さいたま市で、小学四年生の子供が殺された事件について、昨日のテレビや新聞報道では、被害者と同居していた義父の男(新藤悠介容疑者)が、死体遺棄と殺害をともに認めるような供述を行ったということであった。
状況証拠を合理的に評価すれば、やはり、同居の新藤容疑者が最も疑わしいということにならざるを得ない。
ところが、本日、ネット記事を見て驚いた。新藤容疑者は、さいたま地検の取り調べでは、容疑を否認したというのである。この報道が事実か否かは現時点では不明である。
しかし、仮に本当だとした場合、「なぜ否認に転じたのか?」という疑問が湧く。
一つの可能性として、本人が地検に車で送致された当時の様子を見て、感じたことがある。容疑者でもいろいろなタイプがあり、警察の車の後部座席に乗せられていても、前をまっすぐ見ているタイプもあれば、下に顔を向けているタイプもある。
まっすぐ前を見ているタイプの人間の場合、取り調べに慣れているようなワルが多いと感じる。暴力団員がその典型である。
ところが、今回の新藤容疑者の場合は、極端であった。エビのように体を下に曲げ、完全に上半身を隠そうとしている様子がうかがえた。このような場合、容疑者は、自分の犯した犯罪について、今更ながら「大変なことをしてしまった」と感じ、今後の刑事裁判を予想すると自然に生じる恐怖心から、結果として、このような姿勢をとってしまったのであろう。
今回、新藤容疑者は、自分がやってしまったことへの恐怖心から、何とか罪から逃れる方法はないかと考え、地検で「自分はやっていない」と主張するに至ったことが考え得る。しかし、現在の裁判では、自白があることは絶対的要件ではなく、防犯カメラ映像などの状況証拠のみでも有罪となり得る。本人には、そのことが分かっていないようである。
また、否認した場合、裁判官から、「本人は全く反省していない」と認定され、容疑を認めていた場合よりも刑が重くなる危険がある。
二つ目の可能性として、仮に私選弁護人が付いていた場合は、その弁護人から、「決定的な物的証拠があるわけではないから、否認すれば殺人罪を免れる可能性がないわけではない。どうしますか?」と法的アドバイスを受け、新藤容疑者もそのアドバイスに乗って、否認に転じたということもあり得る。
今回は、いずれの場合か分からない。いずれにせよ、何の罪もない小さな子供を、大した理由もなく殺害した犯人は絶対に許すことはできない。真犯人は、必ず裁かれるべきである。今後も目が離せない事件と言える。
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