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弁護士日記

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最近の岐阜県政から感じたこと

2025年02月23日

 令和7年も既に2月下旬を迎えた。毎日毎日、いろいろな事件が発生し、それをマスメディアが報道している。その中で間違った報道も少なくない。そこで、若干の感想を述べたい。
 身近な話題として、今月、岐阜県知事が古田肇氏から江崎禎英氏に代わった。これは岐阜県民として歓迎すべきことである。これまで長期間停滞してきた岐阜県が変化するための条件がようやく整ったからである。
 今月18日付けの岐阜新聞1面の記事によれば、江崎新知事は、長年にわたって岐阜県庁にあった「清流の国推進部」を「総合企画部」に改称すると発表した。私は以前も批判したことがあるが、「清流の国」という訳のわからない名称を持った部を県庁の組織の中心に据え、自分勝手な県政を進めてきた古田前知事の考え方はおかしいと感じていた。しかし、今回、停滞感を岐阜県民に植え付けてきた本丸が短時間のうちに崩壊したのである。
 名称を変えた理由として、江崎新知事は、「県内外に部の業務を分かりやすく示すため」と語ったそうである。当然の措置であった。いままでは、古田肇という人間が知事に君臨していたため、部下に当たる県職員としては、「名称がおかしいのでは」と不満があっても、それを口に出すことは許されなかったと思われる。仮に口に出せば、次回の人事異動で、誰も行きたくない僻地の県事務所に飛ばされる危険がある。
これは推測であるが、前回の知事選に敗れて、4年間の浪人生活を送ってきた苦労人の江崎新知事には、世間というものが少し分かったのではなかろうか。そのような不満が有能な県職員の心中にあったことを察知して、素早く部の名前を常識にかなったものへ変えたということではないかと感じる。
 ところが、今月の22日付けの岐阜新聞によれば、あの古田肇氏が岐阜新聞の本社を訪問し、「清流の国ぎふ」文化祭2024について、「岐阜の魅力を世界に発信できた」と語ったという。一体、誰がそのような感想を事実として信じるであろうか?「井の中の蛙大海を知らず」とはこのことを指すのではないか。国内を見ても、岐阜県以外の県民で、上記の文化祭のことを知っていた者など皆無ではないのか。岐阜県民ですら、統計を取っていないので確実なことは言えないが、おそらく100人中数人のレベルではなかったのか。これほどの勘違いをしている人物が20年間も岐阜県知事を務めてきたのである。最近、岐阜県岐阜市の中心部から百貨店が消えたのも当然の結果といえよう。
 今月21日に古田肇氏に応対した岐阜新聞の杉山幹夫最高顧問は90歳台であり、これまでいろいろな人物に会ってきた豊富な経験があると思われる。新聞記事によれば、杉山氏は、「大所高所から県民を見守ってほしい」とねぎらったという。杉山氏が何を発言しようと個人の自由であるが、私はこの発言には異論がある。古田肇氏に告ぐ。「万が一にも、表舞台に出て岐阜県民に物申すことはお控えいただきたい」と。
(追記)
 少し前のニュースで分かったことであるが、石破茂内閣で総務大臣を務めている村上誠一郎が、とんでもない発言をした。国会の答弁に立ったこの男は、個人的見解であると前置きして、「将来、都道府県は無くして、国と市町村の二段階の組織にした方が良い」と述べた事実がある。これは暴言という以外にない。かつて、有能な宰相であった故安倍晋三氏に対し、国賊呼ばわりした男であるから、このような理解不能の発言をしたのも頷ける。私見によれば、都道府県を無くしてしまったら、国民生活は必ず悪化する。より正確に言えば、日本国民にとって何も良いことはないということである。理由はいろいろある。例えば、地方の某市において大規模な災害が発生した場合、救助を求めようとする市からすれば、まずは広域圏の行政を担当する当地の都道府県庁に連絡をするということになる。いきなり隣の市町村に直に連絡するという方法はとりにくい。また、法律の実施についても、まず国(各省庁)から都道府県へ、次に、都道府県から市町村へという順番で通知やガイドラインが下りてくる。そのように段階を踏むことが、「急がば回れ」ではないが、一番効率的なのである。それを、かつて国賊発言をした村上誠一郎という輩は分かっているのか?このような無能・有害大臣はさっさと辞職すべきである。石破茂という愚かな人間が蒔いた悪い種は、確実に日本を蝕んでいる。

