現在、私は、中部地方にあるG地方裁判所のT支部において、重い後遺障害を負った被害者の田中氏(ただし仮名です。)の代理人を務めている。
本件は、提訴日が本年3月3日であり、第1回の期日が本年4月12日であった。それ以来、弁論準備手続を続けてきた。昨日、ようやく証拠調べの期日が入った。本年の12月に本人尋問が行われることが決まった。
さて、本件の争点の一つとして、被害者である原告の過失の有無が問題となった。本件は、原告が国道上を車で進行していたところ、急に、信号機のない交差する脇道から、加害者である被告の車が飛び出し、原告の運転する車に当たったという事故態様である。
これについて、原告の主張とは、「原告の過失割合は5%にとどまる」というものであり、他方、加害者である被告の主張とは、「原告に40%の過失がある」というものであった。なお、提訴前における損保会社の示談案は、原告の過失を10%と査定していた。
私は、被告が、なぜそのような過大な過失相殺を主張するのか疑問に思い、被告本人から直接話を聞きたいと思い、かなり以前の時点で、原告本人尋問はもちろんのこと、被告本人尋問についても、証拠の申出を行った(原告は同行、被告は呼出しである。)。
これに対し、前回の弁論準備手続において、担当裁判官は、被告代理人に対し、「被告も証拠申出をされますね」と発言し、被告自身の本人尋問を行うことを念頭に置いた訴訟指揮を行っていた。
私も、当然、次の弁論準備手続(つまり昨日の弁論準備手続)においては、被告代理人の方から、被告本人尋問の申出があるものと予想していた。
ところが、昨日の弁論準備手続において全く想定外のことが発生した。
第1に、被告代理人の口から「和解を望む」という発言が出た。これは、想定外ではなかった。
しかし、被告代理人の口から、「損保会社の案もそれなりのものであります」という発言が出た。私は、内心「これではダメだ。何も分かっていない。」と思った。
損保会社の案が問題外であるから、訴訟となっているのであるから、損保会社の案を和解のたたき台にして欲しいというような申出は、およそ話にならないのである(時間の無駄ということである。)。
第2に、裁判官の口から、被告代理人の方から「本件事故態様は、被告としても特に争っていない、むしろ認めているのであるから、後は評価の問題が残るだけであり、そう考えると、被告をわざわざ法廷に呼んで話を聞く必要はない」との主張があったようであり、裁判所もそれを相当と考えるとの発言が出た。
私は、これには驚いた。
確かに、実況見分調書、事故現場見取図、供述調書などの刑事記録の内容を被告が争わないのであれば、これらの書証だけを基に、果たして原告に過失相殺事由があるのか否かの点を裁判官が審査することはできる。
しかし、反面、これらの刑事記録などの書証以外に人証(被告本人尋問)も行われれば、一層、公平で慎重な司法判断を下すことが可能となることは、当たり前である。
法廷内において被告本人尋問を行うことによって、刑事記録には残されていない事実が出てくる可能性がある。被告本人尋問を行うことによって、証拠資料が一段と厚みを増すことは確実なのであるから、やはり被告本人尋問を行う必要性はあるのである。
まして、今回、被告代理人は「原告にも40%の過失がある」との主張を取り下げていない。その点から考えても、被告本人尋問を行うべき必要性はあったのである。
ところが、男性の担当裁判官は、私が反論を行っても、なぜか首をかしげている始末であり、私の証拠申出(被告本人尋問)を却下してしまった。私は、「この裁判官は、どうしてこのような自己流の考え方に固執するのか?」との疑問を拭うことはできなかった。被告は、単に法廷に出てくることが嫌だった、だけのことではなかったのか?という疑念を払うことはできなかった。
仮に被告代理人及び担当裁判官の考え方が正当なものとされた場合、大半の交通事故訴訟は、捜査機関が作成した事故現場見取図などの資料は、双方の当事者も争わない、つまり、「警察官の作成した見取図は不正確なものであって、異論があります」などとは言わないのであるから、そうすると、事故態様に関する限り、原告本人尋問も被告本人尋問も一切行う必要はなくなる。
しかし、現実には、事故態様自体を争わない事件であっても、過失割合について当事者の主張が異なるものについては、大方の場合、原告及び被告本人尋問が行われていることに照らしても、これはおかしな見解であるといわざるを得ない。
「裁判官は弁明せず」という法格言もある。その意味をどのように捉えるかは別として、担当裁判官には、弁明しなくてもよいだけの実力ないし判断力を身に付けて欲しいものである。
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