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弁護士日記

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「憲法学者らの横暴」を読んで

2020年10月19日

 2020年10月18日付けの産経新聞は、興味深い論稿を掲載していた。
 筆者は東京外語大教授の篠田英朗氏である。篠田氏は、日本学術会議問題の核心と銘打って「憲法学者らの横暴」という小論文を寄稿した。篠田氏は、「今回の日本学術会議の問題の背景には安保法制をめぐる党派的分断があり、それは根深く憲法問題に関わっている」と分析する。この分析には私も同意できる。
 現在の日本において、与党と野党(左翼勢力・反日マスメディア)はいろいろな問題または政策をめぐって対立することが多いが、多くの場合、憲法9条の問題が影響している。私の持論である、米国製の憲法9条の存在が、日本の国益の実現を妨害しているということである。分かりやすく言えば、憲法9条は諸悪の根源となっている(もちろん、将来9条をまともな方向に改正し、それにともなって憲法9条の解釈も国際標準を満たした常識的なものに変化すれば、諸悪の根源ではなくなる)。
 篠田氏は、自衛隊は軍隊ではないという間違った認識をただす必要があると述べた上、誰が見ても自衛隊は軍隊であると指摘する。私もそのとおりであると考える。国防の目的で戦車や戦闘機などの武器を組織的・合法的に保有することが認められている国家の実力組織である自衛隊は、軍隊以外の何物でもない。そのことは、小学生であっても容易に分かる。
 ところが、篠田氏は、こう指摘する。「素直な理解の障害が、憲法学者である。大学人事と司法試験や公務員試験等を通じた影響力を持ち、健全な学問的議論さえ許さない雰囲気を作り出してきた。そして日本の外交安全保障政策に混乱を作り出してきた」と述べる。私も全くそのとおりであると考える。
 思うに、日本の多くの憲法学者ほど無益な存在はない(ただし、これはあくまで私見である)。憲法9条をひねくりまわして解釈し、結果、国益に甚大な損害を及ぼしているからである。
 しかし、彼らにはそのような自覚はなく、日本学術会議の問題でも明るみになったとおり、ひたすら「学問の自由」を唱え、いわば「学者村」の住人として、余計な波風を立てないよう留意しつつ、日々安穏と生活する。
 仮に日本国が、近隣の共産主義独裁国家中国の侵略を受け、その支配下におかれた場合、彼らは、一体どのように抵抗するつもりなのであろうか?彼らは、国防は、学問の自由を守るためにも重要であることすら分かっていないのである。
 次に、篠田氏は、多くの憲法学者の憲法解釈の欺瞞性を鋭く指摘する。
 憲法9条1項は戦争の放棄を規定する。これによって戦争は違法であるという解釈となる(これには私も異論がない)。
 しかし、この条文は、外国からの侵略を阻止するための自国の自衛権まで放棄したものと解することはできない。氏は「戦争と自衛権行使は国際法上、別の概念であり、個別的であろうと、集団的であろうと、自衛権は、国際法の不可欠な制度の一つだ」と明快に説く。全くそのとおりである。
 ところが、間違った憲法解釈に毒された左翼政党の国会議員や反日マスメディアの論説委員などの関係者はそのようには理解しない。日本国憲法は、集団的自衛権を認めていないと決めつける。そして「戦争反対」などと騒ぎ立てる。かつて、「安倍 辞めろ」というスローガンを唱えてデモ行進をした連中もこの部類である。しかし、実のところ、彼らは何も分かっていない。烏合の衆にすぎない。安倍元総理は、戦後の歴代総理大臣の中でも、功績をあげた人物の一人である(ハト・カンなど足元にも及ばない)。
 篠田氏は、憲法9条2項についても論じる。多くの間違った説を唱える憲法学者は、2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれていることを根拠に自衛隊を否定する。しかし、GHQ案はそのようには解釈しておらず、2項の「戦力」とは「war potentiai」=戦争潜在力と定義し、2項の趣旨を、違法である戦争を行う準備をしないことであると考えていた。
 ところが、日本の多くの憲法学者はそのようには考えず、9条2項は、自衛権を行使するための手段も禁止したものであると間違って解釈し、そのような間違った思い込みが、令和の時代になっても、「憲法学説」として憲法の教科書などに延々と引き継がれているのである。
 現在の政府の公的見解は、いずれの国家も自衛権を保有しているが、その自衛権を行使するための必要最小限の自衛力を保持することは合憲であるというものである。私は、学生の頃、なぜこのような回りくどい不自然な解釈をとるのか不思議であった。
 しかし、東大卒の学者を中心とする憲法学者が、間違った自衛隊違憲論を唱えており、一方で、現実に国民の安全保障の責任を負う政府としては、苦し紛れであっても、このような解釈をとらざるを得ないことが分かってきた。
 篠田氏は、9条に3項を新設し、「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない」という文言を入れてはどうかと提案する。傾聴に値する提案である。そして、最後に、「自衛隊の国内法・国際法上の地位を確立させたい」と結ぶ。私もこれには大賛成である。
 

