058-338-3474

お問い合わせ電話番号
受付時間:午前10時~午後5時

電話でのお問い合わせ

弁護士日記

弁護士日記

最近の岐阜県政から感じたこと

2025年02月23日

 令和7年も既に2月下旬を迎えた。毎日毎日、いろいろな事件が発生し、それをマスメディアが報道している。その中で間違った報道も少なくない。そこで、若干の感想を述べたい。
 身近な話題として、今月、岐阜県知事が古田肇氏から江崎禎英氏に代わった。これは岐阜県民として歓迎すべきことである。これまで長期間停滞してきた岐阜県が変化するための条件がようやく整ったからである。
 今月18日付けの岐阜新聞1面の記事によれば、江崎新知事は、長年にわたって岐阜県庁にあった「清流の国推進部」を「総合企画部」に改称すると発表した。私は以前も批判したことがあるが、「清流の国」という訳のわからない名称を持った部を県庁の組織の中心に据え、自分勝手な県政を進めてきた古田前知事の考え方はおかしいと感じていた。しかし、今回、停滞感を岐阜県民に植え付けてきた本丸が短時間のうちに崩壊したのである。
 名称を変えた理由として、江崎新知事は、「県内外に部の業務を分かりやすく示すため」と語ったそうである。当然の措置であった。いままでは、古田肇という人間が知事に君臨していたため、部下に当たる県職員としては、「名称がおかしいのでは」と不満があっても、それを口に出すことは許されなかったと思われる。仮に口に出せば、次回の人事異動で、誰も行きたくない僻地の県事務所に飛ばされる危険がある。
これは推測であるが、前回の知事選に敗れて、4年間の浪人生活を送ってきた苦労人の江崎新知事には、世間というものが少し分かったのではなかろうか。そのような不満が有能な県職員の心中にあったことを察知して、素早く部の名前を常識にかなったものへ変えたということではないかと感じる。
 ところが、今月の22日付けの岐阜新聞によれば、あの古田肇氏が岐阜新聞の本社を訪問し、「清流の国ぎふ」文化祭2024について、「岐阜の魅力を世界に発信できた」と語ったという。一体、誰がそのような感想を事実として信じるであろうか?「井の中の蛙大海を知らず」とはこのことを指すのではないか。国内を見ても、岐阜県以外の県民で、上記の文化祭のことを知っていた者など皆無ではないのか。岐阜県民ですら、統計を取っていないので確実なことは言えないが、おそらく100人中数人のレベルではなかったのか。これほどの勘違いをしている人物が20年間も岐阜県知事を務めてきたのである。最近、岐阜県岐阜市の中心部から百貨店が消えたのも当然の結果といえよう。
 今月21日に古田肇氏に応対した岐阜新聞の杉山幹夫最高顧問は90歳台であり、これまでいろいろな人物に会ってきた豊富な経験があると思われる。新聞記事によれば、杉山氏は、「大所高所から県民を見守ってほしい」とねぎらったという。杉山氏が何を発言しようと個人の自由であるが、私はこの発言には異論がある。古田肇氏に告ぐ。「万が一にも、表舞台に出て岐阜県民に物申すことはお控えいただきたい」と。
(追記)
 少し前のニュースで分かったことであるが、石破茂内閣で総務大臣を務めている村上誠一郎が、とんでもない発言をした。国会の答弁に立ったこの男は、個人的見解であると前置きして、「将来、都道府県は無くして、国と市町村の二段階の組織にした方が良い」と述べた事実がある。これは暴言という以外にない。かつて、有能な宰相であった故安倍晋三氏に対し、国賊呼ばわりした男であるから、このような理解不能の発言をしたのも頷ける。私見によれば、都道府県を無くしてしまったら、国民生活は必ず悪化する。より正確に言えば、日本国民にとって何も良いことはないということである。理由はいろいろある。例えば、地方の某市において大規模な災害が発生した場合、救助を求めようとする市からすれば、まずは広域圏の行政を担当する当地の都道府県庁に連絡をするということになる。いきなり隣の市町村に直に連絡するという方法はとりにくい。また、法律の実施についても、まず国(各省庁)から都道府県へ、次に、都道府県から市町村へという順番で通知やガイドラインが下りてくる。そのように段階を踏むことが、「急がば回れ」ではないが、一番効率的なのである。それを、かつて国賊発言をした村上誠一郎という輩は分かっているのか?このような無能・有害大臣はさっさと辞職すべきである。石破茂という愚かな人間が蒔いた悪い種は、確実に日本を蝕んでいる。

日時:15:20|この記事のページ

ページの先頭へ

Copyright (c) 宮﨑直己法律事務所.All Rights Reserved.