最近の刑事事件の判決を見ていると、「専門バカ」という言葉が想起される。
専門バカとは、専門領域については一般人を寄せ付けない高度の理論や経験があるが、世事については疎い、あるいは大局的見地に立って妥当な結論を出すことができない困った人物を指すようである。
熊谷6人殺害事件において、東京高裁刑事部の大熊裁判長は、12月6日、既にペルー人被告を死刑とした、さいたま地裁判決を破棄し、あらためて無期懲役刑とした。大熊裁判長は、死刑を無期刑に減刑した理由として、被告は犯行当時、心神耗弱状態にあったという理由をあげた(刑39条2項)。
刑法の条文にそう書いてあるから、減刑したまでのことであるということらしい。司法の判断は恣意的なものであってはならないから、裁判官としては、刑法の条文に従う義務があることはそのとおりである。
ただし、ここで見逃せないのは、大熊裁判長が、精神鑑定の結果の評価を問題にしている点である。
被告が心身耗弱状態にあったのかどうかという点は、どのような証拠をもってその事実を認定したのかという問題と深く関連する。一審のさいたま地裁は、ペルー人被告に完全な責任能力を認めたのである。ここで、上記の精神鑑定の結果が非常に大きな意味を持ってくる。
精神鑑定書に対する東京高裁と、さいたま地裁の評価が異なったため、東京高裁では心身耗弱が認められ、片やさいたま地裁では完全な刑事責任能力があったと認められたのである。
ここで、二つの問題がある。一つは、精神鑑定の結果が事実を正確に評価したものと言えるか否かである。この点は、実物を見ていないため、意見を述べることは不可能である。
二つ目の問題は、精神鑑定書の評価をする主体が違うという点である。東京高裁は、3人の裁判官だけで評価している。ところが、さいたま地裁では、裁判員裁判であったため、9人という多くの人数の評価によって結論が出ている。
では、いずれを尊重するべきか。私は、市民の感覚が取り入れられたさいたま地裁の判決を支持する。東京高裁の3人の裁判官は、「俺たちはプロだ。法律の素人に何が分かる」と内心考えているのかどうかは、私には不明である。
しかし、仮にそのように考えているとしたら、唯我独尊的な間違った姿勢であるという以外にない。ここで冒頭に述べた「専門バカ」と同じである。
3人の評価と、9人の評価では、後者の方が客観性が高い。また、市民感覚を判決内容に取り入れることもできる。司法機関も国家機関の一部であり、その究極的な目的とは、法秩序を維持することによって国民の自由を保障し、また、国民生活の安定を促進することである。何も司法権のために国民が存在するわけではない。あくまで主人は国民であり、司法機関はその下僕にすぎない。
ところが、少なからぬ刑事裁判官は、その基本を忘れているようである。具体的に言えば、最高裁が1983年に示した「永山基準」なる「言い伝え」または「伝承」に、事実上縛られている。
永山基準は、法律でもなければ、政省令でもない。まして最高裁規則でもない。単なる事実上の言い伝えにすぎない。しかし、永山基準に抵触した判決は、最終的に最高裁が認めないので、下級審裁判官としては、永山基準に抵触しないように自己規制をしているわけである。
我が国では、こんなバカげたことが長年にわたって続いている。今回の東京高裁のおかしな判決も、死刑を極力避けようとする永山基準の影響を受けたものではないかと、私は睨んでいる。つまり、「死刑はなるべく回避したい。では、心身耗弱という理由を付けておくか。よし、これでいこう」ということではないのか。
もちろん、今回の東京高裁の判決に関する限り、ここに記述した内容は、私の推測にすぎない。しかし、そのように考えると、辻褄が合うということである。
最後に、この事件では6人が無残にも殺害された。何らの落ち度もない被害者が6人もペルー人被告によって殺されたのである。これは実に残虐なことである。普通に考えれば、この男を死刑に処することは100パーセント正しいということである。
ところが、今回のように無期懲役刑になった場合、服役者が後日刑務所から出てくる可能性がある。これはいかにもおかしい。
そこで、国会は、刑法を改正し、「終身刑」という刑罰を付け加えるべきである。終身刑は、文字通り、刑務所で死ぬまで服役するという制度である。途中で釈放されることはない。最高裁がどうしても永山基準を墨守するというのであれば、立法府である国会の方で、刑法を改正し、終身刑を新たに制度化するべきである。
野党は、「桜を見る会」などという些末な問題に関わっている暇があるのであれば、刑法改正の問題を研究し、立法を行う方針を固めて、次の総選挙に臨むべきである。そうすれば、国民の多数の支持を受けられる可能性がある。与野党逆転の可能性もないわけではない。
法律が変わってしまえば、プライドだけが高い刑事裁判官もこれに粛々と従う以外にないのである。まさに国民の下僕であることを知ることになる。
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