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弁護士日記

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特権階級を削減せよ

2020年05月07日

 武漢ウイルス(いわゆる新型コロナウイルス)による世界的な被害は、未だ終息の兆しを見せない。国会でも、特定の13地域については今月末までの緊急事態宣言の延長が決まった。
 世の中の多くの人々が、新型コロナウイルスの被害に苦しんでいる昨今、全く影響を受けない集団がある。それは国会議員である。国会議員は、現代の特権階級である。現代版「貴族」と言っても過言ではない。
 有権者の前では、庶民である国民に寄り添うような優しい顔をするが、一歩、舞台裏に戻れば、多くの議員は、「演技をするのも大変だね」、「ああ面倒くさい」と思っているに違いない。
 国会議員は、民間人と違って国からお金をもらって生活している身分である。憲法でも、国会議員は全国民の代表であり(43条1項)、国庫から相当額の歳費を受ける(49条)と規定されている。
 このように国会議員は、全ての日本国民のために、つまり日本国民の利益を増大させるために働く義務がある。ところが、国会議員の姿を見ていると、そのような理念とはかけ離れた姿が目に浮かぶ。
 与党、野党を問わず、国会議員の質がますます低下しているように思える。分かりやすく言えば、自分自身の、あるいは自分が所属する党派の利益を第1に考えて行動しているとしか思えない議員が増えたということである。
 なぜそうなったのか?理由はいろいろあろう。以下、思いついたことを上げてみる。
 (1)世襲議員が増えたこと。世襲議員とは、自分の親や祖父、あるいは親戚筋に当たる人物が国会議員をやっていたことがある議員である。世襲議員は、ほとんどダメ議員で占められているように思える。
 世襲議員は、親から、地盤、看板及びカバンを受け継いで、非世襲議員とは比べものにならない優位さをもって選挙に臨み、当然のごとく当選する。政治家になった主たる理由は、たまたま親が政治家だったということだけであり、最初から、何としても世の中を良くしようという熱意はないのである。大半の場合、代々の家業を受け継ぐという感覚でやっているだけのことである。
 世襲議員は、一般国民とは別格の優位さをもって大学に進学し、あるいは大学卒業後に会社に就職し、その後、親が引退する時期に国会議員という職業を引き継ぐ。
 選挙の戦術や有権者に対する訴えの方法などについては、選挙のベテランが丁寧に教えてくれる。候補者となった者は、当選マニュアルに従って、「皆様のために働きます。勝たせてください」などと叫んでいればよいだけである。選挙期間中にその者が負う労苦は、当選後の特権階級の自分を想像すれば、何ら苦痛ではない。
 (2)恵まれすぎている経済的環境を上げることができる。国会議員は、歳費(給与)年間1550円のほかボーナス640万円、文書通信費・交通滞在費1200万円、立法事務費780万円の計4170万円を受け取る権利がある。
 そのほか、議員秘書3人分の人件費、議員会館の自分の事務所費は国が負担してくれる。国会近くの宿舎は有料であるが、世間の賃料とは比較にならない低額の家賃で借りることができる。これらを総合すると、一年で8000万円程度のお金を受けている身分である。1年で8000万円の利益供与を保障されている人間は、全国民のうち、果たして何パーセントに当たるであろうか。正真正銘の特権階級・貴族階級というほかない。
 このような特権階級が、衆議院で465人、参議院で248人もいる。
 (3)仕事のノルマは特にないこと。ここで、はたと疑問が生じた。これほどの破格の待遇を受けている国会議員の仕事とは何か?憲法上は、国会は立法機関であるから、その構成員である国会議員は、本来であれば、立法の仕事に専念する職責があるはずである。
 ところが、国会に出席する、あるいは担当の委員会に出る義務はあっても、自分で何か法律案を作成する義務は全くない。行政府が作った法案を審議するという気楽な仕事があるだけであり、有体にいえば、委員会や本会議において、議決の際に、座っている座席から立ち上がるという動作を一瞬すればそれで済むのである。座席から立ち上がるだけで、法外な報酬が保障されるという恵まれた稼業ということである。
 しかし、それだけでは有権者に全くアピールすることができないので、委員会において、大臣の答弁の言葉尻を捉え、「委員長、委員長」と興奮して大声で叫び、委員長席に詰め寄って抗議をするというお芝居をする必要がときどきある。いわゆるパフォーマンスに終始している。
 特に、野党議員は、政権政党の議員と違って、国政に直接関与できない。政権政党の議員であれば、大臣や政務官としての仕事を通じ、国政つまり霞が関の官僚を動かすことができる。車に例えれば、行政府(霞が関・国家)という巨大な車の運転をすることができる。国家権力を自分で動かすことができる快感ないし充実感がある。
 ところが、冷や飯食いの野党議員は、車道を疾走する超高級車を、指をくわえて眺めているだけの通行人にすぎない。野党が、桜を見る会の問題にかこつけて政府自民党を追及するのは、「権力を奪いたい」という一心からであると見てほぼ間違いない。数か月前までの国会の光景は、実に暇な光景だった。コップの中でわいわい騒いでいたに等しい。
 話をまとめる。日本の国会が、このように暇な状態になってしまったのは、ひとえに、国会議員の数が多すぎるためである。換言すると、何も仕事をしない無駄な議員が多すぎるのである。そのくせ、国庫から破格の待遇を受け、多くの議員は、日々、優雅な生活を送っている。
 日本国憲法ができた昭和20年代の初めには、パソコンもなければ、スマホもなかった。コピー機もなかった(全部、人間が、いちいち万年筆や筆で手書きしていた)。もちろん、高性能のコンピューターもなかった。立法作業のほとんど全部が議員の個々の動作なり言論活動を通じて運営される仕組みであった。
 しかし、今では、個々の議員がやっていた手仕事の大半は、機械が100倍以上の速度でやってくれる。また、国会議事堂に議員が必ず全員集合しなければ法律が通らない時代でもない。リモート本会議も実現可能である。
 無駄な議員が多すぎるため、仕方がなく暇つぶしに、これまで桜を見る会の話題で盛り上がっていたという分析も可能なのである。
 立法の仕事は、憲法上、国会議員の専権事項であるから、国会議員が、自分で自分の首を絞めるようなことをするはずがないだろうが、衆議院議員は現在の定数465人を200人程度に(なお、全選挙区を原則小選挙区制とする。小選挙区で落選した者は、一切救済しない。現行法の比例復活という、昔はあったという「補欠入学」に似た馬鹿げた制度を廃止する。落選者は、たとえ1票差でも落選である。例えば、競馬においても、途中までぶっちぎりの1番で走っていても、ゴール寸前で他の馬に追い抜かれれば、負けは負けなのである)、参議院議員も現在の定数248人を100人程度に削減することが望ましい(憲法を改正し、参議院を完全廃止することも十分検討に値する)。

日時:14:11|この記事のページ

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