本日、ネットを見ていたら、我が岐阜県の関市の市議会議員が威力業務妨害の疑いで警察に逮捕されたというびっくりするニュースが載っていた。
関市議会のOという議員(67歳)とのことである。容疑は、市役所に爆発物を仕掛けたと予告する文書を市の支所に送付し、市役所の業務(公務)を妨害したというものである。この人物は、過去に市議会議長もやっていたと聞く。
ここで思った。人間は生まれた時点から、根っからの悪党として生まれるわけではなく、その後の生育環境によって途を踏み外す者が一定の確率で生ずる。この人物も、どこで考え方を間違えたのか?67歳という年齢であるから、若気の至りで罪を犯したということは考え難い。やはり、67歳までの人生を過ごす過程で、次第に間違った考え方に染まってしまったということであろう。
それにしても、議員という職業は、昨今、何のために存在するのか、意義が問われている事件が多い。模範解答を述べれば、民主主義の体制にあっては、民意を汲んだ公選の議員が議会を構成し、行政機関が勝手なことをしないようにチェックを行うという役割を果たしているということになる。
ところが、実体は理想とかけ離れているように感じる。一言でいえば、議会自体は必須の機関であるが、しかし、無駄な議員が多すぎるのではないのか。このことは、国会の場合も、地方議会の場合も当てはまる。
国会議員については、まずは定数を半減させるべきである。半減すれば、いい加減な人物が国会議員になってしまう確率も低くなるし、税金の浪費を抑制することができる。
そもそも国会の主な任務は、立法作業と行政府の監視である。しかし、前者は全くできていないし、後者についても、どうでもよいことばかりに力を入れているように見える。検事長の定年年齢をどうするかという問題よりも、共産党独裁国家の中国による尖閣諸島への圧力の問題の方が、100倍も重要である。
しかし、与野党とも、なぜかこの問題に触れたがらない。中国と腐れ縁があるため、正論を述べることを遠慮しているのではないのか。議員の頭の中は、いかにすれば議員を長く続けることができるか、つまり次の選挙で当選できるか、で占められているようである。それしか関心がないから、当選という目標に役に立たない論点については、ほとんど関心がないということであろう。
地方議員については、極論すれば、存在してもしなくても、住民はほとんど困らない。例えば、武漢ウイルス(いわゆる新型コロナウイルス)の対策をめぐっても、日々報道されるのは、医療機関の活動状況であり、行政機関による会見である。地方議会の取組みや地方議員の行動が、テレビで取り上げられたことは、私の記憶では一度もない。
また、地方議員を長くやっていると、「〇〇のドン」と言われるような、いかがわしい人物に堕落する危険が出てくる。このような人物は、それなりに顔がきくため、かえって弊害をもたらすことがある。
相当以前のことだったが、大阪府のI市で、初当選した若手市長に対し、ドンと呼ばれる古参の議員が圧力をかけている場面をテレビで見たことがある。このような「害虫」のような存在の議員は表舞台から排除する必要がある。
地方議会の議員の存在価値が著しく低下している現状において、関市の市議会議員が逮捕されたというニュースは、まさに地方議会議員の今の姿を現していると言えよう。議員定数を削減し、ヤル気のある者だけで議会を構成することが望まれる。
そのためには、一定の質を保証するため、報酬は、地方住民の平均年収を参考にしつつ、他方、人間関係、しがらみ、義理人情、過去の行きがかり、惰性などで議員を長年続けている者を議会から一掃すべきである。公職選挙法を改正し、立候補可能な年齢制限規定を導入すべきである。満65歳定年で良いのではないかと考える。
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