052-211-3639

お問い合わせ電話番号
受付時間:午前10時~午後5時

電話でのお問い合わせ

弁護士日記

弁護士日記

古田知事の5期目出馬表明に重大な疑問あり

2020年11月20日

 郷土である岐阜県の知事選挙をめぐって最近になって動きが出ている。現在、4期目の古田肇知事は、2020年11月20日、正式に5期目の知事選に出馬することを表明した(詳細はまだ把握していない。)。
 このニュースを見て、一体、この古田肇という人物は、何を考えているのか、大きな疑問を感じた。テレビニュースなどによる限り、出馬の理由とは、現在、新型コロナの対策の最中であり、切れ目のない対策を講じるには、自分が継続する以外にないという趣旨の発言だったようである。
 しかし、これはおかしいの一言に尽きる。全く理由になっていない。
 東海3県の知事の中で、何も特に目立った実績がない知事だったからである。存在感が希薄で、何を目指しているのか不明の知事だったということである。
 他方、人によって人物評価は大きく分かれるが、愛知県の大村知事は、それなりにコロナ対策方針をいろいろと打ち出し、テレビのニュース番組でも、あの個性のある顔で何回も登場している。単なるパフォーマンスかもしれないが、愛知県の行政を預かるトップとして、努力をしている姿はそれなりに評価しなければ不公平となる。
 また、三重県の鈴木知事も、テレビのニュースなどによる限り、はっきりとした意思が感じられた。つまり、本気でコロナ対策に取り組んでいる姿勢を感じることができた。
 東海3県の知事のうち、愛知県の大村知事および三重県の鈴木知事のような積極的な知事であれば、切れ目のない対策を講じるために自分が出馬するという論理も成り立つであろう。
 しかし、岐阜県の古田知事は、一体、この1年間、何をやってきたのか?ほとんど印象がない。印象としてかすかに残っているのは、ときどき、テレビに出て、いつもの通りの仏頂面で、砂を嚙むような調子で記者会見で発言をしている姿である。付け加えると、かなり以前のことになるが、岐阜県が開催した清流国体で、運動会用のランニングシャツとパンツをはいて、得意げにグラウンドを一周する姿が記憶に残っているくらいである(このとき、私は、志村けんが演じる「バカ殿」を連想した。)。
 この人のボソボソとした口調の発言を聞くたびに、県知事という激務をこなすためのエネルギーが既に枯渇してしまっていることが分かる。
 4期目で既にこの状態である。仮に5期目を務めることになったら、一体どのような姿を世間にさらすことになるのであろうか?想像すると、心配になる。古田知事は、現在73歳であると聞く。数年のうちには間違いなく「後期高齢者」になる年齢である。
 古田知事は、過去に、「私が知事を辞めたら、女房孝行に励む」と発言したことがあると新聞記事で見たことがある。まさに、来年の初春が女房孝行を始める時期ではないだろうか。
 これは私見であり、確たる証拠があるわけではないが、ここ最近の岐阜県職員は、向上心を失い、自分の頭で考えるという姿勢が薄弱になっているような気がする。安定した職場に安住し、全体的にぬるま湯のような状態になっているのではないのか?
 そのことを示す実例として、岐阜県民手帳の件があげられる。昨年秋に出た2020年版は、岐阜県民手帳の最初にあるカレンダーの文字が極端に小さく、虫眼鏡を使わないとよく見えないような内容であった。私は、昨年の秋に岐阜県統計課に電話し、かつ手紙を書いて、文字を大きくするよう助言した。
 その結果かどうかは不明であるが、2021年版は文字が大きくなって改善された。この点、本来であれば外部からの改善要望を待つことなく、もっと早い時期に、統計課において自ら見直しをしておくべきであった。しかし、改善点の指摘を受けるまで何も変えて来なかったという態度は、まさに進歩のない古田県政の姿そのものであると言い得る。
