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弁護士日記

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日本学術会議は廃止せよ

2020年10月06日

 最近になって急に日本学術会議の話題がニュースになっている。前号の弁護士日記でも指摘したことであるが、内閣総理大臣の任命権について、形式的なものか、あるいは実質的なものかを巡って意見が対立している。条文の書き方から素直に解釈する限り、内閣総理大臣に実質的な任命権があるといわざるを得ない。
 一般人が国家公務員に就くには原則として任命行為が必要である(契約によって国家公務員の地位に就くことができる場合があるか否かについては、調査をしてみないと何ともいえない)。一般に任命行為は、行政行為という法的性格を持つ。任命権者が任命行為を行うに当たっては、法律に基づく行政の原則から考えても、明確なものである必要があり、やはり原則として条文の文言によって解釈・運用が決まるというべきである。
 日本学術会議法では、学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると書かれている以上、その文言に沿って解釈・運用する必要がある。一部のマスメディアが唱える、内閣総理大臣には実質的な任命権がないという主張は、法律の文言から離れた恣意的なものであって支持できない。
 次に、日本学術会議の存在目的はが、これまで長年にわたって一般国民には全く知らされてこなかった。「学者の国会」という性格を持つという話を聞いたことがあるが、果たしてそのようなものが、今日必要なのか、大きな疑問がある。いっそ廃止する方が良いのではなかろうか。どうしても意見を国に発信したいというのであれば、民間ないし非営利の法人組織として立ち上げれば済むことである。
 仮に学術会議の存在を肯定的に捉えようとした場合、存在意義として考えられるのは、いろいろな専門分野の学者から成る集合体が、国に対し、学術の側面から政策提言をするという役割しか思いつかない。
 しかし、もし人選に偏りがあった場合、ボス猿のような学者が、政治的な背景ないし思想を基に、偏波な考え方を多くの若手学者に対して事実上押し付け、結果、「学問の自由」を損なう危険がある。
 また、一部のボス猿的な学者が唱える間違った意見に日本学術会議の全体が引っ張られる危険がある。そうなると、日本学術会議は、公共の福祉を阻害する存在となる可能性も生じる。日本の国益を害する存在になりかねないということである。
 そこで、日本学術会議がおかしな方向に向かわないようにするため、一定の歯止めをかける必要があり、法律によって行政権の長である内閣総理大臣によるチェックが可能という仕組みが現に存在するわけである。
 本日の朝のテレビを見ていたら、国際政治学を専攻しているという某女史が、「今回の6人の方々は人格・業績とも優れた方ばかりです」とお世辞を述べていたが、これには呆れた。
 学者という人種は、私の知る限り、その専門分野では一般人を超える専門知識を持つといってかまわないが(ただし、日本の大学のような学者間の競争がない社会では、ろくな業績をあげなくても定年まで安穏として教授でいられるというのもまた事実である。)、人物の性格など、よほど身近で長期間観察していないと正確な判定は困難である。どうしてあのような無責任な発言ができるのか疑問である。
 私の経験からすれば、学者と呼ばれる人々の多くは、社会にもまれていないためか、人格円満な人物は、むしろ少数派といえよう。
 いずれにしても、今回の件を契機として、期せずして日本学術会議にスポットライトがあたってしまった。中には、「かえってまずいことになった。野党よ、これ以上騒ぎ立てないで欲しい」と内心思っている会員もいるのではなかろうか。

日時:22:08|この記事のページ

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