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弁護士日記

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山陰旅行レポート

2023年04月07日

 先月のことであるが、私は、家人と共に山陰地方を旅行したので、その印象をかいつまんでお知らせする。日程であるが、3月18日(土)から同月21日(火)までの連休を利用した(3泊4日)。
 3月18日、岐阜市を出て公共交通機関を使ってお昼には鳥取市に着いた。途中、岡山市から鳥取市までは、「特急スーパーいなば」に乗車した。実際この列車を見て驚いた。たった2両しかなかったからである。車体はかなり古いと見た。指定席は乗客でほぼ満席であり、しかも、シートが小さく、スーツケースは自分の座席の前に置くほかなく、岡山から鳥取まではほぼ微動すらできない状況であり苦しかった。まさに苦行であった。途中の車窓から見えるものは、ほぼ山々であり、時折山に沿って走る道路の際(きわ)にまばらに見える人家も老朽化が進行しており、やがて寂しい無人の町村と化すのだろうと想像した。
 鳥取市では、定番の砂丘を見た。昔も来たことがあるが、今回は、やや小高い砂の丘に力を振り絞って登ってみた。そこから眼下に見える日本海は穏やかであった。砂丘の次は、近くの「砂の美術館」を見た。砂だけで作られているとは思えないほど精巧な砂の像が多くあり、感動した。ここはお薦めである。その日は、三朝温泉のM館に泊まった。三朝温泉は、以前も泊まったことがあるが、今は何か活気がなく昔より衰退している印象を受けた。
 3月19日は、三朝温泉を出て、倉吉市の白壁土蔵群を見た。日曜日であったが、観光客は思ったほど見かけなかった。観光地としては、ややインパクトに欠けると感じた。倉吉見物を終え、この地方の観光地としては非常に有名な「足立美術館」を見た。JR安来駅からは、足立美術館の無料シャトルバスが出ており、それを利用した。足立美術館が誇る日本庭園は極上のものであった。ただ、建物から出て屋外から庭園を眺めることができる場所は1箇所しかなく、やや物足りない気がした。その日は、松江の宍道湖温泉のO館に泊まった。現地で気が付いたことであるが、なぜか松江市内では走行中のタクシーを一台も見掛けなかった。
 3月20日、松江宍道湖温泉駅から一畑電車に乗って、出雲大社まで行った。一畑電車は、ローカルな電車であり、車内はほとんどが観光客らしい人々で満員状態だった。この電車はよく揺れる。幸い座席に座ることができたからよかったが、立ったままでは大変であろう。山陰地方を代表する観光地は出雲大社である。天候も良く、駅から大社までの道(「神門通り」)は観光客であふれていた。参拝を済ませて玉造温泉に向かった。松江市内には、バスが多く走っており、市内中心部の観光地であれば、松江駅から容易に行くことができる。その日は、玉造温泉のT園に泊まった。夕食は食事処で食べたが、お客グループの間隔が余裕をもって適度に空けられていて雰囲気がよく、また、料理も美味しかった。
 3月21日は、松江市内を観光した。松江城は初めて天守閣まで登った。城の南側に島根県庁の建物があったが、非常にこじんまりとしており、最初は市役所と間違えた。今年、新築された岐阜県庁の庁舎と比べると大人と幼児くらいの差がある。しかし、建物の豪華さと行政運営実績は別物である。松江城を見た後、小泉八雲記念館を見た。ここには昔も来たことがあったが、今回は時間をかけてじっくりと見学した。
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ギリシャ生まれで、2歳のときに親に連れられてアイルランドに移住し、その後、英国の神学校を経て、アメリカなどで記者として活躍した経歴を持つ。1890年、40歳の時に来日し、松江に英語教師として来たと聞く。八雲は、「耳なし芳一」、「雪女」などの怪奇小説で有名である。八雲が、このような日本を舞台とした小説を書くことができたのは、40歳のときに結婚した日本人の妻小泉セツから聞いた昔話がベースになっているとのことである。日本語が分からないまま40歳で日本に来て、ここまで素晴らしい小説を書くことができたのは、八雲の飽くなき探求心と天才的な文学的素質があった故であろう(なお、八雲は54歳のとき東京都内で亡くなっている)。
 今回の旅によって八雲の素晴らしい才能を再認識することができた。収穫の多い旅であった。以上、レポートを終わる。
(追記)
 立派な新庁舎が今年完成した岐阜県であるが、県民にとって使い勝手は昔よりも悪くなっている。これまでは、県民は誰でも県庁舎に入ることができたが、新庁舎では、国の庁舎をまねてか、入れないようになった。駅の改札口のようなゲートが、1階の入り口にあって、通過するためのパスを持った県職員以外は中に入れないようになった。これはおかしい。何のためにそのような制限を設けたのか?おそらく、防犯上のためにゲートを設けたという説明がされているのであろうが、全く理由にならない。なぜなら、ここ10年余り岐阜新聞を読んでいるが、県庁舎に不審者が侵入したという記事を一回も見たことがないからである。真の狙いは、県民による行政への監視を少しでも減らそうとすることにあると見た。これは、県民の生の声を聞きたくないという姿勢である。いかにも古田肇知事(現在5期目)が考え出すようなアイデアと言えよう。県民が県庁舎に自由に入ることができなければ、県庁舎は、昔で言えば「お城」のようなものであり、「薮田城」に入ることができるのは、「武士」だけであり、城下の「町人」はシャットアウトされるということである。結果、職員としても県民からの監視を気にする必要が全くなくなる。批判を受けるおそれが格段に減るのであるから、緊張感を持つことなくだらだらと自由に働くことができるわけである。まさに秘密主義である。このようなシステムは、住民自治の精神とは逆行する古い思想に基づくものと言うほかない。古田知事の多選の弊害が如実に表れている。古田知事は、就任後、「清流の国 ぎふ」という独自のキャッチフレーズを掲げたと記憶する(梶原拓前知事の当時には聞いた記憶がない)。そして、古田知事は、いろいろな場面でこの用語を使ってきた。知事としての実績作りを目論んだものと推測できる。しかし、大方の岐阜県民にとっては、そもそも馴染みのない言葉であり、現在に至るも全く浸透していない。知事部局には、現在、わざわざ「清流の国推進部」という大きな組織も用意されているが、これまでこれといった成果は皆無であり、無用の長物という以外にない。完全な失敗というべきである。将来、新しい発想を持つ知事が登場した際には、このような組織は消滅させられるであろうと、現時点で予想する。岐阜県民の歌にも、「岐阜は木の国、山の国・・・」というフレーズはあるが、「清流の国」という歌詞などない。これまで膨大な予算を無駄使いしてきた古田知事の責任は重い。事なかれ主義に染まった古田知事による旧態依然たる県行政の運営には飽き飽きした。一刻も早くやる気のある清新な人物と交代してもらいたいものである。

日時:15:08|この記事のページ

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