 また、県の行政は、法律による行政の原則からすれば、法令の解釈に強い職員が一定の割合で存在する必要がある。ところが、最近では、能力向上のため研修の機会も昔ほど与えられていないようである。面倒な勉強をせずとも、国の言っていることに忠実に従っておれば、済むというヤル気のない考え方が広まっているように思える。「余計なことは考えるな」ということであろうか。
 そのような停滞を招いている原因の一つが、県人事委員会による県職員の採用試験の在り方である。最近では、筆記・面接試験においても、学力(専門的知識)よりも人物を重視する傾向が顕著であり、結果、高度の専門的知識があるが、しかし、尖った人物は、協調性に欠けるという理由で、不合格とされる傾向があるようである。このような疑問を解消するため、県の人事委員会は、日本全国の都道府県職員採用試験との比較結果を公表すべきである。
 話が拡散したので、ここでまとめる。
(1) 古田知事は、来年2月で丸4期16年となると聞く。多くの岐阜県民は、これ以上長期間にわたって知事を務めることを望んでいない。期待が持てないからである。古田氏は、ここできっぱりと引退を表明すべきである。
(2) 岐阜県の財界や経済界は、これまでの腐れ縁から、古田氏支持を表明せざるを得ないと思われるが、大局的見地に立った場合、賢明な態度とは思えない。これも岐阜県人の特徴の一つといわれる「事なかれ主義」の表れと評すべきか。
(3) 古田氏は、なぜ、岐阜県知事の椅子にしがみつこうとするのか?将来性のある有能な若手に今後の県政を任せるという考え方がなぜできないのか?
 理由は、要するに、長年にわたって保持してきた権力を手放したくないということではないのか?仮にその推論が正しいとした場合、老害に陥っていると判断するほかない。
(追記)
 2020年11月23日付けの岐阜新聞を読んだところ、県政自民クラブが、現職の古田肇知事と、対立候補となる元内閣府大臣官房審議官の江崎禎英氏の二人を推薦する旨を決定したとあった。これには驚いた。なぜなら、つい数日前の話では、県政自民クラブは、多くが古田氏を推薦しないとの態度だったと聞いたからである。態度変節の原因として、同新聞の記事によれば、財界や各種団体が20日に古田氏支持を打ち出した影響もあり、「若手や中堅県議を中心に、古田派が増加」とあった。
 実に情けない態度である。これらの変節県議は、自分の本心ないし考え方を曲げてまで、選挙で落ちるのは嫌だ、何としても当選したいということなのか。これは裏返していえば、個人的な魅力や実力が全くないということであり、財界や各種団体の力を借りなければ、その地位を保つことすらできないという貧弱な状況にあるということである。換言すれば、ただ単に担がれて、お神輿に乗っているだけの不安定な状態といえよう。
 思うに、岐阜県議は、日頃から古田知事に接する機会が多く、それだけ古田知事の物の考え方や人柄をよく知る立場にある。他方、圧倒的多数の一般県民は、せいぜい新聞やテレビで古田知事の方針や発言を知るだけの立場に置かれており、その人物像は不明である。また、県職員は、補助機関として、古田知事を支える立場にあり、職務に関する限り、知事に対し異論を唱えることはできない(もちろん誰に投票するかは自由である。)。
 そうすると、古田知事に一番近い位置にある岐阜県議は、比較的正確に、古田知事の能力や人柄を採点できる立場にあった。当初、その県議の比較多数が、ダメ出しをしていたのであり、これは私個人の採点とも一致していた。
 それが、今日、いわば腰砕けの不可解な結論に至ったのである。選挙によって県知事になれるのは一人だけであるから、県政自民クラブが政治的責任をもって知事候補者を推薦をする以上、対象者はベストの人物に限られるため、理論的に一人でなければならない。それを二人としたのは、いかにもご都合主義又は優柔不断の誹りを免れないであろう。
 以上、将来を見通した大局的見地からすれば、いずれの候補者に明るい未来があるかは、一目瞭然であろう。「沈もうとしている太陽と、昇ろうとしている太陽」の違いである。結果は、来年の1月になれば分かる。

 

日時:20:27|この記事のページ

ページの先頭へ

Copyright (c) 宮﨑直己法律事務所.All Rights Reserved.