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弁護士日記

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天野篤著「あきらめない心(心臓外科医は命をつなぐ)」(新潮文庫)を読んで

2017年01月25日

 天野篤医師は、2012年の2月に、東大病院で天皇陛下の心臓手術を執刀した医師として、日本中の誰もが知っている超一流の心臓外科医である。私は、心臓外科医として超一流を極めた天野医師が、どのようにして今日の地位を築き上げたのかを知りたくなって、この本を読んでみた。
 天野医師の今回の文庫本によれば、次のようなことが分かった。
 「外科医にとって、手術数はとても重要だ」(30頁)。天野医師によれば、どんな職業でも腕の良し悪しは経験値に比例するという。天野医師によれば、手術数が2000例くらいまでは、手術の最中に、先が読み切れなくなって怖い経験をしたことがあったが、3000例を超えたあたりから「大局観のようなものが身についてきた」という。
 この点は、弁護士も同じであろう。過去に訴訟を何件もこなしていれば、新たに事件の相談があっても、提訴前に判決の予想をある程度正確に行うことができる。全国的に訴訟の提起件数が非常に多い交通事故の訴訟の場合は、特にそうである。
 これに反し、ほとんどの弁護士が過去に担当したことのないような事件(例えば、名誉毀損訴訟、騒音公害訴訟等の環境訴訟)の場合は、正直なところ、提訴時においては、判決の結果を事前に的確に予想することは非常に困難である。特に、環境訴訟の場合は、担当裁判官の個人的な考え方によって、判決が左右されるという側面を否定できない。
 天野医師は、外科医としての一定のレベルを身につけたならば、「その腕を維持していくためにも、一定数以上の手術は常に経験していなければならない」という(32頁)。確かにそのとおりであって、これに異論を唱える者はいないであろう。
 そして、天野医師は、「少なくとも年間250例以上はキープするよう自らに課してきた。この数字は、平均すると土日を除き、毎日1件以上は手術をしているペースだ」と述べる。天野医師によれば、55歳のときには6000例に達していたという。
 このような優れた外科医である天野医師であるが、意外にも若き日には、挫折を味わっている。「医師への道は挫折から始まった」というのである(106頁)。何と医学部受験で3回の失敗をしている。
 天野医師は、大学受験に何回も失敗した結果、逆に何が何でも医師になるという強い決意が出てきたという。そして、試験の点数が良いというだけの理由で医学部を目指す連中には負けたくないという気持ちが強くなったという(108頁)。この点もうなずける。
 例えば、高校3年生時の成績が良い、つまり偏差値が高いという理由だけで、担任の教師から「医学部に行け」などと勧められて、その気になって医学部を目指すような者が世の中に多くいる。
 また、親が病院を経営しているため、親から後継者になってもらいたいといわれ、深く考えることもなく、半ば仕方がなく医学部に進学し、在学中は、親から多額の学費を出してもらい、医学部に在籍するような、いい加減な者も現実に多くいる。
 つまり、出発点において重大な心得違いをしている医師が世間には少なからずいるということである。これらの連中は、元々、医学部進学の動機が薄弱、不明又は不純であるから、仮に医師国家試験に合格して医師になっても、ロクな医師にはならない。周囲から「先生、先生」と言われて、何か自分が偉い存在になったと勘違いし、そのあげく、世の中の健全な常識とはかけ離れた自己中心的な考え方に陥っている輩もいる。
 私が知っている某同族病院では、現役バリバリの心臓外科医が不在であるにもかかわらず、診療科目の中に「心臓血管外科」を掲げている。一体、どのようなつもりでこのような虚偽の表示を行うのか?疑問というほかない。
 天野医師は、本の中で、「はっきりいうが、医師としての志や使命感のない者は、医師になってはいけないのだ」と断言する(109頁)。
 天野医師は、医学部を卒業後、関東逓信病院、亀田総合病院、新東京病院、順天堂大学病院とキャリアを積み重ねる。しかし、天野医師は、決して大勢に順応して、周囲の空気を読んで生きてゆくという古いタイプの医師ではない。
 そのことは、次の記述にも表れている。「全員が全員、同じことを言っている状況は、かえっておかしい。百人が百人同じようなことを言っていたら、そのまま鵜呑みにはできない」という姿勢を貫く(151頁)。
 また、「手術をするだけが外科医ではない」とも述べ、非常にバランスのとれた考え方を示す(170頁)。どういうことかといえば、「手術には合併症の危険もあるから、患者さんは利益だけでなく、不利益をこうむる可能性もある。だから、手術による利益と不利益を常に天秤にかけながら、利益が不利益を完全に凌駕したときにこそ、手術は行われなくてはならない・・・いろいろなことを総合的に考えて判断を下す必要がある」というのである(171頁)。よく患者のことも考えている誠実な医師であることが分かるのである。
 弁護士もこれと同様である。事件の依頼者は、外科手術に例えれば、患者的な立場にあるといってよいが、事件を解決するに当たって、果たしていきなり訴訟を起こすべきか否か、また、訴訟を提起した後には、あくまで判決を貰うのか、あるいは判決ではなくて和解で解決するのかの選択に当たっては、単に依頼者の希望を聞いているだけでは不十分である。
 場合によっては、自分だけに都合の良い一方的な意見を述べる依頼者をたしなめて、事件解決の方針をより合理的なものに修正する必要もある。一流の弁護士には、そのような意思と技術があるからそれが適切にできる。反対に、依頼者のいうことを、よく検討もせずに、そのまま安易に受け入れて実行に移しているような不誠実な弁護士もいる。このような弁護士は、到底、一流の弁護士ということはできない(誤解のないように申し上げておくが、金儲けのうまい繁盛している弁護士イコール一流弁護士ということでは決してない)。
 例えば、弁護士が裁判上の和解案を作成するに当たっては、通常の裁判実務で行われている原理原則を踏まえて、まともな和解案を作成する必要がある。ところが、和解の初歩すら分かっていないと疑われる、素人まがいの稚拙な和解案を作成してくる「阿呆弁護士」も現にいる。私は、このような弁護士に対し、「もう一度、司法修習生の身分に戻って、法律の勉強をし直してこい」と心の中でつぶやくことが多い。このような半人前の弁護士は、相手の弁護士から馬鹿にされるだけである。
 周囲をみると、残念ながら、一流の弁護士はごく少数であり、大半は、それ以外の弁護士で占められている。ただし、これは、私の私見にすぎない。
 話が逸れてしまったが、本書からにじみ出る天野医師の「私が患者を治す」という、自信と責任感にあふれた態度は、あたかも大相撲の強い横綱を見るようである。天野医師の現在の地位は、長年にわたる血のにじむような努力の積重ねであったことが分かるのである。
 私としては、広く一読をお薦めできる良本と考える。

日時:13:21|この記事のページ

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