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弁護士日記

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「清流の国」栄え、百貨店消える

2024年12月23日

 5期20年にわたる古田肇知事による悪政がいよいよ終焉を迎える。
 戦後の岐阜県知事のうち5期まで務めたのは古田氏が初めてである。現岐阜県知事である古田氏は、来年1月の知事選に出馬しないことを正式に表明している。当然の判断である。これ以上、岐阜県を衰退させないためには不出馬以外にないのである。
 古田知事の掲げた政策のうち、一番おかしいのは、「清流の国ぎふ」という根拠のない概念であった。一体、このような空虚な言葉を持ち出したのはなぜか?動機が全く分からない。単なる個人趣味なのか。岐阜県民の歌にもあるように、「岐阜は木の国、山の国」なのである。
 古田知事の独断の下、岐阜県庁の組織図にも総務部、環境衛生部などのような他県に通常置かれている部局のほかに、「清流の国推進部」なる意味不明の組織が置かれている。そこに置かれている課を見ると、例えば、地域振興課、市町村課などのように、普通は、総務部に置かれている可能性が高い課の名前が出てくる。なぜこのようなおかしな組織となっているのか。令和7年の知事選で選ばれる新知事には、県民の生活を守る責任があるトップとしての常識を働かせて、最初に「清流の国推進部」の解体をお願いしたい(ただし、1期目は権力基盤が固まっていないはずであり、内外から強い抵抗が予想される。したがって、現実的には2期目の課題となる)。ただし、今から数年後には、古田肇氏が、岐阜県知事を務めていたことを覚えている人は少なくなっていると思われる。
 古田知事による上記の意味不明の政策に対し多額の予算を浪費した結果、県都である岐阜市の中心部にあった百貨店が今年消滅したと言えるのではないか。遂に、岐阜県も百貨店のない県に転落したわけである。
 最近の岐阜市の人口は39万6000人程度であるから、普通に考える限り、百貨店が消滅するという事態は不自然であり、納得がいかない。今年岐阜市の中心部にあった百貨店が消滅したことから、個人的にはやや不便さを感じている。例えば、これまで百貨店にあった大型書店が無くなり、欲しい本を買うのに難儀している(私は実物を見て買うタイプであり、ネット注文はほとんど利用しない)。また、それなりの品質を備えた食料品や菓子類も買うことができなくなった。百貨店が消えた原因の一つは、上記の通り、古田知事の個人趣味に走った政策であることは疑いない。
 また、最近、岐阜市内で顕著な傾向が出ている。それは、空き地がどんどん増えているという現象である。これには驚く。空き地が増える原因は、言うまでもなく、古い建物を解体し、その跡地が更地の状態で放置されているためである(大半は露天駐車場のようである)。
 もちろん、ある程度の広い面積があり、交通の便が良いなどの好立地条件を満たしている土地の場合は、すぐさまマンションやアパートが建設されている。しかし、それ以外の狭小な土地や立地条件が良くない土地は誰も買い手が付かず、放置されている。このような不人気な土地の所有者は、将来にわたって何の収益を得ることもなく、ただただ固定資産税(+都市計画税)を毎年負担することになる。買い手が付かない不動産ほど厄介なものはないのである。
 しかし、現行の税金が比較的低額であるため、仮に放置をしていても莫大な損失は出ない(余り苦痛を感じない)。したがって、不要土地の有効活用を推進するためは、不要土地の固定資産税を現行の数倍~10倍程度の金額とすることを、今後政府は検討すべきである。
 話をまとめる。岐阜市の中心部が再び繁栄を取り戻すためには、そこに一定人数以上の住民が定着できるための基盤ないし条件が必須となる。例えば、人が住むための大量の良質住宅、生活用品を買うための大型店舗、自然に親しむための広々とした自然豊かな公園(コンクリートで地面を固めたような「公園」は要らない)、子育てのための保育施設、老後を過ごすための介護施設、学校、健康を維持するための病院(又はクリニック)、隣県である愛知県(特に名古屋市)に迅速に移動できることを可能とする鉄道駅などが必須となる。一方、今や半ば廃墟と化した元気のない暗いアーケード商店街などは存在してはいけない(早々に見限って、建物全部を解体するほかない)。無能知事が去る令和7年を転機とするべく、新知事には大いに頑張っていただきたいものである。

日時:10:46|この記事のページ

年末ジャンボ宝くじと闇バイト増加との関係

2024年12月08日

 年末になると、頻繁に年末ジャンボ宝くじの宣伝がテレビコマーシャルで行われている。昔はあまりそのような宣伝はなかったと記憶する。テレビを利用した宣伝が盛んになったのは、比較的最近のことではないか。一体、誰がこのようなおかしな企画を立案して、さらに実行に移しているのかは不明であるが、あまり褒められたことではない。
 このコマーシャルの問題点は、ほとんど当たる確率のない賞金を、あたかもよく当たるかの如く印象付けている点である。1等が当たる確率は2000万分の1と言われている。1等は7億円であり、前後賞は、各1億5000万円であるから、仮に1等のクジを引き、さらに運よく前後賞のクジを引くことができれば、合計で10億円となるわけである。
 しかし、1等のクジだけを考えても、上記のとおり、当たる確率は2000万分の1であるから、その前後賞を同時に当てる確率はさらに低下することになるはずである。そうすると、見事10億円を当てる確率は、日本国の全成人全体数のうち2人以下になる計算となる。また、10億円を得るには、必ず1等を当てることが必要条件となる。すると、最大限見積もって、1等の本数である23を掛けた人数を上回ることはないと考えられる(1等賞23本、前後賞46本)。
 年末ジャンボ宝くじを発売している法人は、そのことはよく承知しているはずである。にもかかわらず、テレビのコマーシャルでは、誰もが僥倖に恵まれる可能性(確率ではない)があるかの如き「夢」を打ち出している。しかし、これは一種の催眠商法であり、おかしいのではないのか。
 今年は、常連の男優(T)と女優(Y)のほか、演歌歌手の大御所やお笑い芸人も動員され、何とか視聴者の関心を引こうとしているように思える。特に、Tは俳優だけあって、テレビ画面上に大写しされる表情は、まさに「詐欺師」そのものである(さすがの演技力である)。もちろん、このようなコマーシャルを放映することは法令に違反するものではない。法律上は問題ない。テレビ局としても、コマーシャル料を多く貰えるから、何ら異議はないはずである。
 しかし、このコマーシャルに影響を受けた庶民が、大切なお金を浪費するような現象が起きたとしたらら、やや問題である。というのも、宝くじを1枚や2枚買う程度であれば、ほとんど弊害はない。しかし、一攫千金を目論んで、借金をしてまでして宝くじを大量購入する者が続出するとしたら、問題がないとは言えない(何十年も前のことであるが、警察に逮捕された被疑者の中で、そのような者が現にいた)。
 大体、何の苦労(努力)もしないで大金を得られるという考え方自体が間違っている。ところが、年末ジャンボ宝くじの宣伝は、そのような根本的に間違った考え方の蔓延を手助けしているようにも思える(ただし、これはあくまで個人的感想である)。この認識は、最近、「闇バイト」に応募し、安易な方法で大金を稼ごうという不逞の輩が続出している現象と深く関係している(昔はこのような安易極まる考え方を持つ犯罪者はあまり見かけなかった)。
 見ていて不愉快であり、いかにも卑しい気がする。結論として、問題の多いコマーシャルであると言わざるを得ない。早々に打ち切るべきである。

日時:18:31|この記事のページ

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