日時:15:20|この記事のページ

愚かなる首相の訪米

2025年02月10日

 今週、石破茂という人物が日本国の首相という立場でアメリカ大統領のトランプ氏と会談した。
 そのニュースについて、随分甘い評価が出ていることに驚いた。なぜ、そのようなおかしな感想が出てくるかといえば、余りにも石破茂という人物の立ち振る舞いが事前に不安視されていたためであろう。要するに期待値が非常に低かったため、周囲からみれば「あれっ。案外大丈夫だったではないか」という心理が大きく作用していることは間違いない。
 しかし、会談冒頭の場面で、暖炉を後ろにした椅子席で双方の首脳が握手した場面を見れば分かるが、石破茂という人間は、確かに笑顔をつくろうとしていたことは疑いないが、その表情はひきつっており、歯をむき出しにして無理やり笑顔を作っていることは一目瞭然であった。ドラマでいえば、非常に「くさい演技」であった。渡米前に周囲の役人が必死に振り付けをした結果、何とか素人芝居を重要な観客であるトランプ大統領に披露することができた。
 また、虎の尾を踏むような不用意な発言をしまいと自己規制し、本当であれば日本国として言うべきことがあっても、この場では決しては言わないと決めて臨んだわけである。まさに、絶対権力者が社長を務める巨大企業の面接試験を受ける入社希望学生のような立場で臨んだのである(少なくとも私にはそのように見えた)。
 さて、今回の会談を通じ、トランプ大統領は機嫌がよかったと感じた。そのはずである。日本の石破茂が、大きなお土産を持ってアメリカまで参上してくれたからである。お土産の内容のトップは、今後1兆ドル相当の投資をアメリカに行うという、とてつもない話である。
 もちろん民間企業が大半を出資するということになるはずであるが、1兆ドルとは日本円に直すと150兆円である。わが国の内政を見れば、国民民主党が要求する、いわゆる103万円の壁を見直して178万円とするよう要求している問題がある。これに対し、政府自民党は、仮にそのようなことをしたら、地方の税収が7兆円程度減ってしまい、到底無理だと言っている。7兆円程度でも渋い表情を示す一方で、石破茂首相が150兆円は大丈夫だと宣言する無責任な姿にはあきれるほかない。そのような金があるのであれば、どうして日本国内の産業振興ないし育成のために投資をしないのか?
 150兆円という投資には、もちろん民間からの投資が大半を占めると思われるが、しかし、民間といっても実は日本国民が出しているお金ということである。まさか、日本国民以外の外国人が出すお金を指しているのではないはずである。そうすると、日本人のお金がアメリカ人のために使われるという結果となり、日本の発展には全く役に立たないのである。この話には、大ぶろしきを広げることが好きな孫正義氏が絡んでいるとも聞く。非常に危ない話である。
 また、アラスカ産のLNG開発に向けた計画も進展させるという。もちろん、日米の共同開発事業がうまくいけば、日本は、比較的近い距離にあるアラスカからLNGを輸入することができるようになり、エネルギーの安定受給という観点からは良いことである。遠い中東からの輸入に依存する割合が減り、日本にとってプラスである。
 他方、ひとつここで疑問が浮かぶ。なぜアメリカは単独でアラスカの天然ガス事業をやろうとしないのか?自国の単独事業の方が好都合ではないのか。おそらく、アラスカという酷寒の地では開発が困難であり、また、多額の費用もかかるという理由からきているのではなかろうか。
 そこで、気前よくお金を出してくれる日本を引っ張り込んだというのが真相ではないかと思う。仮に技術力を持った他の先進国を仲間に入れた場合、遠慮なく異論が出て、計画がやりにくい。その点、日本は、難しい議論を吹っかけてこないから楽だということであろう。随分見くびられたものである。
 このように、今回の日米首脳会談は、アメリカにとっては大きな利益をもたらした半面、わが国にとってはほとんど利益のない結果で終わった。アメリカファースト、アメリカ第1主義のトランプ大統領がご機嫌だったのは、そのためである。これは推測であるが、トランプ大統領は、石破茂という人間を直接見て、「独自の思想にとらわれすぎる人間だ。国内に信頼できる仲間もいないようである。また日本の国益を追求してやまないタイプではない。ある意味単純だから与しやすい人間だ。これからも大いに利用させてもらう」と内心感じたのではなかろうか。
 このような平々凡々たる二流・三流の人物を首相にしてしまったのは、昨年の総裁選における自民党議員の間違った選択が原因である。自民党議員が自ら蒔いた種が、昨年の総選挙を経て、少数与党という悪い結果として現れたのである。このまま石破茂氏に首相を任せておいたときには、さらなる災難が日本国を襲うであろう。この人物には、可及的速やかに首相官邸から出ていってもらいたいと強く願う。

