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弁護士日記

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蓮池薫著「拉致と決断」(新潮文庫)を読んで

2015年05月08日

 北朝鮮による拉致の問題については、新聞やテレビで一定の報道はされているが、国民的な関心は以前よりもやや低下しつつあるように思える。解決の方向に進んでいるとは思えない状況で、たまたま本屋で、上記の本を見つけたので、さっそく購入して読んだ。
 そこには、いままで窺い知れなかった拉致被害者の北朝鮮での生活が細かく書かれていた。蓮池氏によれば、拉致された後は、「招待所」というところで生活していたとのことであり、食糧は全て配給されていたため、食べることに特に困ることはなかったとのことである(68頁)。しかし、配給量には一定の制限があって、それ以上食べたくても貰えなかったという。食糧事情の悪い北朝鮮のことであるから、生きてゆくための最低限の栄養さえとることができれば、文句は言えないということのようである。
 かたや現在の日本では、多少のお金さえあれば、何でも自由に自分の好きなものを食べることができる。そのような自由は、日本に住んでいる限り当たり前のことである。しかし、日本から余り離れていないこの国では、日本の常識は、全く通用しないのである。
 農地についても記述があった。日本では、現在「耕作放棄地」の問題が出ている。昔は耕作されていた農地が、人がその地域に住まなくなったため、あるいは高齢化で人口が減少したため、誰も耕作する者がいなくなって、荒れ放題の状態になっているという問題である。しかも、耕作放棄地は、年々増加の傾向にあり、未だ歯止めがかかっていないと聞く。また、日本では、農地法という法律があるが、比較的容易に農地を転用することができるため、年々優良農地が確実に減少している。これは、極めて憂慮すべき問題と言える。
 ところが、北朝鮮では、日本と正反対だという(91頁)。どういうことかと言えば、北朝鮮では、農地の転用が非常に厳しく制限されており、農地を転用して工場、住宅、道路を造ることは困難だという。それどころか、食糧事情の厳しい北朝鮮では、非農地を農地にすることを国が奨励しているという。この点は、我が国も見習った方が良いのではないだろうか。
 北朝鮮という言葉を聞いて誰でも反射的に感じるのは、言論の自由、思想の自由といったものが一切認められていないということであろう。蓮池氏によれば、「思想抜きに北朝鮮を語ることはできない」という(141頁)。北朝鮮では、政治思想教育が不断に行われているという。幼児の時期から、教室には、北朝鮮指導部を称える模型や絵が掲げられており、その前で子供たちは、指導者たちがいかに素晴らしい存在であるかを教えられる。そのような教育は、子供たちが小学校に上がってからも継続されるという。もちろん、反米教育や反日教育も行われているとのことである。
 かたや現在の日本では、卒業式に、教員に対し、君が代を歌わせることは、個人の思想・良心の自由を侵害するものであって許されないという立場をとる人がいる。私は、そのような考え方には全く賛成できない。
 君が代は、我が国の国歌であって、その国歌を学校の重要行事において歌うことは、むしろ奨励されるべきことであると考えるからである。私としては、そのような偏向した思想の持主に対し、「北朝鮮の教育をどう評価するか?」と聞いてみたいものである。
 やや話がそれたので元に戻す。この本には、ほかにもいろいろと興味深い話が多く書かれていた。拉致問題あるいは国家の在り方に関心がある人々には、広くお薦めできる本であると思う。
                           

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