

再び、日高義樹著「日本の『非核』神話の崩壊」について紹介する。
この本の中で、日高氏は、第3章「世界の核バランスを変える北朝鮮」という論点について解説している。北朝鮮の核ミサイルの危険性については、テレビなどでもしばしば取り上げられており、我々日本人も何となく分かっている雰囲気がある。
しかし、北朝鮮の核ミサイルが、いかに危険なものであるかについて、正確な情報を知っている日本人はごく一部なのではなかろうか。
何事にもいえることであるが、敵対する二つの主体があって、そのおのおの指導者が、敵である相手方に対し、とるべき適切な手段を考える場合、自分にとって都合のよい情報だけを重視し、それに基づいて発信するという傾向が一般的にある。
しかし、それではダメである。自分の側と相手の側の双方の強みや弱みを総合的に判断して、打つべき手を熟慮する必要がある。この点については、おそらく誰も異論はないであろう。
ところが、現実には、「日本憎し」という感情だけで、間違った決定を行っているおろかな大統領がいる。韓国の文(ムン)である。
さて、北朝鮮の独裁者であるキム・ジョンウンは、近年、アメリカ本土を狙うことが可能な大陸間弾道弾の発射実験に成功した(88頁)。
そのことから、核兵器は、従来のような一部の国家が独占するものではなくなった。核兵器を手にする者が多くなればなるほど、従来の核保有国は、相互に疑心暗鬼となり、むしろ自国の核兵器を増強しようという考え方を強めることになる。
また、イランなどの地域大国が核兵器を保持しようという動きを示している(93頁)。その結果、核戦争の危機は以前よりも高まっていると考えられる。
ところで、アメリカのトランプ大統領は、北朝鮮に対し、核兵器を放棄するよう、いろいろの圧力をかけたが、これまでのところ全部失敗している。北朝鮮も、自国も世界の核保有国の一員であると考え始めている。
日高氏の見解によれば、北朝鮮は、現時点で少なくとも50発の核弾頭を保有している(102頁)。また、アメリカとロシアは、5000発以上の核弾頭を保有しているし、中国も同様に5000発以上を保有していると見る。
ここで、日高氏は、核保有国の中でも、北朝鮮の特異性を指摘する。他の核保有国と違い、核兵器を現実に使用する際の手続きが全く整備されていないと言う。
すなわち、「北朝鮮は核保有国にふさわしい軍事体制や政治システムをまったく持っていない。北朝鮮という異常な国が核兵器という強力な、そして決定的な破壊力を持つ兵器を保有しているという状況こそ、世界的な危機と言える」(108頁)、「核爆弾の行使という重要な問題を決定するシステムがはっきりしていない」(110頁)、「すべては独裁者の一存にかかっていると思われる」のである(112頁)。
最近、北朝鮮は、さかんに短距離ミサイルの実験を行っているが、射程は日本の本土をカバーする力があるという見方が大勢である。仮に、北朝鮮が、このミサイルに核弾頭を搭載して、例えば、東京に向けて発射し、東京に命中した場合、日本は大混乱に陥るであろう。
このようなことを言うと、「まさかそのようなことは起こるはずがない」と高を括って笑い飛ばす立場もあるかもしれない。しかし、現実の社会を見れば、「まさか」という異常な事件ないし事実が起こっているのである。
津波被害と同様、わが国の安全保障についても、用心深いことに越したことはない。わが国の平和と民主主義体制を維持するためには、国際社会において西欧民主主義を基本とする主要国と連携することが大切である。
しかし、これ以上に重要はことは、独裁者による全体主義国家の色彩が濃厚である周辺国が「変な気」を起こさないよう、わが国としては万全すぎる防衛整備を行うことである。間違った憲法9条を正しく改正し、かつ、防衛予算は、現在の2倍程度まで増額することを考えてもよい。
何日か前から、北海道の札幌市内でヒグマが闊歩しているというニュースを見て、これは危険だと感じた。
ところが、本日のニュースでは、ヒグマが、深夜に札幌市南区の街中を堂々と歩いており、そばにいたパトカー内の警察官から、「絶対に外出しないで下さい」という注意が市民向けに行われたようである。
