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弁護士日記

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学者の世間知らずには呆れ果てた

2020年10月25日

 日本学術会議の会員の任命を巡って、未だに無意味な議論が続いている。私が無意味だと述べる理由は、前から指摘しているとおり、菅総理大臣の6人の候補者に対する任命拒否は、法的には全く問題がないからである。完全に適法なものであって問題となる余地はない。この点は断言する。
 6人の中には行政法を専門とする学者も含まれており、新聞報道によれば、早稲田大学で行政法を学生に教えているという人物は、今回の任命拒否は憲法違反であり、また、違法であると記者会見で主張したという。
 法律学というものは、数学のようなものとは異なって、学者ごとに見解が違う。100人いれば、100通りの見解がある。例えば、数学でいえば、1+1=2であることは誰も否定できない。
 しかし、法律学の場合は、「1+1=10」といういうような、本来あり得ない珍説を唱える自由もある。まさに学問の自由である。
 今回任命を拒否された上記学者の主張とは、「会員の適否を政治権力が決められれば、学術会議の独立性は破壊され、憲法23条が保障する『学問の自由』の破壊になる」というものらしい(2020年10月24日付け岐阜新聞)。
 しかし、意見を言うのは自由であるが、このような間違った意見に対する反論を行う国民の自由(言論の自由)もあるという基本を忘れてもらっては困る。私は、ここで、上記の人物の意見が間違っていることを以下に示す。
 まず、日本学術会議の性格であるが、第1条で、内閣総理大臣の所管とすると書かれている。したがって、日本学術会議は民間企業ではない。国家機関の性格を帯びていることが分かる。予算も付く以上、明確に公益に反する活動はできない。
 次に、第3条で、独立してその職務を行う、と書かれている。科学に関する重要事項を審議し、実現を図ることなどと書かれている。ここでいう「科学に関する事項の審議」という言葉は余り明確なものではないが、要するに、科学に関し、学術会議が議論するという意味であろう。したがって、科学の専門家ではない者が、正式の議論に加わることはできない。その意味で独立性がある。
  ただし、誰を日本学術会議の会員とするかというような問題は、純粋に学問の領域には含まれず、別途、条文上の根拠で決まる。よって、人事権については、日本学術会議の独立性は存在しない。
 続いて、第7条は、「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」と定める。この条文は、普通の法律家(裁判官、検察官および弁護士)が解釈する限り、内閣総理大臣に任命権があることを示すものである、という結論に落ち着く(もちろん、そのようには解釈しない法律家も一部に存在するであろうが、思想の自由・言論の自由がある以上、已む得ない)。
 ここで、第17条において、新会員の候補者を推薦する権限が日本学術会議に認められている点を過大に重視する立場がある。しかし、内閣総理大臣には、推薦どおり必ず任命する法的義務があると解すると、推薦権=任命権となってしまい、余りにも不当である。これは間違った解釈であり、とうてい採用できない。
 さらに、憲法の保障する「学問の自由」であるが、日本を代表する憲法学者の著書を複数参照しても、学問の自由とは、学問研究の自由、研究発表の自由、大学の自治の保障(教授の自由)にとどまると解説するものが多い。
 今回、6人の学者は、日本学術会議の新会員になれなかったが、では、そのことによって、今後、彼らの学者としての活動が阻害される又は悪影響を受けるおそれがあるのかと問えば、何らの影響はないという以外にない。
 上記の人物も、これまでどおり、早稲田大学において行政法を研究し、かつ学生に教授し、あるいは学会において自分の学問的成果を公表することが自由に行えるのである。今回の任命拒否と、学問の自由とは何ら関係がないのである。一体、何が不満なのであろうか?
