元財務官僚である高橋洋一氏が書いた「文系バカが日本をダメにする」を読んでみた。
高橋氏は、元大蔵(財務)官僚である。大蔵官僚と聞くと、尊大で他人を馬鹿にしたような態度をとる人物を思い浮かべる。
しかし、高橋氏にはそのようなイメージはない。極めて庶民的であり、また、権威を重んじない考え方の持ち主である。高橋氏は、テレビのワイドショーや、くだけた討論番組で顔を見たことが多かった。ユニークな発想をする人であるという印象があった。
この本を読むと、高橋氏は、東大の理学部数学科と経済学部経済学科の両方を卒業していることが分かった。理系と文系の学部を卒業したのであるから、これだけでもかなりの能力の持ち主であることが分かる。
高橋氏は、まず、財務官僚を批判する。何の専門性もない財務官僚は、ただのバカであると言う(52頁以下)。私もこれに賛同する。財務省というと、すぐに「東大法学部」が思い浮かぶ。
しかし、高橋氏によれば、「私に言わせれば、大蔵官僚は、会計、財政、経済の専門家でも何でもない。専門家にすらなれない人たちだった」と言う(本62頁)。また、「世の中の人は、大蔵官僚のことを専門家だと思っているが、まったくの誤解である」とまで言う。確かに、法学部を卒業していても、経済問題については素人にすぎない。
世の中には、世間の人々の評価と、実体がかけ離れている職業が多い。例えば、弁護士業であるが、世間の評価は、「法律に詳しく、弁舌にも長けている」というものであろう。 しかし、実際は違う。
確かに、法律の知識は一般人よりもかなり詳しい弁護士が圧倒的に多い。腐っても「司法試験」をパスしてきたのであるから、法律の知識が詳しいということは当たり前の話である。
しかし、弁舌の能力は全くダメな弁護士が圧倒的に多い。弁護士でも、例えば、大阪維新の会を作った橋下弁護士は、別格である。まさに「口八丁手八丁」である。
ところが、大半の弁護士には弁論能力はない。嘘だと思われるなら、地方裁判所の公開法廷を覗いてみるとすぐに判ろう。相手方の弁護士から問題点を質問されても、すぐに答えられず、「次回までに書面でお答えする」などと逃げの姿勢に終始する弁護士が多い。ろくに裁判に向けた準備もしないまま法廷に来ているから、即答できないのである。
レベルの低い弁護士になると、相手方の弁護士から出された質問に誠実に答えようとせず、これを無視する態度に出る。見かねて、裁判官が中に入って、「この点について、次回までに準備をお願いします」などと言われる始末である。
要するに、自分に都合の悪い質問には答えようとしない。無能な政治家以下の低レベルの弁護士が多すぎるのである。しかし、法廷にわざわざ足を運ぶ依頼者はまずいないので、依頼者はそのことを全く知らない。
話がやや逸れたので、元に戻す。高橋氏は、「文系のマスコミ記者こそ本当のバカ」と言う(本146頁以下)。私も、昔からそのとおりだと思っていた。高橋氏は、「レベルの低い記者が書いているから、新聞は役に立たない」という(本148頁)。そして、新聞には、「誰かがこう言った」というような記事が多いが、果たしてそれが事実か否かを確認することはできないことが多いという(本147頁)。
テレビの夜の報道番組を見ても、年配の元新聞記者が、コメンテーターとして登場し、「私が誰々から取材した話によれば、かくかくしかじかである」とコメントすることが多いが、「果たして本当か?」と疑わしく思うことが多い。
高橋氏は、「イデオロギーの強い文系記者の書く記事は読む必要がない」、「文系の、特に左派の人たちは、イデオロギーのためか先入観の強い人が多い」とまで言い切る(本176頁・178頁)。この点も同感である。
私は、昔から、いわゆるジャーナリストという人々の言うことは余り信用していない。いろいろな事件が起こると、テレビにジャーナリストが登場し、いろいろと意見を述べることが多い。
ここで私は、次の点を人物信用度の判断基準とする。「この人は、日本という国家の利益を増進するために物を言っているのか、あるいは近隣諸国におもねって実は日本の利益を損ねようとして発言しているのか?」という点に着目する。
その結果、前者であれば話を聞く価値があるが、後者の場合は話を聞くことは、むしろ「百害あって一利なし」であり、聞く価値はゼロであると判定するようにしている。現在、大半の報道番組は、むしろ後者に属するものが多いと感じる。
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