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弁護士日記

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加藤秀治郎編訳「戦争論 クラウゼヴィッツ語録」を読んで

2022年06月26日

 本屋でたまたま上記の本が目にとまり、さっそく購入した。クラウゼヴィッツが書いた「戦争論」は、戦争を考える上での必読書ないし古典とされてきた。しかし、その内容は体系的ではなく、難解であるという話も聞いていた。そのため、これまで購入していなかった。
 しかし、今回の本は、日経ビジネス人文庫の1冊であり、総頁数も300頁を下回っている。2~3日もあれば完全に熟読することが可能なコンパクトな本である。本書によれば、クラウゼヴィッツは、1780年生まれのプロイセン王国の軍人である。彼は、プロイセン王国とフランス(ナポレオン)との戦争に従事し、一時フランス軍の捕虜となった経験もあるという。ところが、クラウゼヴィッツは、戦争論を執筆中の1831年にコレラに罹患し、51歳の若さで亡くなったようである(84頁)。
 加藤氏の編訳にかかる本書は、「戦争論」の中の示唆に富む記述を、短い文書で適示しており、要点を掴むのには最適である。今回は、たまたま狂気の侵略者ロシア(プーチン)によるウクライナへの無差別攻撃という格好のお手本が現実に示されている。そのため、本に書かれた重要ポイント(理論)と現実に起こっていることを対比しながら、自分の頭で考えることができる。
 本書には極めて有益な見解が示されているが、特に、印象に残った点を掲げてみたい。
 まず、「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治である」。クラウゼヴィッツによれば、戦争とは、政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治であるという(37頁)。戦争=政治という視点である。また、彼は、「戦争は、相手に自らの意思を強制するものである」という(38頁)。戦争とは、相手に自分の意思を無理やり受け入れさせるものである。今回、侵略者ロシアのプーチンの行動もこれに沿ったものと言い得る。ウクライナに対し、「ロシアの言う事を聞け」という姿勢である。
 また、政治と戦争の関係について、彼は、「政治が戦争を生み出す以上、戦争は政治の手段であり、決して逆ではない」ともいう(77頁)。今回の侵略者ロシアの独裁者プーチンが仕掛けた戦争も、やはり政治的な意図をもって始まったものといえよう。
 我が国では、来月参議院議員選挙がある。各党の候補者を見ていると、どうしてこのような平々凡々たる人物ばかりなのかと嘆息するほかない。特に「平和憲法の護持」を掲げる左翼勢力の連中には、健全な国防意識が欠けているとしか思えない。クラウゼヴィッツは言う。「流血を厭う者は、それを厭わない者によって必ず圧倒される」と(87頁)。流血を厭わずに力を行使する者と、その行使をためらう者とでは、行使する方が優勢を得ることは間違いないということである。そして彼は続けていう。「流血をただ怖がっていると、するどい剣を持っている者が現れ、やられてしまう」と(97頁)。国政を担おうとする者が、「平和憲法」という意味不明の呪文を1万回唱えても、戦争を防止する上では全く効果がない。日頃から防衛力を強化し、敵(中・露・北)に対し「日本に手を出したら、ただでは済まないぞ」と警告しておくことが重要だということである。
 クラウゼヴィッツは、防衛の在り方について、「防御して反撃しない者は滅びる」という(233頁)。やや詳しくいえば、防御を最終の目的と考えるのは、戦争の概念と相いれない間違った考え方であり、戦争の方法として敵を迎撃するだけに限定し、全く反撃しないのは無意味であるという。この結論は、普通の知能をもって冷静に考えればごく当たり前のことといえよう。
 また、軍事同盟について、クラウゼヴィッツは、「無能卑屈で防御一辺倒なら、他国に支援されず、没落する」と述べる(270頁)。彼は、実例として、18世紀にポーランドが、プロイセン、ロシア、オーストリアの3カ国によって分割されてしまった例を挙げる。
 日本も、メイドインUSAの欠陥憲法をすみやかに改正し、まともな防衛意思を掲げた正常な国に生まれ変わる必要がある。ここで、日本の防衛にとっては日米安保条約が重要な意義を持つが、クラウゼヴィッツは、「他国の危機に際し、同盟国は自国のことのように真剣にはならない」と警告している(273頁)。したがって、日本は、他国(アメリカ)頼みでは駄目であり、日本だけで防衛と敵に対する攻撃(反撃)ができる十分な手段を確保する必要がある。
 日頃、(私個人からみて)不見識な社説をしばしば掲載する新聞がある。地元の岐阜新聞である。社説を書いているのは共同通信の人間だと聞く。不見識な記事のポイントは、いつも変わっていない。一つは「軍拡競争」というワードである。二つ目は「対話」ないし「対話外交」である。
 最初の「軍拡競争」という言葉であるが、この記事を書いている人物は、今まで社説上で「軍拡競争」の定義を詳細に明らかにしたことはない。一体どういう意味で使っているのか?世界の各国が自国の防衛のために軍事力を整備し、自国民の安全・安心を確保しようとすることがなぜいけないのか?そのようなまともな国家の行動を取り上げて、なぜ悪いイメージがある「軍拡競争」と勝手に命名しているのか?その説明がない。
 また、中国の急激な軍事予算の拡大をどう認識しているのか?これを受けて日本が防衛費を相応の程度増額することが、換言すると、GDP比2パーセント程度まで僅かに増額することがなぜ日本(国民)にとってマイナスとなるのか?その説明がない。深読みすると、日本が防衛費を増額すると中国共産党にとっては明らかに不利となる。そのような状況は、戦略上回避したいという隠された意図があるのか?
 二つ目の「対話外交」であるが、記事を書いた人物は、「対話」という言葉をどのように定義するのか?対話とは、少なくとも共通の価値観(理念)を持った者同士でしか成立しないのではないのか?問答無用とばかりに、力ずくで隣国を攻撃しようとするロシアのような専制国(全体主義国家)とは、そもそも対話など成り立たないというべきである。仮に会談しても、見解の不一致の確認(又は非難の応酬)しか生じないのではないのか。安易に「対話」というワードを頻繁に使っている点は、やはり疑問である。間違った意見を「新聞」という公共性の高いメディアに堂々と記載していることによる弊害は、決して無視できない。
 現実社会に目を戻すと、依然として犯罪者プーチンによるウクライナへの違法な攻撃が続いている。私の予想では、2022年末に至っても戦争は終結していないと見る。ともかく戦争をまともに終結させるためには、侵略者ロシアが完全に敗北すること以外に良い方法はない。プーチンという悪魔がこの世から早く抹殺されることを願うだけである。

日時:12:44|この記事のページ

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