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弁護士日記

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池袋暴走老人は今何を考えているのか

2019年05月21日

 東京の池袋で80歳を超えた老人(飯塚幸三容疑者)の運転するトヨタ車が全く落ち度のない母子をひき殺す事件を起こした。
 その老人は、自分も怪我をしたという理由で、どこかの病院に入院していたが、最近になって退院し、池袋警察署の任意の事情聴取に応じて警察で事故状況を説明したようである。その老人が事情聴取を終えて警察の玄関から出てきた場面をテレビ報道が伝えていた。
 その場面を見て、私は「何、これ?」と感じた。その老人は、帽子を目深にかぶり、色の濃い大きめのサングラスをかけ、さらに大きなマスクをしていた。おそらく、その老人がそのような恰好をするのは、生まれて初めてのことであったと推測される。
 なぜ、飯塚幸三容疑者は、そのような恰好をしなくてはならないのか。報道機関のカメラマンに写真を撮影されたくないという心理が働いたことは疑いない。だから、顔を隠したのであるという説明は成り立つ。
 しかし、一方、この老人は、前途ある若い母子を全く理由もなく死なせた。確かに、刑法では、殺意が立証されない限り、殺人罪にはならない。人を死なせても、過失致死罪にとどまる(ただし、今回は車を運転して他人を死なせているため、正確には「過失運転致死罪となる)。同じように他人を死なせても、殺意があるか否かで、刑事責任の重さは全く違うということである。
 では、この飯塚幸三容疑者には殺意が存在しないという理由で、その刑事責任は軽いということになるのか?それはおかしいというべきである。なぜなら、この老人は、今回の事故を起こす前に、足を怪我し、杖をついて歩行する状況であったため、医師から「車の運転はやめておきなさい」という助言を受けていたという。医師がそのようなアドバイスをした理由は、仮にその状況で車を運転すると危険だからという理由であることは疑いない。
 ところが、この老人は、横着にも車を自分で運転し、結果、今回の事故を起こしたのである。つまり、事故発生の危険性が予見できたにもかかわらず、横着にもハンドルを握ったのである。何という無責任さであろうか。つまり、事故を起こしたことの責任は重いということである。
 であれば、警察で任意に事情を聞かれた、警察の玄関先に姿を現した際にも、被害者に対する誠意を見せるという意味で、堂々と顔を出し、報道陣を前にきちんと謝罪を行うべきではなかったのか。それくらいの苦痛は、遺族の苦痛に比べれば、問題にならないくらい軽い。
 しかし、この老人は、報道による限り、アクセルペダルが戻らなくなった、ブレーキが効かなかったなどという勝手極まる不合理な弁解を弄しているようである。実に許し難い自己中心的な姿というほかない。老醜を、これでもか、これでもかとさらしているように映る。
 警察は捜査を終えた段階で検察庁に捜査の結果を送り、検察官は、公判請求をすることになる。刑事裁判に至った際に、この老人が、法廷でどのような主張を行うのか見ものである。
 まさか、「トヨタ車の機能に欠陥があり、運転操作において自分は何も悪くない。つまり過失はない。ただし、自分の車が事故を起こし、結果、他人を二名死亡させたことは誠に残念である。ご冥福を祈る」などと主張をする可能性は極めて低いのではないだろうか。
 しかし、刑事弁護人は、仮にそのような方針ではもたないと思っていたとしても、被告本人が「自分は全く悪くない」と言い張る場合、その主張を尊重し、それに沿って弁護方針を決めざるを得ない。
 もしそれが嫌なら、弁護人を辞任する以外にない(ただし、自由に辞任できるのは私選弁護人だけである。国選の場合はそ
う簡単ではない)。私だったら、このような人物の弁護は、仮に1000万円の着手金を提示されても、きっぱりと断る。事故加害者の責任を軽くするための活動は、どのような理由があろうと、一切やらないと決めているからである。

日時:15:30|この記事のページ

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