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弁護士日記

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ある高次脳機能障害事件が終了した

2018年07月12日

 今回紹介させていただく事件とは、平成26年の晩秋に発生した交通事故が関係する事件である。
 山田さん(仮名です。)は、当時、ある私学の4年生であった。深夜、アルバイト先から帰宅する途中で交通事故に遭った。加害者のYは、山田さんに高速で車を衝突させた後、救護義務を果たすことなく逃走した(いわゆるひき逃げ事件)。加害者Yは、間もなく警察に逮捕され刑事裁判において有罪判決を受けた。
 ここで、過失相殺が問題となった。目撃者の話では、山田さんは、赤信号の表示があるにもかかわらず、横断歩道を渡り始めたため、今回の事故が起こったと供述し、刑事裁判でもその事実認定は覆らなかった。
 当時、山田さんは、20歳代の若年年齢であり、私学の4年生であった。したがって、仮に重い後遺障害が残った場合、その賠償金は、かなりの高額に上ることが多い。ところが、被害者である山田さんは、今回の事故のような場合、賠償金の8割が減額されてしまう。いわゆる過失相殺である。分かりやすい例をあげると、仮に事故によって生じた賠償金が1億円とされても、被害者に8割の過失があると、その8割が減額されてしまうため、結局、2000万円の賠償金で我慢するほかなくなる。
 ここで、被害者を救済する保険がある。それは人身傷害補償保険である(いわゆる人傷保険)。人身傷害補償保険に加入していれば、自分の過失分も補填してもらえる。ただし、約款上、計算方法は、あくまで保険会社の指定する方法で行うことになっているため、裁判所基準よりは相当に低額となることはやむを得ない。
 上記の例で言えば、裁判所基準であれば1億円と算定されても、人身傷害補償保険では、通常は、7000万円~7500万円程度にまで低下すると推定される。
 山田氏が当事務所に相談に来られたのは、事故から約1年経過した平成27年の秋のことであった。山田氏は、今回の事故によって高次脳機能障害を負った。問題は、その重さである。一口に高次脳機能障害と言っても、程度つまり障害等級によっては、賠償金額が極端に異なることになる(場合によっては、障害等級が僅かに異なるだけで数千万円の違いが発生することもあり得る)。
 したがって、本人の代理人とされる弁護士の役割とは、これまでの知識と経験を活かし、自賠責保険によって不当に低い(軽い)障害等級が付けられないように活動することに尽きる。
 さて、平成28年の症状固定を受けて、同年9月に、当職は代理人として後遺障害の等級認定のための申請を自賠責保険に対して行った。その結果、5級2号が認定された。
 自賠責保険の等級認定を受けて、当職と山田氏はいろいろと検討した結果、いきなり裁判所に対し民事訴訟を提起するのではなく、山田氏が被保険者となっている人身傷害補償保険の請求を先行させようという結論に至った。
 その結果、人身傷害保険会社が査定した金額は、7647万円とされたが、既払い金の1694万円を控除して、残額は5953万円となった。
 しかし、今回、たまたま保険契約時に人身傷害補償保険の上限額を5000万円に抑えていたため、その金額(5000万円)が人身傷害補償保険会社からの支払額の限度となった。
 仮に、契約時に1億円を限度額に設定しておれば、山田氏は5953万円まで補償を受けることができたわけである。その意味で、一般論として言えば、人身傷害補償保険の限度額は、保険料がやや割高になったとしても、1億円に設定することが望ましい。
 山田氏は、このようにして人身傷害補償保険を受け取ってから、残額を訴訟によって加害者Yから支払ってもらう方針を立てた。損害賠償請求訴訟は、平成29年の秋にN地裁に対して提訴したが、今年の5月になってから裁判官から和解案が提示された。
 私としては、「何だ、これは?」というような極めておかしな査定案であった。一方、加害者Yが契約していた損保会社の代理人の方からは、喜々として(ただし、この点は推測にとどまる。)和解案を受諾する旨の連絡が早々とあった。
 他方、私は、和解案を拒否した場合のシミュレーション(計算式)を作成して、判決を希望した方が、受取額が大幅に増加するとの見通しを立てた。
 しかし、依頼者である山田氏の希望を最大限優先して、和解に応じることとした。苦渋の選択であった。その後、本年6月になって、加害者Yが契約していた損保会社から、734万円の送金があり、これによって本事件は完全に解決するに至った。

