

中国という共産主義が支配する全体主義国家は、近時、ますますその野望をあらわにしてきた。今日、わが国の防衛をどうするかという問題から、何人も逃げることはできなくなっている。つまり、「自分は関係ない」と高を括るような態度をとることはできなくなっている。
なぜなら、武漢ウイルスによる被害を軽く上回る甚大な被害が、中国による尖閣諸島侵攻を契機に生ずる可能性が高いからである。ただし、そのような深刻な事態が起こるのは、今年か来年かは分からない。仮にそのような事態が発生した場合、戦争が始まるのであるから、オリンピックどころではなくなる。日本は戦時体制に突入する。
その場合、わが国が自由民主主義体制を維持し、今後も平和国家として存続するためには、共産主義中国の、どす黒い野望を打ち砕く必要がある。その場合、具体的には、中国の侵略行為を未然に防止する、つまり全体主義国家である中国が、わが国への侵略を断念するというシナリオが一番望ましい。
そのような結果を導くためには、どうしたら良いのか?この点は熟慮の上にも熟慮を重ねる必要がある。既存のありきたりの概念に浸っている暇はない。ところが、この点について、与野党とも、「専守防衛」という考え方をとる者が多い。
しかし、これまでも私が指摘しているとおり、専守防衛という考え方は、根本的に間違っている。というよりも、想像上の産物というべきであって現実性は全くない。いわば蜃気楼のようなものである。以下、理由を述べる。
第1に、専守防衛という考え方は、敵つまり中国軍がわが国に対し攻撃を加えた場合、日本を防衛するために自衛隊が活動し、敵の侵攻を食い止めて時間を稼ぐ。そうこうするうちに、米軍が応援にやってきて、敵に対し攻撃又は反撃するというものである。
しかし、これには重大な疑問がある。そもそも、自国を防衛するのは、その国自身の責務ではないかという疑問である。戦争とは、国家の存亡をかけた戦いである以上、戦争当事者の国民が、自分で自国つまり日本を守るというのが自然である。つまり、防衛も攻撃も、自前で行うのが、真の防衛力というべきではないかという疑問である。「防衛は日本、反撃は米国」という考え方は、いかにもいびつである。実用性を欠く間違った考え方である。これは、普通の高校生でも理解できる話である。
第2に、果たして米国が日本防衛に参戦するかという疑問がある。米国と日本は、安全保障条約を締結しているから、米軍には日本が攻撃を受けた場合に日本を防衛する義務がある。
しかし、それはあくまで条約上の取り決めにすぎない。防衛義務を米国に強制することはできない。したがって、米国の大統領の気持ち次第で、「条約を順守して戦争に参加するよりも、ここは参加しない方が、米国にとって利益になる」と判断すれば、米軍は何もしないという事態も想定できる。
事件が起こった場合、世間では、しばしば「想定外だった」という弁解を聞くことがあるが、政治家たる者、そのような言い訳は決して言うべきではない。あらゆる事態を想定して対策を講じておくのが、まともな政治家の役割なのである。
例えば、中国が核ミサイルを沖縄に落とし、沖縄県が全滅したとする。県知事以下県民全員が即死したとする。その場合、米国の大統領が、果たして中国本土に対し核ミサイルを発射するであろうか?おそらく、核弾頭の使用はしないというのが確率的には一番高い。
他方、米国が、自国つまりアメリカ本土に対し核ミサイルを撃ち込まれた場合は、ほぼ間違いなく核ミサイルを敵国つまり中国に打ち込むであろう。そうしないと米国民は黙っていない。
このように、米軍を頼りにした戦略の構築は、非常にもろいものである。中国の侵略を阻止するためには、「同害報復」の原則を見せつけ、中国に対し「日本を攻撃したら、大量の返り血を浴びることになる」「止めておこう」というふうに誘導する必要がある。
平和というものは、口先で「平和が大切」と1000回叫んでも無意味である。それよりも敵国(中国)に日本攻撃を思いとどまらせるだけの重厚な軍事力をわが国が整備することが大切である。
想えば、日本国憲法が制定された当時、中国は、核兵器を保有していなかった。人民解放軍の兵士を大量動員する人海戦術で闘うほかない、開発途上国であった。軍事的な装備も貧弱であった。私が子供の頃、ラジオを聴くと、「こちらは北京放送局です」という電波が入ってきた。聞き耳を立てると「張り子のトラ」、「アメリカ帝国主義」という文言が頻繁に聞こえた。
ところが、今では、中国は、長期間にわたる戦略を基に、軍事力も米国にかなり接近してきた。つまり、軍事大国化した。他国を無視した傲慢な振る舞いから、妙な自信を付けたと見るほかない。戦争を始める準備が最終段階に入ってきたようである。
かたや過去に一度もバージョンアップをしていない日本国憲法9条は、今や骨董品のようなものに成り下がった。その意味で、日本の平和的存続を阻害する日本国憲法9条は、百害あって一利なしであり、早急に改正する必要がある。
今年は2020年である。昨年は、言うまでもなく2019年であったが、その12月に、2020年の出来事を的確に予想した者は、誰一人いなかった。昨年の12月も、いよいよ年末を迎えると、新聞報道、テレビ・ラジオなどの放送は、異口同音に、「来年が良い年であることを願います」というメッセージを出すことで終わっていた。つまり、すぐにやってくる未来がどのようなものとなるかについて、何も分かっていなかったということである。全部のマスメディアは、能天気な態度に終始していた。
さて、本日付けの産経新聞の社説を読むと、「有人化に乗り出すときだ」とあった。理由を読むと、中国によるわが国の固有の領土である尖閣諸島に対する侵略を阻止するためであることが読み取れた。
私もこのような考え方には賛成する。中国の野望(いわゆる「中国の夢」=他国の隷属)を阻止し、わが国の平和と繁栄を維持するためには、早急に尖閣諸島に対するわが国の実効支配を強化する必要があるのである。