 

日時:17:55|この記事のページ

江崎新知事に期待する

2025年02月06日

 昨日、古田肇元知事が県庁を去った。この人物は、実に20年間の長きにわたり岐阜県知事の椅子に座っていた。そのため岐阜県は長期間にわたる停滞期に落ち込んだのである。しかし、ようやく古田氏による悪政が終わった。これまでは「古田知事」と聞くと、常にぼそぼそと元気なく話す顔が浮かんでくる。
 人間、顔を見れば、どのような人物であるかは大方判断することができる。顔は嘘をつかないのである。私は、この人物では岐阜県は発展しないと考えていた。その予想は当たったのである。特に「清流の国」という訳のわからない政策が重要視されたのは最大の間違いであった。県予算と県職員マンパワーの無駄使いに終わったのである。
 古田氏の独善的・排他的思想は、例えば、2023年の1月に完成した新しい県庁舎の管理の在り方を見れば分かる。従来の県庁舎は、県民であれば誰でも自由に出入りすることができた。長年にわたってそのような庁舎管理の在り方が通用してきた。ところが、古田氏は、何を考えていたのかは不明であるが、新庁舎が完成した途端、県民が自由に建物に入ることを禁止した。
 入口に改札機のようなものを導入し、国の庁舎のように、職員でないと出入りすることが禁止された。おそらく古田氏は、これまで県民が自由に県庁舎に出入りできることを苦々しく思っていたに違いない。そこで、庁舎が新しくなることを機に、県民が自由に出入りすることを禁止としたのであろう。何という時代錯誤であろうか。
 県庁は、県職員が県民の監視の目を免れて勝手気ままに仕事をする場所ではない。県民が自由に出入りすることが禁止されれば、県民の目を意識する必要がなくなる。自ずと、独善的な行政が強まることになる。まさに県民による自治を妨害しようとした大愚策であり、古田氏の罪は非常に重い。
 このような愚物が長い期間にわたって県行政のトップを務めてこられたのは、きわめて古い体質を持つ自民党(岐阜県支部)が長年にわたって根を張っていた、つまり政治力を持っていた岐阜県ならではの特殊事情があったからであろう。しかし、私は保守思想の持主であるから、立憲民主党のようないい加減な政党(国を亡ぼすような政党)に投票するわけにはいかない。かといって、野田聖子議員のように、一応自民党員を名乗っているが、腹の底では何を考えているのか理解不能の政治家を支持することはあり得ない。今後、まともな保守思想を持った政治家が出現することを期待する以外にない。なお、最近話題となっている選択的夫婦別姓の提案には断固反対する。一部の過激論者の策謀によって、将来の日本社会が今よりも不幸になることはあってはならない。
 さて、本日(2025年2月6日)のテレビニュースで、江崎氏が新知事として初登庁した姿を見た。率直な印象として江崎氏は、やる気がある人物とみた。例えば、古田肇氏が黒い雲がかかった陰気な空としたら、江崎氏は雲一つない青空のような印象を受けたのである。江崎氏には大いに期待したい。ただ、岐阜県議会の内部には、従来の権益を守ろうとして江崎氏の政策に反対し、江崎氏の足を引っ張ろうとする輩が必ずいるはずである。したがって、性急に事を進めるのではなく、慎重に計画を実行されることを望みたい。
 
 

日時:19:36|この記事のページ

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