日時:14:24|この記事のページ

髙橋洋一著「文系バカが日本をダメにする」(ワック)を読んで

2018年07月06日

 元財務官僚である高橋洋一氏が書いた「文系バカが日本をダメにする」を読んでみた。
 高橋氏は、元大蔵(財務)官僚である。大蔵官僚と聞くと、尊大で他人を馬鹿にしたような態度をとる人物を思い浮かべる。
 しかし、高橋氏にはそのようなイメージはない。極めて庶民的であり、また、権威を重んじない考え方の持ち主である。高橋氏は、テレビのワイドショーや、くだけた討論番組で顔を見たことが多かった。ユニークな発想をする人であるという印象があった。
 この本を読むと、高橋氏は、東大の理学部数学科と経済学部経済学科の両方を卒業していることが分かった。理系と文系の学部を卒業したのであるから、これだけでもかなりの能力の持ち主であることが分かる。
 高橋氏は、まず、財務官僚を批判する。何の専門性もない財務官僚は、ただのバカであると言う(52頁以下)。私もこれに賛同する。財務省というと、すぐに「東大法学部」が思い浮かぶ。
 しかし、高橋氏によれば、「私に言わせれば、大蔵官僚は、会計、財政、経済の専門家でも何でもない。専門家にすらなれない人たちだった」と言う(本62頁)。また、「世の中の人は、大蔵官僚のことを専門家だと思っているが、まったくの誤解である」とまで言う。確かに、法学部を卒業していても、経済問題については素人にすぎない。
 世の中には、世間の人々の評価と、実体がかけ離れている職業が多い。例えば、弁護士業であるが、世間の評価は、「法律に詳しく、弁舌にも長けている」というものであろう。 しかし、実際は違う。
 確かに、法律の知識は一般人よりもかなり詳しい弁護士が圧倒的に多い。腐っても「司法試験」をパスしてきたのであるから、法律の知識が詳しいということは当たり前の話である。
 しかし、弁舌の能力は全くダメな弁護士が圧倒的に多い。弁護士でも、例えば、大阪維新の会を作った橋下弁護士は、別格である。まさに「口八丁手八丁」である。
 ところが、大半の弁護士には弁論能力はない。嘘だと思われるなら、地方裁判所の公開法廷を覗いてみるとすぐに判ろう。相手方の弁護士から問題点を質問されても、すぐに答えられず、「次回までに書面でお答えする」などと逃げの姿勢に終始する弁護士が多い。ろくに裁判に向けた準備もしないまま法廷に来ているから、即答できないのである。
 レベルの低い弁護士になると、相手方の弁護士から出された質問に誠実に答えようとせず、これを無視する態度に出る。見かねて、裁判官が中に入って、「この点について、次回までに準備をお願いします」などと言われる始末である。
 要するに、自分に都合の悪い質問には答えようとしない。無能な政治家以下の低レベルの弁護士が多すぎるのである。しかし、法廷にわざわざ足を運ぶ依頼者はまずいないので、依頼者はそのことを全く知らない。
 話がやや逸れたので、元に戻す。高橋氏は、「文系のマスコミ記者こそ本当のバカ」と言う(本146頁以下)。私も、昔からそのとおりだと思っていた。高橋氏は、「レベルの低い記者が書いているから、新聞は役に立たない」という(本148頁)。そして、新聞には、「誰かがこう言った」というような記事が多いが、果たしてそれが事実か否かを確認することはできないことが多いという(本147頁)。
 テレビの夜の報道番組を見ても、年配の元新聞記者が、コメンテーターとして登場し、「私が誰々から取材した話によれば、かくかくしかじかである」とコメントすることが多いが、「果たして本当か?」と疑わしく思うことが多い。
 高橋氏は、「イデオロギーの強い文系記者の書く記事は読む必要がない」、「文系の、特に左派の人たちは、イデオロギーのためか先入観の強い人が多い」とまで言い切る(本176頁・178頁)。この点も同感である。
 私は、昔から、いわゆるジャーナリストという人々の言うことは余り信用していない。いろいろな事件が起こると、テレビにジャーナリストが登場し、いろいろと意見を述べることが多い。
 ここで私は、次の点を人物信用度の判断基準とする。「この人は、日本という国家の利益を増進するために物を言っているのか、あるいは近隣諸国におもねって実は日本の利益を損ねようとして発言しているのか?」という点に着目する。
 その結果、前者であれば話を聞く価値があるが、後者の場合は話を聞くことは、むしろ「百害あって一利なし」であり、聞く価値はゼロであると判定するようにしている。現在、大半の報道番組は、むしろ後者に属するものが多いと感じる。

日時:15:31|この記事のページ

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