り上げる。ミッドウエー海戦において、日本とアメリカの海軍力は、実は、我が方がむしろ有利な状況にあった(日本は、戦艦11、空母6、重巡10その他350隻であった。他方、アメリカは、空母3、重巡5その他合計57隻であった。)。しかし、連合艦隊の司令官山本五十六は、アメリカ太平洋艦隊の動向をつかむことなく、やみくもにミッドウエー島を目指し、そこでアメリカ太平洋艦隊の空母部隊を撃滅しようと考えた。
 また、日本の連合艦隊は、その戦力を二つに分け、一部をアリューシャン方面に向かわせた。決戦においては、兵力を分散することは非常にまずい作戦である。当時は、専門家が、それなりの理由があってそう決めたのであろうが、仮に、兵力を分散することなく全戦力をミッドウエーに向かわせていたら、戦果に違いが出たのではないだろうか。
 前原氏の分析によれば、日本が負けた最大の原因は、敵であるアメリカ機動部隊を発見するのが遅れたからであるという。確かに、ミッドウエー島には、アメリカ軍の基地があって、日本が攻撃してくるのを待ち構えていたのであるから、真珠湾攻撃のような不意打ちは期待できない。
 とすれば、何が何でも先にアメリカ太平洋艦隊の機動部隊を発見して先制攻撃を行う必要があった。しかし、現実にはそれに失敗したのであるから、直ちに作戦を中止し、出直すべきではなかったのかと考える。
 いずれにしても、日米の国力は、相撲に例えれば、大学生横綱(日本)と大相撲の横綱(アメリカ)くらいの格差があるのであるから、戦争を続ける時間が経過すればするほど分が悪くなるのは当然である。したがって、日本としては、開戦と同時にアメリカに大損害を与え、アメリカ国民に厭戦気分を惹き起こさせ、和睦に持ち込むほか勝機はなかったのである。
 ところで、世の中では、「戦争反対」「平和が一番」「軍備拡大反対」という声をしばしば耳にする。当たり前のことである。戦争が好きな者は余りいない。しかし、重要なことは、自分たちは戦争を起こさないと決めていても、世界には、そうは考えていない連中がいるということをしっかり認識する必要がある、ということある。
 現在でも、堂々と、自分から他国に対し戦争をしかけ、占領した地の住民を虐殺して何とも思わない組織がある。例えば、イスラムステイトがその例である。
 「戦争反対」、「軍備拡大反対」を叫ぶ者たちに聞きたい。仮に、イスラムステイトのような連中が、我が国に侵攻した場合、どう対処するつもりなのか、と。まさか、「話せば分かる」などと考えていたら、問題外である。そのような空念仏を唱える暇もないうちに虐殺されていまうであろう。
 したがって、我が国に対する他国の侵略行動を思いとどまらせるためには、十分な軍事力を備え、平時において法整備をしっかりと行っておく必要があるのである。備えあれば憂いなしということである。

日時:10:43|この記事のページ

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