2025年10月20日の時点で、毎日のように、クマによる人身被害のニュースが報道されている。被害者の多くは、顔や頭という人体の重要な部位にクマの鋭い爪による深い傷を負っている。あってはならない事態が起きているのである。
一体、政府(石破茂政権)は何をやっているのか。何人の被害者が出れば有効な対策を講ずる方針に転じるのか?
テレビニュースを見ていても、東北地方を中心にして、各地でクマによる被害が出ている。そのたびに、警察や行政は、「不要不急の外出を控えてください」などという本末転倒の呼びかけをしている。
このような呼びかけの内容は、次のように分析することができる。第1に、クマには自由に行動する立場を認める。第2に、人間はクマの勝手気ままな行動を黙認し、かつ、クマに出会わないように自主規制を加える、ということである。これは絶対におかしい。
本来の在り方とは、第1に、人間には法律の許す範囲内で自由に行動する権利がある。第2に、その人間の自由を妨害し、人間に危害を加えようとするクマは排除されなければならず、結果としてクマは殺処分を受ける運命にあるという考え方が正しい考え方と言える。
ではなぜ、上記のような間違った呼びかけがされているのか?それは、行政の前例踏襲主義がなせる業である。また、行政活動は法令に適合する形で遂行されなければならないところ(法律による行政の原則)、法令が時代遅れのものとなっている場合は、やむなく「不要不急の外出を控えてください」などという、人間とクマの立場が主客転倒した不合理なものを正面に出さざるを得ないことになっているのである。
私見によれば、対動物関係の法律を早急に見直し、より実情にあったものに改正する必要がある。現行法の定める「緊急銃猟」などという甘いものでは不十分である。また、実際にクマを制圧する役目を担う猟友会会員に対する日当を大幅に増額する必要がある。
ネット記事などを見ると、新潟県の新発田市では、日当を従来の3000円から5000円に増額したとか、魚沼市では、今年度から、時給を1200円から1500円に増額したとか、常識では考えられないような低額で猟友会の会員に頼っている現実がある。
猟友会の会員によるクマの駆除は非常に危険な作業であることを考えると、日当は、稼働時間が原則8時間の場合、最低でも50000円程度まで増額させる必要がある。環境省は、クマの駆除という危険な作業を地方自治体に丸投げして、後のことは我関せず「良きに計らえ」という無責任な態度をとっている。環境大臣は、そのようなやる気のない態度を改め、地方自治体に対し、クマの駆除に要する費用を全額負担できるよう予算獲得にまい進すべきである。要するに、全額国庫補助とすべきである。
また、クマが、これだけ人間の住む区域に自由に進出している事実を考慮し、現状の半分程度にまで頭数を調整、つまり殺処分をすべきである。石破茂に任命された今の環境大臣は、腹の底ではおそらく「面倒なことはやりたくない」という考え方を持っているのではないのか?国民生活の安全を最大限確保するという政治の使命を忘れた輩は、さっさと国会議員を辞めた方がよい。
その意味で、明日成立する高市政権にはクマの数を大幅調整する方向で早急に効果的な対策を立てて欲しいものである。日本を良くしてもらいたいものである。
(追記)
本日午後6時過ぎ、自民党と日本維新の会による連立政権樹立の合意が成立した。本当に良かった。今後、安逸をむさぼり、改革をしたくない輩(つまり、旧体制を維持しようという勢力。これには高市政権に難癖をつけ、政策の遂行を妨害しようとする下劣な左翼マスメディアが含まれる。)による数々の妨害工作が待ち構えていると思われるが、これを突破して改革を成し遂げて欲しいものである。
なお、比例区の衆議院議員の50名程度の削減は当たり前の政策である。ところが、左翼マスメディアなどでは、盛んに「少数意見の抹殺」という間違った反対意見が出ている。しかし、よく考えれば分かるが、日本維新の会も少数党の部類に入る。また、小選挙区制の下で落選した議員は、落伍者の判定を有権者から受けた者であり、そのようなら議員に相応しくない輩を、比例区で救済する必要など全くないのである。入学試験に例えれば、1点差で落ちた受験生を裏口入学で救済するようなものである。1点差でも100点差でも、不合格は不合格なのであり、それを救済することなど許されない。衆議院議員選挙で落選した者は、間違いなく「落選者」であり、そのような者を「ゾンビ議員」として衆議院議員の身分を与える必要は微塵もない。私見は、吉村代表の意見に全面的に賛成である。
(追記2)
公明党の斎藤代表は、吉村氏の意見に反対し、比例代表制は、小選挙区で負けた議員(の属する政党)の意見を反映させる目的を持つと主張したようであるが、これは間違った意見である。理由は以下のとおり。候補者は、小選挙区に立候補する自由が認められている以上、当該選挙区で勝利することを通じ自分の政策を実現するようにすべきであるところ、負けることを大前提にして比例区で当選扱いにしてもらい、自分(の属する政党)の意見を反映させようとする考え方自体が一種の「敗北主義」の表れというべきだからである。そのような消極的な考え方に染まっている政党には未来はない。また、斎藤氏は、選挙制度を特定の政党だけで決めるのは乱暴と主張するが、この意見も完全に間違っている。理由は以下のとおり。民主主義の下では、政党間の意見の違いを認めつつ、最後は多数決によって法律を作るという基本的な考え方がベースになっているからである。少数政党は、不満があっても、国会における多数政党の決定に従うべきである。仮に斎藤代表のような間違った考え方を採用した場合、それは、国会の意思決定において少数政党の拒否権を認めることと同じとなる。ちょうど、国連安保理が、5大国の拒否権の濫用的行使によって機能不全に陥っている状況と同様になる。多数決原理を否定するのであれば、暴力革命を起こして、国家(敵対政権)を転覆させ、自分の理想を実現するほかない(もちろん、私見はそのような違法行為を完全に否定する立場に立つ)。斎藤氏の意見は間違っている。
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