

本日は、令和8年(2026年)1月10日である。新年を迎えて10日間が経過した。令和8年も、わずか10日を経過しただけであるが、いろいろな事件が起きている。まず、新年早々、アメリカがベネズエラを攻撃し、直ちにマドゥロ大統領を拘束し、アメリカ本土に連行した。これには驚いた。ここでアメリカは、犯罪者マドゥロを公正な裁判にかけるために身柄を拘束したという「法執行」の論理を持ち出している。しかし、「Might is right」(力は正義なり)という諺もあるように、国際社会では、最後に物を言うのは力つまり軍事力である。力を持つ者の主張が事実上通ってしまう(その結果を覆すことはできない)ということである。
もちろん、国際法というものがあり、平時においては各国も国際法の定めに従って、規律され、拘束されて平和的に行動する。しかし、国際社会は、各国がそれぞれ主権を持っているため、仮に国際司法裁判所が判決を出しても、例えば、フィリピンとの海洋領有権争いで敗訴した独裁中国のように、「判決文などただの紙切れにすぎない」とうそぶいて、公然と無視することもある。
国際法には、国内法のように、国家が法を強制的に執行する(実現する)という仕組み(例 債務者の所有する不動産を差し押さえて競売にかけるという手法)がないため、実効性を担保することができない。要するに、国際社会においては「法の支配」が徹底されていないということである。
比喩的に言えば、国際社会は、多くの動物が生存競争をしているジャングルと同じということである。この世界では、力の強いものが、自分よりも弱いものを捕まえ、食料として利用し、自分の生存を確保する。いわゆる弱肉強食の世界である。ここでは、善も悪もない。あるのは勝者と敗者のみである。
ただし、人間は動物よりも少し知恵があるため、戦争(闘争)を回避するためにいろいろな手段を講じる。よく知られていることであるが、例えば、第1に、自国の軍事力を整備すること、第2に、軍事力を支える基盤となる経済力を高めること、第3に、思想や理念を共有する国と同盟関係(友好関係)を構築すること、第4に、海外の多くの国々に対し日本の立場・事実関係を正確に使え、敵対国が発する嘘・デマを打ち消し、日本支持の国際世論を形成させること、最後に、第5に、敵対国と外交交渉を巧妙に行い利害を調整すること等である。
さて、ここで重要な点とは、上記5つの方法を、時と場合に応じて適切に使って、我が国が無用の戦争に巻き込まれないようにしなければならないということである。現在、日本に存在する多くの政党には、この点が全く分かっていない政党も少なくない。高市政権の場合、過去の二流・三流・四流政権と違って、国力を増強し、また、これまで外国人を必要以上に優遇してきた弊害を改めようとしている姿勢が鮮明となっていることは評価できる。
本日の産経新聞は、1面の産経抄で「中道」という言葉が極めて曖昧なものである点を指摘している。次のように書かれている。「公明は与党時代、自民党のブレーキ役を自任し、数多くの法案や施策を骨抜きにし、どっちつかずにしてきた」と。また、「立民は国会で建設的な提案よりも醜聞追及や揚げ足取りに重点を置き、不毛な質疑で首相や閣僚の時間を奪っている」、「それらが彼らの言う中道ということなのだろうか」と。まさしくそのとおりである。
私見によれば、公明党が昨年、連立政権から離脱してくれたことは、最大の幸運事であった。仮に公明党が連立政権から離脱せず、そのまま与党に加わっていた場合、日本再生の動きは起こり得なかったと言い得る。公明党の特徴とは、これまで何度も指摘しているとおり、骨の髄まで親中派ないし媚中派だということである。その具体的内容は、門田隆将・山上信吾著「媚中」46頁から59頁に簡潔に書かれている。公明党が媚中派つまり「中国の代弁者」であるのは、はるか1960年代から始まった中国共産党の「対日工作」によるものである(同著58頁から59頁参照)。
中国に取り込まれている公明党が、日本の国益実現を第1に考えて日々活動しているか、と問えば、年始の斎藤代表の公式発言を見る限り、「no」である。高市首相の国会答弁を批判し、次々と日本に対する不当な圧力をかけている独裁中国の不当極まる姿勢を側面から擁護しようとしていると見える斎藤代表には、全く期待できない。むしろ、日本の発展を妨げる障害というマイナス評価しか出てこない。よって、次回衆議院議員総選挙においては、党勢は衰退を免れないと予想する。
私は、毎週土曜日の朝9時30分から放送される「正義のミカタ」という番組(大阪朝日放送制作)をこれまで長期間にわたって見ている。この番組は、時々の最新の話題に対し、専門家が的確に解説をしてくれる非常に良い番組である。東京のテレビ局(オールドメディアのテレビ)のように、素人ゲストが専門家を装って偏った意見を垂れ流している劣悪なものとは一線を画している。その「正義のミカタ」にしばしば登場するのが、中国専門家の近藤大介氏である。氏の長年の中国人観察に裏付けられた情報は概ね信用できると感じる。