 逆に考えると、日本学術会議の会員に任命されることは、よほど「うまみ」のあることなのであろうか。彼らは、一種の勲章のようなものに相当すると内心考えているのであろうか?その「勲章」を貰えたはずのところ、菅総理大臣によって阻まれた、それが悔しいということなのであろうか。結局のところ、既得権益を侵害されたのが、癪に障るということかもしれない(それは違うというのであれば、ご指摘いただきたい)。
 なお、野党は、このような些末な問題をあえて取り上げ、政局化したい、つまり政府自民党を揺さぶりたいと考えているようであるが、実に下らない考え方である。
 行政権を行使する政府に求められるのは、「法律による行政」という基本原則である。仮に過去の時点における法律の条文の政府解釈が間違っていた場合、政府は、迅速にそれを改める必要がある。
 法律による行政を実現するためであり、今回野党が要求するような、「日本学術会議法の解釈・運用を改める前に、国会で丁寧に協議を尽くす必要がある」という主張は、100パーセント間違いであり、話にならない。
 国会で議論するのは、法律を新たに制定し、あるいは既存の法律の文言を改正する場合である。いったん成立した法律を、条文には手をつけず、どのように解釈・運用するかという点については、国政を預かる総理大臣、各省大臣およびその指示に従って動く官僚組織に委ねられているのである。既存の法令についてその解釈・運用を変更しようとした場合、いちいち国会で議論などしていたら、国政はストップしてしまう。法令の解釈権は、立法作用には含まれず、行政権に委ねられている(もちろん当該解釈が違法な場合は、不利益を受けた者が訴訟を提起し、結果、最終的に司法権が白黒の決着をつける制度になっている)。
 なお、今のところマスメディアでは余り話題にはなっていないが、憲法62条は、国政調査権を国会(正確には両議院)に認めており、国会が国政調査を行うという理屈で、野党が証人の出頭・証言並びに記録の提出を内閣に求めることは可能である。ただし、今回のような小事について国政調査権の発動を行う必要性があるか否かという点については疑問がある。仮にこれを肯定しても、菅総理は、今回の6人の任命拒否については、総合的・俯瞰的に判断したと述べている以上、これ以上の答弁を期待することはできない。そもそも具体的に理由を明らかにせよと要求する方がおかしい。
 例えば、野党が本部の職員を募集したところ、応募してきた者がいたので、履歴書を見て、さらに面接試験を行ったところ、ヒットラーの信奉者であることが判明した場合、普通は不合格となるはずであり、後日、その者から理由を開示せよと言われても、抽象的な回答に終始するのではないのか?
 ここで、「今回、菅総理は、独裁者になろうとしている。恐ろしい話だ」と非難した立命館大学の刑法学者もいるようであるが(上記新聞参照)、心得違いも甚だしい。仮に、その認識が正しいとした場合、不利益を受けたという人物は、正々堂々と裁判所に対し国の責任を訴えればよいではないか。
 法的に正しいか、あるいは間違っている(違法)かを判断する最終機関は、裁判所である。それ以外の組織や個人があれこれ主張しても、それは個人的見解にすぎないのである。世間に広く通用する見解ではない。司法機関が下した判断が最終的なものとなる。
 具体的に言えば、6人のうちの誰かが仮に任命拒否(処分)の取消訴訟を提起したところで、菅総理大臣の任命拒否処分について、権限の逸脱・濫用があったと裁判所が認める可能性はほとんどゼロに近い。今回、任命権者である総理大臣には、ある人物を公務員の地位に就けるという行政行為を行うに当たって、(日本学術会議からの推薦者に狭く限定されるという制限を受けつつも)一定の行政裁量権があると解されるからである。原告敗訴である。
 また、国家賠償法によって賠償責任を追及しようとしても、国賠法1条の定める「違法な公権力の行使」があったと裁判所が認める可能性もほぼない。やはり、原告敗訴である。
 今回、左翼野党は、政府を政治的に攻撃しようという意図の下、日本学術会議の6人の任命拒否の問題を取り上げている。6人のメンバーは、政治的材料として、野党にいいように利用されないよう、うまく知恵を出す必要がある。世間知らずであってはいけない。まさに学者としての常識・見識が問われている。

日時:12:16|この記事のページ

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