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弁護士日記

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交通行政の「非常識」を改めよ

2022年11月21日

 2022年11月19日の報道によれば、福島県で97歳の老人が運転する軽自動車が歩道を暴走し、たまたまそこを歩いていた歩行者(42歳)に衝突し、歩行者を死亡させたという。
 実に酷い事件である。被害者(および遺族)の無念は察して余りある。十分な死亡保険金を受け取れば済むという話では絶対にない。
 新聞報道によれば、事故を起こした無職の老人は、軽自動車を運転して歩道を数十メートルにわたって暴走し、ブレーキ痕はなかったという。また、運転免許更新時の認知機能検査では、特に問題はなかったとも報道されている。
 では、一体、この老人は、何が原因で今回の暴走を行ったのか? 認知機能検査をやって特に異常がなかったというが、これは、相当に疑ってかかる必要がある。
 一つの問題点は、検査を行った時期である。仮に2,3年前の検査であった場合、仮にその時期においては何も異常がなかったとしても、本人は、当時において既に90歳の後半の年齢である。ということは、最近急激に認知機能が低下し、ここ数か月の間に、認知機能が顕著に衰え、自分の身の回りの初歩的なことすらできなくなっていた可能性がある。
 したがって、そもそも90歳以上という高齢者については、本人から免許更新の申請があれば、試験を経て自動車運転免許を更新させるという法律自体が根本的に間違っているというべきである。よって、運転免許の更新可能年齢は、更新の申請時において90歳までとする以外にない。その年齢を超えた申請は、法令に照らして不適合な申請として全件却下とすべきである。つまり、理由の如何を問わず、免許の更新を認めないということである。
 百歩譲っても、最低でも、限定免許とすることが必要である。ここでいう「限定免許」とは、最近テレビコマーシャルでやっているような、万が一、運転者が、ブレーキとアクセルを踏み間違えても、車の方で自動的に判断し、適正な行動がとれる性能を備えた新車に限定して運転することが認められるという意味である。
 二つ目の問題点であるが、認知機能検査がどれほど信頼できるものなのか、大きな疑念がある。
 仮に100人が受験して、90人以上がパスするというような甘い検査は、そもそも検査の名に値しないと考える。また、聞くところによれば、認知機能検査に一度落ちても合格するまで何回も受験することができるという。これも実に不合理なものである。検査は一発勝負にすべきである。
 なぜなら、最近の医学の常識では、人間80歳を超えると、半数以上の人に、多少なりとも認知症の所見が出てくると聞くからである。まして、90歳を超えておれば、100人中70人から80人は認知症に罹患しているといっても過言ではないのではなかろうか。すると、合理的に考える限り、90歳台の者が受験する場合は、検査合格率は、せいぜい2割から3割台にとどまることになる。
 車を運転するということは、何も関係のない他人を殺傷する事故を起こす蓋然性が高い行動である。であれば、検査は特に厳格に行う必要がある。換言すると、いささかでも認知症の疑いがある申請者については、免許の更新を拒否するという原則としなければならないのである。つまり「疑わしきは不合格」という大原則を確立する必要がある。
 ところが、交通取締り行政を担当する警察庁交通局の職員は、そのような初歩的知識が全く理解できていなかった。今回の事故は、警察庁の職員の怠慢・勉強不足が引き起こした事故と言うことができる。
 一方、警察庁は、自転車については、道交法で自転車は「軽車両」に区分されていることを根拠として、自転車の通行は、原則として車道を走行するように指導している。
 しかし、これも全くの時代錯誤である。自転車は軽車両に区分されているとしても、その実体は、人間が自力でペダルをこぎ、前進する構造となっており、また、万が一の場合に運転者を保護する物理的なガードは全く存在しない。したがって、走行中に車やトラックと接触した場合、自転車を運転していた者は、死亡し、あるいは重傷を負う可能性が高い。軍隊に例えれば、車を運転している者は戦車に乗って疾走する兵隊であり、自転車で走行している者は、銃を担いで戦場を走る歩兵のようなものであり、両者は全く比べ物にならない。
 そのような危うい乗り物である自転車に対し、「軽車両だから、車道を走るのが原則だ」などと言うことは、無責任のそしりを免れない。警察庁の幹部(県警本部の本部長クラスを歴任した幹部)は、法案の作成に当たっては、自ら、自転車に乗って地方都市の主要道路を走行する経験を経る必要がある。実際にそのような主要道で、自転車に一度でも乗れば、必ず肝を冷やすことになるであろう。つまり、命知らずの一部の変わり者を除き、「車道など危なくて自転車で走行することはできない」という厳しい事実を体験することになる。現に、岐阜市の中心部の主要道路においては、自転車で車道を走る能天気な者は、ほとんど見かけない。
 以上のことから、「自転車は、車道を走れ」という考え方は根本的に間違ったものである。そこで、代わって自転車専用道を整備することが急務となる。予算の関係でそれが困難な場合は、歩道を整備し、歩行者と自転車が共存できるような構造を備えた歩道をできる限り多く整備することが一番である。自転車は走行してもCO2を出さない。地球温暖化を防止するためにも、自転車を今後活用する政策が望まれるのである。
 警察庁は、交通取締り行政について、基本的な事実を再認識し、大切な人命が理由もなく奪われることがないように留意して、法律を作る(または現行法を改正する)よう努力すべきである。

日時:22:07|この記事のページ

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