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弁護士日記

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石平著「なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか」(PHP新書)を読んで・その2

2014年05月07日

前回、石平著「なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか」をご紹介した。
本書には、我が国が、中国と付き合う際に注意すべき点が、多くの実例を踏まえて歴史的に書かれている。
我が国は、江戸時代の末期に、諸外国の圧力を受けて開国に追い込まれた。ペリーがアメリカ東インド艦隊を率いて浦賀に来たのは、1853年のことであった。時の徳川幕府は、これに対しどう対処すればよいか分からず、混乱に陥った。しかし、それより少し前に、当時の清帝国は、英国がしかけたアヘン戦争であっけなく敗れたことを幕府は知っていた。そのため、徳川幕府は開国するしかないことが分かっていた。
我が国は、その後、明治維新を迎え、富国強兵政策の下に、急速に近代化した。具体的には、1889年に大日本帝国憲法を発布し、1890年には第1回帝国議会を開くに至った。そして、日清戦争・日露戦争を経て、アジアにおける先進国たる地位を確立した。
ところが、大正時代に至ると、国内でアジア回帰の思想が勢いを増し、岡倉天心らの言論人がアジア主義を唱えるに至った。アジア主義とは、石平氏によれば、「人種差別的意識を原因とした黄色人種に対する白人の圧迫をはねのけ、これに対抗する」という考え方である。当時、アジア諸国のうち、英国、フランス、オランダなど白人諸国の植民地になることを免れていたのは、我が国とタイ国くらいのものであった。その他の地域は、未だ国民国家の段階に到達することすらできず、白人諸国の武力を背景とした帝国主義に基づく征服によって植民地とされ、例外なく過酷な支配を受けていた。したがって、当時の状況をみれば、そのような考え方が一定の支持を受けたことは当然であったといえよう。
ところが、後れて帝国主義化した我が国において、国家を運営する必要上、中国への進出によって必要な資源を獲得しようとするアイデアが生じた。その結果、「満州は日本の生命線」という、今から思えば不合理極まる思想が急速に力を増した。そのような間違った思想の末に、我が国は、1937年に日中戦争を始め、さらに、1941年には世界一の強国であったアメリカと戦うという最悪の選択をしてしまったのである。
これについて、石平氏は、「日本は明治以来獲得してきた植民地の朝鮮半島も、台湾も失い、幕末の「裸一貫」に戻った。明治以来の日本人が努力して手に入れた富国強兵の成果も、一夜にして水の泡となった」と評する(103頁)。
まさにそのとおりである。今後、我が国が進むべき道とは、西欧的民主主義の理念である法の支配、基本的人権の尊重、議会制民主主義の維持などの考え方を持った国との連携と協力である。まかり間違っても、中国のような一党独裁のブラック国家と手を携えることはあってはいけない。仮に、中国と手を結ぶというような誤った政策を推し進めた場合には、我が国に再び大きな災難が及ぶことになることは間違いない。
最近も、自民党の高村代議士が中国を訪れ、日中首脳会談の呼びかけを行ったという報道があった。私に言わせれば、「無用のこと」である。我が国としては、当方から動くことをせず、中国がしびれを切らして、我が国に対話を求めてきたら、日中首脳会談に応じてやればよいのである。
                  

日時:13:27|この記事のページ

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