近藤氏は、昨年「ほんとうの中国」(講談社現代新書)を出した。本の帯には、大きな見出しがあり、「勝者総取りの弱肉強食社会」、「日常は他者との闘争」、「性善説よりも性悪説を好む」等と書かれている。中国とは、まさに日本人とは全く価値観が異なっている荒廃した階級社会である。
この本の中で、日本から中国を訪問した日本人がしばしば口にする「一衣帯水」という言葉について近藤氏は大きな違和感を感じたという箇所がある。この言葉は、日本人が根拠もなく勝手に思っているだけで、近藤氏によれば「どう見ても日中の人々は一衣帯水の関係ではない」と断言する(同書15頁参照)。中国を訪問する日本代表団の団長クラスの人物は、何も真実を知らないまま、慣例に従って無責任に「一衣帯水」と調子よく発言しているだけのことなのである。全く、無知とは怖いものである。
話をまとめる。私見によれば、日本の外交の基本は、「中国の嫌がることをやれ」ということに尽きる。仮に公明党のように、独裁中国の不当な主張に譲歩を見せた場合、独裁中国は更に不当要求をエスカレートさせてくることは間違いないからである。そういう間違った方向に日本が行かないようにするためには、「中国の嫌がることをやる」のが正解となる。不当要求を拒絶して、日本が国家としての独立を維持するためには、軍事力の増強が急務となる。将来は核兵器の保持も視野に入れて、確実に前進する以外にない。
東京発のテレビ報道を見ていると、独裁中国の圧力の内容をそのまま垂れ流し、結果、中国のプロパガンダの片棒を担ぐという愚を犯している。北京放送局の日本支部と化している。どうしてここまで低レベルなのか?本来であれば、中国の不当な圧力を徹底批判し、祖国である日本を叱咤激励する内容の放送でなければならないのではないのか?国家の安定よりも高視聴率の獲得つまり金儲けにひたすら走る亡国のマスメディアにはほとほと呆れた。
自分たちが平和に生活を送れて、また、言いたいことを自由に電波に乗せて言えるのは、一体誰のお陰なのか。一度よく考えた方がよい。少なくとも、人権無視の独裁国家中国のお陰ではないのである。
今後、我が国は、信用できない独裁中国とは極力貿易をしないという方向に向かう必要が是非ともある。対独裁中国との貿易高が減少すれば、嘘で固められた独裁中国からの悪影響(いちゃもん)を受ける確率は確実に減少する。極論すれば、今後、日本は中国という「不良国家」とは縁を完全に切るべく、政策を大胆に変更するのが正しい思考方法と言うべきである。
(追記 2026.1.14)
最近の報道によれば、高市総理大臣は、今月23日の通常国会冒頭で衆議院を解散するとの意向を固めたとのことである。首相のこの姿勢に対し、オールドマスメディアは、大方、「なぜ、この時期に?」と否定的意見を吐いている。普通に考えれば分かることであるが、衆議院の解散という決断は、もっとも政治的な色彩が濃厚な行為の一つであり、解散権を行使するか否かは、ひとえに解散権者の一存にかかっている。もちろん、国民が裁判所に対し、「この解散は憲法違反である」と主張して裁判を起こしても、最高裁判所は、その是非について判断を示すことはない(最判昭35・6・8判決。いわゆる苫米地事件判決「衆議院の解散は極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であって、[中略]裁判所の審査権の外にある」)。したがって、その是非を判断するのは、衆議院議員選挙で投票する全国の有権者となる。
オールドマスメディアに属する地元岐阜県のG新聞も、社説で今回の高市総理大臣の解散権行使の意向について敵意むき出しでケチをつけている。このG新聞の社説は、一体誰が原稿を執筆しているのかは不明であるが(おそらく岐阜の生まれではなかろう)、ほぼ毎日、左翼勢力が喜ぶような意見(ただし、この点はあくまで私見である)を掲載している(なお、私はこの社説を普通に読むことはない。そもそも読む価値がなく時間の無駄となるため、見出しを一瞬見るだけでパスしている)。しかし、言論・出版の自由が憲法で保障されている以上、私としては「勝手にせよ」と突き放すほかない。
私としては、防衛費の増大、武器輸出5類型の撤廃、原子力潜水艦の製造・保有、スパイ防止法の制定、外国人の取締り法制の強化、旧姓の通称使用の法制化の、全部の方針について全面的に賛成する。高市首相は、これまでの停滞した古い政治と決別し、上記のような正しい政策をどしどし実現するよう頑張っていただきたい。いずれにしても、今回の高市総理大臣の政治判断が正しかったのか、あるいはG新聞社説が言うように間違っていたのかは、本年2月に実施が予定されている投票結果ではっきりする。投票前と比べて政権政党の議席が増えれば、国民の信任を得たということになるし、逆に、議席が減れば国民は「no」と判断したことになる。石破茂のように選挙で負けても、いさぎよく負けを認めようとしないのは、政治家としては見識が疑われることになる。
話をまとめる。時の政権の政策が妥当なものと評価できるか否かは、オールドマスメディアに属する新聞記者ごときが決定できる事柄ではない。決めるのは、あくまで有権者国民である。

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