わが国は、固有の領土である北方領土と竹島を、それぞれ、ロシアと韓国という「まともでない国」によって不法占拠されている。このように、たとえわが国の固有の領土であっても、他国によっていったん不法占拠されると、これを排除することは容易ではない。なぜなら、かなりの確率で大規模な戦争に発展することを覚悟する必要があるからである。
これに対し、現時点でわが国が支配している状態の島を、より強固に支配することは、奪われた島を奪い返すことに比べて容易である。なぜなら、尖閣諸島に対する中国の侵略を阻止するという、いわば広い意味の「防衛行動」の概念に収めることが可能だからである。
どういうことかと言えば、わが国は、これまで専守防衛を国の基本的方針としているため、
他国に対する積極的な攻撃と解釈できるような行動はとれないということになっているからである。
しかし、私は、「専守防衛」などという方針は、現実離れした「言葉の遊び」にすぎないと考える。非常に不合理な考え方だということである。そもそも防衛に、専守も攻撃もないのである。
例えば、ボクシングの試合を考えた場合、普通は、双方の選手が攻撃に回ったり、防御に回ったりして、攻守が瞬時に入れ替わりながら、試合が続いてゆく。仮に、A選手は、決して攻撃を加えてはならず、防御に専念するというルールで闘った場合、A選手が世界チャンピオン級の実力者であっても、相手のB選手に勝つことは難しい。B選手がへばって自分からマットに倒れ込む以外に勝つことができないためである。つまり、最初から試合にならないということである。
戦争の場合も同様であり、専守防衛論では、中国が、第一波として、日本領(領土)に対し攻撃を開始した場合に、日本は防衛のための戦争を行うことができたとしても、いったん、中国軍(人民解放軍)が態勢を立て直すために兵力を引いて、中国国内において第ニ波の攻撃のために兵力の補給を行っているような場合、専守防衛論では、中国国内の中国軍の後方基地を日本が攻撃することができなくなってしまう危険がある。これでは、いつまでたっても戦争は終結しない。結果、中国の邪悪な意図をくじくことができなくなる。上記のボクシングとあまり変わらない。
防衛戦争とは、わが国の領土を守るという目的をもって遂行されるべきものであり、専守防衛などという言葉の「お遊び」に縛られていては、真の防衛戦争など出来ないのである。したがって、出てくる結論(正解)とは、敵地を攻撃する能力を日本が完備することである。これ以外にない。日本が敵国である中国の軍事敵地を攻撃する能力があることを中国が知るだけで、大きな戦争抑止力になる。
ところが、たまたま読んだG新聞の社説には「気になるのは、軍備増強の議論が先走っていることだ」とあった。軍備の増強など決して認められないという思想であろう。おそらく共同通信社の幹部の記者が書いている社説であろうが、全く話にならない。「何を考えているのだ。日本の国益を少しは真面目に考えたらどうだ」と言う以外にない。
共同通信社の記者の頭の中には、軍備の増強=悪という間違った思想が染みついてしまっているようである。一体どのような教育を受けると、このようなおかしな思想に到達するのか、一度、ご本人に合って質問したいものである。
例えば、NHKの「麒麟が来る」を持ち出すまでもなく、利害が一致しない国同士で、話し合いによる解決が望めない場合、ものを言うのは、最終的には軍事力である。軍事力を常に強化しない限り、隣国の侵略を受け、やがて他国の支配を受け入れる以外になくなるのである。軍備の増強は、悪いことどころか、むしろ喜ぶべきことなのである。軍事力が完備されておれば、他国も容易に隣国への侵略行動を開始することはできなくなり、結果、話し合いによる妥協の途も出てくるのである。ただし、中国が話し合いによる妥協を考えている様子はない。最後は、軍事力で、他国をつぶすことを考えているとみてよい。虎視眈々と侵略の機会をうかがっていると考えて間違いない。極めて好戦的な、「暴力団」のような危険な国家である。
話を戻す。尖閣諸島に関し、産経新聞が提唱するように有人化を推進すべきである。有人化の具体的方法については議論を経る必要がある。例えば、ミサイル観測用のレーダー設備を備えた軍事施設、あるいは海上保安庁の職員が一時的な休息をとれるような簡易な庁舎を建設することなどが考えられる。
一番重要なことは、尖閣諸島の防衛を、わが国が主体的に行う強固な意志があることを内外に示すことである。にもかかわらず、与野党の議員は、一部の意識の高い有能な議員を除き、大半が無関心を示している。巨大地震の場合は、いつ来るかを正確に予知することができない。しかし、中国の尖閣諸島侵略に向けた動きは、過去10年以内に起こった中国の行動を検証すれば、いよいよ危険な状態に入ってきたと言える。
危険が予知できるのに何も手段を講じないのは、新型コロナウイルスに例えれば、爆発的な感染拡大が予想されるのに、政治が何も手を打たないことと同じである。そのような国会議員は要らない。そのような国会議員は、全員をクビにする以外に方法がないくらい、無責任だということである。これは万死に値するくらい罪が重い。
仮に2021年に、中国による尖閣諸島への侵略行為が開始された場合、わが国には、今回の武漢ウイルス(いわゆる新型コロナウイルス)を上回る混乱が生じるであろう。ただし、遅まきながら、現時点から日本が強い態度を示し、敵地攻撃能力を整備する方向で国政が一致して動けば、中国も、簡単には侵略を開始できなくなる。
無関心を示している(中国共産党の重要な仲間である)怠慢議員を一掃すべきである。

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