ニュース映像では、パトカーの車体とヒグマの大きな体が重なって映っているのである。ここで私が感じたこととは、一体、北海道警察本部又は札幌市長は、今何を考えているのか、という点である。
ヒグマが歩いている場所は、大都市の街中であるから、鳥獣保護法からすれば、ここで猟銃で射殺することはできないのかもしれない。
つまり、人間に対する危険を除去するために、あえてヒグマを射殺した場合、動物保護を声高に叫ぶ団体から、「違法駆除は許さん」という非難が殺到することになるであろうから、何もしないで、手をこまねいて静観を決め込んでいるのかもしれない。
しかし、このままの状態が継続した場合、深夜に街中を歩いている人間が、ヒグマに遭遇し、ヒグマに襲われて死亡する事故が起こるかもしれない。尊い人命が失われてしまってから、あわてて、ヒグマを射殺しても遅いのである。
以前、北海道に旅行に行った際、ヒグマの模型(皮付きの実物大の展示物)を見たが、非常に大きく、ヒグマに襲われたら、仮に身長190センチメートルの大相撲の力士でも、いちころだなと思った。とても、人間が抵抗できる大きさではないのである。
したがって、今回の危険なヒグマは、人的被害が出る前に、射殺して処分する以外にないのではなかろうか。麻酔銃で眠らせ、山に返したらどうかという意見もあるようであるが、街中を歩くことに慣れてしまったヒグマは、再び、人間が住む市街地に戻ってくる可能性があるのではなかろうか。したがって、これは抜本的解決策にはならないと考える。猟銃による駆除を検討すべきである。
8月9日のテレビ報道をみていて驚いた。
名古屋市の公立守山東中学校の校庭で、中学2年生が、学校が主催する林間学校で披露するファイアートーチの練習中に腕に大やけどを負った。このことに対し、同中学の教員が「バチが当たった」という信じがたい暴言を吐いたという。
この事故は7月26日に発生したが、これに対し、学校は、名古屋市の教育委員会に事故の発生報告をせず、8月7日、不信感を覚えた親御さんからの通報によって、市の教育委員会も初めて事故のことを知ったという。
私もテレビの画面で、生徒たちが事故の当時、先端に火がついた棒を両手でぐるぐると回している光景をみて、「何でこのような危険な行為を学校公認の下で行っているのか」と思った。ファイアートーチというおかしな学校行事は、日本でも愛知県下でしかみられない奇習という。私も地元である岐阜市では聞いたことがない。
このような危険きわまる奇習・悪習は、直ちに中止すべきである。少なくとも中学生に行わせる行動ではない。テレビニュースの画面を見る限り、事故に遭った生徒はその場をすぐに離れたが、一緒に練習しているほかの多くの生徒は練習を中止することもなく、危険行為を教員の指導の下で行っていた。
普通の感覚で考えれば、右腕に大やけどをした生徒が出たのであるから、全体練習も中止し、8月初旬に行われた林間学校でも、このような危険な行為は中止するよう、徹底すべきであった。
また、指導に当たった教員は、(生徒は)「バチが当たった」と発言したという。この発言が事実だとしたら、許し難い暴言である。当の教員からすれば、おそらく生徒は練習に気合が入っていなかったから、怪我をしたのだ、だから、生徒が悪い、自己責任だということが言いたかったのであろう。
どうして、学校の教員には、このような阿呆が少なくないのか?これは、私の持論であるが、人間誰しも、日ごろ、周囲から「先生、先生」と呼ばれていると、いつの間にか、自分が偉い人物になったと勘違いし、結果、大きな間違いに気づかないような常識外れの人間になってしまうということではないのか。このことは、何も教師だけに限らず、医師、弁護士などにも当てはまる。
ところで、守山東中学の校長は、市の教育委員会に報告をしなかった理由を質問され、「大したことが起きたとは思っていなかったので、教育委員会に報告をしなかった」と釈明したそうである。
この校長も、上記した教員と同程度の頭の持主であるとみてようであろう。一体、生徒の怪我の程度について、学校の教員からどのような報告を受けていたのか?これは私の推測であるが、教員からは何も報告がなく、教育委員会からの通知よって、初めて事故のことを知ったというのが真相に近いのではなかろうか。
