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弁護士日記

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感覚を疑う新聞社の社説

2020年03月19日

 私は、大方の国民がやっているように、朝、新聞を読む。新聞を読む主たる理由は、事実を知ることである。現にどのようなことが起きているのかを知る手段として、一番手っ取り早いのは新聞である。もちろん、テレビの報道番組から映像を交えて多くの事実を知ることもできる。
 ところが、新聞を読むことを日課としている私であっても、ほとんど読まない箇所がある。それは、「社説」である。社説は、その新聞を発行している会社の基本的立場が反映されている。したがって、何も読むまでの必要はないのである。せいぜい、見出しを一瞬見るだけで終わることが多い。
 私は、産経新聞と岐阜新聞を定期購読している。まず、産経新聞の記事は、おおむね私の感覚に合った内容であり、全く違和感はない。この新聞は、何よりも、日本という国ないし日本国民の利益を正当に擁護しようとする姿勢が感じられる。
 産経新聞の記事の中でも、「産経抄」、「極言御免」、「正論」は欠かさず読んでいる。特に、「正論」は、その分野の専門家が執筆をしており、内容も信頼性があり、これを読むことは有益である。
 もう一誌は岐阜新聞である。岐阜新聞を定期購読している理由は、岐阜県関係のこまごまとした出来事を把握しておくためである。大きな理由はない。記事の内容は、非常にローカルであるが、それは地方紙である以上、やむを得ない。記事の内容として、特に取り上げる価値のあるものはない(ただし、この点はあくまで私の主観である)。
 では、「社説」はどうか。納得できないものが少なくない。関係者から聞いた話では、岐阜新聞の社説は、ほとんどの場合、共同通信社の記者(論説委員か?)が書いたものをそのまま掲載しているとのことである。では、岐阜新聞がそのような基本的な立場を堅持しているのは、なぜであろうか?
 いろいろな事情から、そのような姿勢をとっているのではないかと推測するが、一県民としては、残念なことである。
 社説の内容は、上記の事情から、基本的に左翼政党の主張に沿うものが多く、私としては、賛成できない内容のものが多い。
 また、社説の物の言い方は、国民を下に見た、つまり上から目線のものがほとんどである。あたかも戦前の学校において、権威主義に固まった教師が教室で生徒に向かってお説教しているような場面が浮かぶ。
 しかし、一論説委員に、そのような物の言い方をする資格(能力)があるのか?
 おそらく、「言論の自由である。何か文句があるのか」「嫌なら新聞購読を止めるべきである」という回答しか来ないであろう。
 したがって、社説は、読むだけ時間の無駄であり、結果、全部スルーしている。
 では、以下、具体的に検証する。例えば、2020年3月15日の社説の見出しは、「強権の乱用は許されない」というものであった。私は、この見出しを読んだ際、「何だこれは?」と感じた。安倍政権が新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)の改正を受けて、ついに緊急事態を発動したのか?と思った。
 ところが、内容を読むと、特措法の改正に当たって、左翼政党が国会の事前承認を求めていたにもかかわらず、それが通らなかったことが不満であることが縷々書かれていた。また、この社説には、「憲法が保障する個人の権利の制約につながる強い権限だ」とも記載されている。
 しかし、これらの主張はおかしい。いずれも不合理である。
 第1に、今回の新型コロナウイルスの事件の様子を見れば分かることではあるが、緊急事態においては、行政府の長である首相が決断する以外にないのである。緊急事態においては、多くの議員の集合体である国会の事前承認を求めることなど、最初からあってはならない。
 理由は簡単である。仮にそのような法律にした場合、緊急事態の宣言が、タイミングを失し、そのため国民に余分の不利益を及ぼす危険があるためである。また、責任の所在が不明となって、責任を誰も取ろうとしない事態が予想されるからである(政府は、国会が承認したことを理由に責任を少しでも免れようとし、かたや国会は、政府つまり首相が宣言したことであり、国会には何ら責任はないと強弁する)。
 第2に、以前も指摘したとおりであるが、緊急事態の宣言によって、国民の権利が制限されることは当たり前のことであり、何ら不思議ではない。国民の権利が制限されない緊急事態宣言など、最初からあり得ないのである。
 「要請」や「お願い」では、法的拘束力がないため、仮に不心得な国民がこれに従わず自由気ままに行動し、そのため新型コロナウイルスが急激に拡大してしまった場合、国民が受ける不利益は計り知れないものとなろう。したがって、憲法上の権利であろうとなかろうと、緊急事態にあっては、国民の権利を制限する法律を作ることは、ごく自然のことなのである。
 ところで、岐阜新聞社説は、2020年3月19日の社説で、「EU封鎖、試練の正念場だ」という主張を掲載した。「欧州における対策の成否は、破局を防げるかどうかも占う。ここが正念場だ」とある。ここでは一転して、規制を容認する立場にあるように読める。あるいは、日本では権利の規制は許されないが、欧州では権利の規制は大いに推奨されるべきものであるという立場なのであろうか。
 仮に個人の権利を(過度に)尊重する3月15日付けの社説の立場に従うのであれば、欧州において欧州諸国の国民の権利を厳しく制限するEUの姿勢は批判されるべきものとなるはずである。ところが、ここではそのような論調はうかがえず、むしろ規制に賛同するかのような立場に変わっている。論理が整合しない。社説を書いた記者は、今後きちんと説明する必要がある。読者は、記者が考えているほど馬鹿ではないのである。
 
 

 

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