クマによる人身被害が毎日のように起こっている。一体、何人の人がクマに殺されたら気が済むのか?改正鳥獣保護法によれば、本年9月1日から、市町村が、地元の猟友会に依頼してクマを猟銃で殺処分する際の許可基準が示された。
改正法ができる前は、市街地に現れたクマがいても、ほとんど打つ手がなく、警察も市民に対し、「不要不急の外出を控えてください」などと呼びかける方法しかなかった。クマの自由行動の尊重が第一であり、人間は、クマ以下の扱いを受けてきたのである。全く異常な状態が長年にわたって続いてきた。
しかし、改正法によっても、クマを殺処分する際の要件は非常にハードルが高い。その適法要件とは、(1)クマが人の生活圏に出没し、建物に侵入するなどの事態が発生していること、(2)クマによる被害の発生を防止するため緊急性があること、(3)迅速にクマを捕獲できる手段がほかにないこと、(4)住民の安全が確保できていること、の4要件を満たす必要がある。このような内容の改正法にはあまり期待できない。
そもそもクマによる人的被害がテレビニュースなどで頻繁に取り上げられるようになったのは、ごく最近のことである。これまで、何十年間は、ときどき、クマによる人身事故の報道があったが、そのような事例は、例えば、山菜取りに夢中となっている高齢の住民が、山中で運悪くクマに遭遇して襲われるというケースであり、大半の国民にとっては全くの他人事であった。
しかし、最近では、人が生活している集落にクマが堂々と侵入し、人が現に住んでいる住宅に侵入して、住宅内に保管してあるコメなどの食料を奪うという凶悪な事例が出始めている。これは、これまでとは全く次元の異なる脅威の発生である。
なぜこのような事態になっているのか?クマの生態に詳しい研究者によれば、山の中にクマの食料となる実が不作であった年は、クマが人里に現れる確率が高まるとか、農業の衰退に伴ってクマが人里に出ることが容易になったとか、クマが人に慣れてしまったとか、いろいろな意見がある。
研究者の意見としては、そのとおりで間違いないであろう。しかし、大きな視点が欠落している。それは、人の命とクマの命は、いずれが大切なのかという点である。私見は、人命が第一であり、人の命を奪うクマは、どしどし殺処分しなければならないと考える。身近な山にクマの姿を一切見かけなくなっても、困る住民など誰もいない。むしろ、安心感が増大し、良いことである。
大体、全国的にクマの個体数が増えていると推測されるのであるから、行政機関は、計画的にクマを大量殺処分し、個体数を適正規模にまで減らす必要がある。地元の猟友会のハンターに依頼する際の報酬額も大幅に増やし、労力と報酬が見合う形にする必要がある(日当の目安は、一人、一日あたり6万円以上とする)。環境省は、そのための予算を確保する必要がある。
仮にクマの個体数を現在の半分にまで減らせば、クマによる人身事故も激減し、地方都市に暮らす住民も安心して生活ができるのである。東京の真ん中に住んでいる政府の公務員は、「東京にはクマがいないから100%安心だ」などと無責任に考えるのではなく、自分事として真剣に議論する必要がある。政府は、自治体と一体となってクマの殺処分を積極的に推進する法律を策定すべきである。
(追記) 毎日のようにクマによる人身事故が日本各地で起こっている。テレビを見ていて不思議なのは、「クマを大量に殺処分する」という話が全く出てこないことである。昔と比べてクマの個体数が倍増していることが、事故発生の最大の原因となっているのであるから、人身事故を効果的に減らすためには、クマの個体数を半分に減らせばよいのである。推測するに、テレビで出演者がそのような正論を述べると、おかしな視聴者の方から「クマが可哀そうだ」という間違った意見が来ることを警戒して、番組の出演者に対し、番組内でそのような発言を一切しないよう自己規制をかけている可能性がある。実に情けない卑屈な態度である。人が住む街の中に出てくる危険なクマは、例えば、凶暴なスズメバチや毒蛇と同じであるから、見つけ次第、即時、全頭駆除する以外にないのである。
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