少なくとも、この校長は、自分の学校で、教員の指導の下、生徒がファイアートーチの練習をすることは知っていたはずである。校長がまともな感覚の持ち主であれば、「待てよ、このような火を扱う危険な練習をあえて生徒にさせる必要があるのか?」と気が付き、練習の中止を指示していたかもしれない。京都アニメーションの放火事件があったのであるから、なおさら「火による事故の発生」には敏感にならなければならない。
しかし、この校長は、何も行動を起こさなかった。危機管理の面から考えても、この校長は落第生である。法的にいえば、学校は、生徒に対する安全配慮義務を欠いていた。仮に被害者である生徒が、信頼できる弁護士に依頼し、名古屋市を相手取って損害賠償請求訴訟を起こせば、ほぼ100パーセント勝てると予想する。もっとも、訴訟を起こすということは、時間も費用もかかることになるため、和解によって名古屋市に責任を認めさせるという方法が一番望ましい。
なお、安全配慮義務を怠った教員および校長に対しては、何らかの懲戒処分を下すべきである。
本日、テレビのニュースを見て驚いた。
あいちトリエンナーレに、韓国の慰安婦像に瓜二つの醜悪な像が展示され、これに対し、名古屋市の河村市長が異議を唱えたという事件である。私も画像を見たが、「何だこれは?韓国政府の回し者が展示した像か?」と思った。
一体、愛知県の「あいちトリエンナーレ実行委員会」は、展示物を公開展示する前に、果たしてこれを展示してよいか、何か物議をかもす危険はないか、文化的なイベントにこのような反日メッセージを訴えている展示物を公開してなじむのか等の論点について、果たしてまじめに検討したのか、という疑問が次々と湧いた。
おそらく、事務局(実行委員会)は、何も考えず、何も深く検討せずに漫然と公開の手続きを進めたのであろう。これに関連して、津田という頭を銀色に染めた人物(私はこの人物が嫌いである。)が、今回の企画の監督的な立場にあるという話を聞いて、この反国家的思想の強い人物であれば、これくらいのことはやりかねないと感じた。仮に事務局に私のような日本国の利益を第一に考える保守的な国家観を持っている人物がいた場合は、間違いなく反対していたであろう。
それにしても、この話題を取り上げたマスメディアは、ゲストコメンテーターが、いつものことながら、「冷静に考える必要がある」などというボケたコメントを寄せていた。マスメディアは、一体、いつまで、日本の国益を害するコメントを連発すれば気が済むのであろうか?しれで視聴率を取れると思っているのであろうか。
今や、日本人の韓国に対する印象ないし反応は、戦後のこれまでのものとは質的に転換する動きを見せている。非常に厳しい意見が日々増大している。よって、マスメディアは、これまでの古いやり方が通用すると勘違いして、日本人でありながら、いつまでも反日的意見を述べていると、やがて多くの視聴者の反感を買い、結果、視聴率も低迷することになると私は予想する。
Oという元新聞記者は、税金が投入されているので慎重に対処すべきであるという意見に対し、「政府や行政機関の意向に反する展示をしたからといって批判をされ、中止したのでは、自由な言論活動に悪影響を及ぼす」という趣旨の発言をしていたが、全く見識を欠いた発言であり、テレビを見ていて嫌悪感すら感じた。この元Oという新聞記者であれば、多分そのような発言をするだろうを思っていた見ていたが、予想通りだった。
この件については、既に結論は出ている。このような政治的な意味合いが強い醜悪な像を公開することは、少なくとも相当とは言えない。このような外国勢力(親北思想の持主であるムンが大統領を務める韓国)の歪んだ政治的意図に満ちた醜悪な像を、わざわざ貴重な税金を使ってまで愛知県内で展示する必要性は微塵もないのである。
したがって、県政の最高責任者である大村知事は、展示を中止するよう事務局に指示を出すべきである。仮に大村知事がそのような適正な指示を出すことを渋った場合、大村知事の真の政治姿勢・信条が世間に暴露される結果をもたらすことになるであろう。その場合、「大村知事には深く失望した」と言う以外にないのである。

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