日時:14:56|この記事のページ

学術会議の6人の候補者任命拒否は当然だ

2020年10月02日

 本日の産経新聞は、政府機関である日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、6人の任命を見送ったと報じた。
 これに対し、学問の自由の侵害であるなどという間違った意見が多く寄せられ、野党も任命をされなかった候補者のうち数名と会って意見を聴いたという。また、日本学術会議の梶田会長は、政府に対し、任命拒否の理由を説明するように求めたという。
 これらの意見は、いずれも間違ったものであって受け入れる余地はない。以下、理由を示す。
(1) 法的根拠の有無について。日本学術会議法によれば、7条2項で、新会員は推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると定められている。推薦の具体的方法は、同法14条がこれを定める。日本学術会議が候補者を選考し、内閣総理大臣に推薦すると規定する。
 この条文を素直に読む以上、誰を新会員にするか、つまり任命するかの決定権限があるのは、内閣総理大臣であることが明白である。よって、今回、6人の候補者について菅総理大臣が任命を拒否したことは適法である。任命拒否を受けた立命館大学の松宮という刑法学者は、「この政権、とんでもないところに手を出してきた」という品位を欠く表現をとって政府を非難したが、心得違いも甚だしい。
 私に言わせれば、このようなおかしな認識を示す人物だから、政府も任命を拒否したのであろう(もちろん任命拒否の主たる理由は、この人物の過去の国会における発言にあると考えられる)。そう考えると合点がいく。学術会議の会員に任命されるということは、政府から手当を支給される身分に就くということである(法7条7項。特別職の国家公務員)。手当の原資は、もちろん国家の予算であり、国民が納めた税金である。
 すると、誰を任命したかについては、任命権者である日本政府が責任を負うことになる。責任を負う立場にある以上、日本政府において「不適格」と判断した人物を日本学術会議の会員に任命することは許されないのである。
(2) 日本学術会議の梶田会長は、任命拒否の理由を明らかにするよう求めているが、これは常識に照らしても無理な話である。
 例えば、国家公務員の幹部を登用する国家試験の面接試験において、普通はあり得ないような不当な発言をした受験生がいたとする。当然、不合格になる。この場合、同人が、「なぜオレは不合格になったのだ」と異議を唱え、仮に採用担当の行政機関に対し、理由を示すよう求めても、開示はされない。まさか「異常な人格であるので不合格とする」などと回答することはできないのである。
 仮に今後、松宮氏ほかの学者が任命を拒否された理由を政府に質問することになった場合、回答を求める方がおかしいという以外にない。裁判に訴えても、ほぼ100パーセント敗訴すると予想する。
(3) 憲法23条で保障された学問の自由と、今回の件は全く関連性がない。なぜなら、学問の自由とは、ある人物が、日本学術会議の会員になることまで保障したものではないからである。
 松宮氏は、別に日本学術会議の会員にならなくても、今後も大学において自由に刑法学を究めることができる立場にあり、一部の野党のいう「学問の自由」を侵害するという非難は、的外れというほかない。一般論として、日本学術会議のメンバーに任命されることは、学者にとって名誉なことであると思われるが、任命されないことで何らかの不利益が生ずると言いたいのであろうか?よく分からない主張である。
 今回、野党の主張は、「批判のための批判」にすぎないと考えるほかない。今回の一件に対する野党の反応は、取るに足らない「モリカケ問題」でワーワー騒いでいた当時と同じであり、その低レベルさは何ら変わっていない。

日時:18:20|この記事のページ

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