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弁護士日記

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損保と闘う(10)

2011年11月21日

平成23年も残り少なくなった。私は、交通事故の案件に関しては、事故被害者側の依頼しか受けないというスタンスを一貫してとって今日に至っている。
なぜかといえば、日頃、訴訟において、事故加害者側つまり損保会社側の弁護士の主張することが、事故被害者の立場から見た場合、「冗談ではなく本気でそんなことを言っているのか?」と思うようなことが多いからである。損保会社側の弁護士の全部がそういう類の弁護士であるとまでは言えないが、大多数は、依頼者である損保会社の利益だけを優先させていると見て間違いない。
 いわば、「損保会社の弁護士の常識は、事故被害者の非常識」ということである。私は、そのような弁護士にはなりたくない。だから、事故加害者つまり損保会社からの事件依頼は一切受けないのである(双方に、「いい顔」はできないはずである)。
 さて、依頼のあった交通事故事件を適正に処理するには、依頼された事件を分析し、かつ、最近の判例の傾向に照らして、どのような結論が出るかを予想する必要がある。その後、訴訟を提起して、時間を惜しまず丁寧に主張・立証してゆく必要がある。丁寧かつ精力的に主張・立証を重ねれば、当初の予想からそんなに外れた判決にはならない。今までは、ほとんどがそうであった。
 ところが、最近、下された判決の中に、首をかしげざるを得ないものが一件出た。いくら、被害者である原告代理人が力を入れて真剣に裁判に臨んでも、担当する裁判官の判断が適正なものでなかったら、依頼者の正当な権利は守られないことになってしまう。この点は、極めて重要な点である。単に、担当した裁判官が「外れだった」ということで済ますことはできない。いわゆる「裁判官の当たり外れ」ということで事を収めることはできないのである。
 さて、良い判決とはどのような判決であろうか?良い判決とは、なぜそのような結論に至ったのかについての判断過程が丁寧に説明されているものである。判決の中で展開されている事実認定又は論理が合理的であってしかも丁寧に書いてあれば、仮に結論が当事者の期待する予想と相反したものであったとしても納得がゆく。当事者の考え方が浅かったということが分かるからである。その場合は、判決を不服として控訴することは、まずない。
 その逆に、重要な争点について、理由らしい理由も示すことなく、「こんなささいな事件に時間をかけている暇などない」と言わんばかりに、示すべき理由を省略して一方的な判断を下している判決には、素朴な反感を覚える。合理的理由も書かれていない判決に対しては、控訴して争うほかないという結論になる。
 私のささやかな個人的経験によれば、裁判官として一番充実した判決を書く確率が高いのは、やはり40代から50代の体力・気力・能力が揃った裁判官である。これに反し、30代の裁判官の場合は、体力・気力はあっても能力的にまだ水準に達していないと疑われる場合がときどきある。
 では、60代の裁判官の場合はどうか。壮年期と比べると一般的な体力・気力・能力が衰えているためか、あるいは年齢のせいで精緻な判決を書くことが面倒くさくなっているためか、判決理由を丁寧に書いていないものが一部にある。いわば、必要最小限の努力しか払わないという姿勢が透けて見えるものがある。当事者から、そのような芳しくない評価を受ける裁判官が一部に存在することは、まことに残念なことである。
 事故被害者からすれば、一生で一回あるかないかの判決が、そのような不適格裁判官によって下されることを、そのまま見過ごすわけにはゆかない。当然に控訴して争うことになる。ただし、事故被害者が経済的に困窮しているような場合には、本来であれば控訴をして争うべき事件であっても、早く賠償金を得たいという動機が働くため、控訴を見送ることも多々ある。
 自分の限界を悟った(あるいは周囲からそのような指摘を受けている)裁判官には、自ら引退を決意し、裁判官という重要な職責から身を引いてもらいたいものである。事故被害者の正当な権利を守るには、そうするほかないと考えるが、どうであろうか。

日時:13:11|この記事のページ

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