本日(2023年4月9日)付の産経新聞の6面に興味深い論考が掲載されていた。論考の筆者は杉原誠四郎氏である(元城西大教授)。杉原氏の論考は、現在の「押し付け憲法」(憲法9条)の制定過程において、いわゆる芦田修正が行われたことと、現行9条の解釈をめぐる混乱についての関係に関し分析を示したものである。当時、御用学者と目された東大教授宮沢俊義の行状について「宮沢が忖度した占領軍・米国の意向は、日本が戦勝国に復讐することのないようにと日本の弱体化を図った占領初期のものだった。やがて米国は朝鮮戦争など国際情勢の変化で方針を変え、日本に再軍備を求めるまでに変わるのだが、憲法学だけは反戦平和主義の左翼に支持を広げ、日本に根を張り続けたのである」と正しく分析している。ちょうど環境に悪影響を及ぼす外来生物が日本国内に拡散し、毎年5月を迎える頃になると、盛んに「ゴケン」「ゴケン」と鳴くようなものである。
この記事に関連するが、駒沢大学名誉教授の西修氏が書いた「憲法の正論」(産経新聞出版)という本がある。私もじっくりと読んでみたが、ほとんどすべて納得できた。詳しい内容については、この本を読んでもらいたいが、重要ポイントを簡潔に示す。
憲法9条をめぐる現在の政府見解とは、(1)結論として、自衛隊は憲法9条が認める存在である。(2)地球上のあらゆる国家には固有の自衛権がある。(3)自衛権行使の手段として、必要最小限度の実力を行使することができる。(4)しかし、上記の実力を超えた戦力は保持できない。(5)まとめとして、日本を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は憲法に違反しない。このようなものである(85頁・86頁)。西氏の本によれば、政府は、「戦力」とは自衛のための必要最小限度の実力を超える実力と捉えているとされるが、この点はやや分かりにくい。
この政府解釈はおかしい。まやかしである。自衛隊が保有する戦闘機や戦車は、子供が見ても戦闘に使用するためのものであって、兵器に当たる。兵器を保有する組織は、普通、軍隊と呼ぶ。紛れもない軍隊を「自衛隊」と呼んで胡麻化そうとする政府の姿勢は、卑屈であっておかしい。
ところで、1946年当時、GHQの最高司令官であったマッカーサーは、当初9条2項について「前項の目的を達するため」という限定文言なしの案を考えていた。しかし、それでは、自衛権を行使することまで禁止されていると解釈されかねず、現実的でないとして、いわゆる芦田修正によってこの文言が入ることになった(芦田修正が衆議院を通過した。89頁)。
ところが、1946年9月に、日本国憲法の制定について承認権を持つ極東委員会(英・米・仏・中・ソ)の構成国であるソ連代表から、文民統制条項を入れるべきであるとの意見が出た(憲法66条2項参照)。その理屈とは、芦田修正によって、自衛目的の範囲内であれば、軍隊の保持が認められることになる。そうすると、太平洋戦争以前のように大臣に軍人が就任することも可能となるとの懸念が極東委員会加盟国から出た。それを阻止するために、内閣総理大臣および国務大臣は非軍人でなければならないというのである。
当時、中国代表は、「日本国は戦争目的や国際紛争を解決するための威嚇として軍事力を行使すること以外の目的であれば、軍隊の保持は認められる」と述べている(90頁)。
現実に世界の各国がそれぞれ軍隊を保持している事実に照らすと(上記産経新聞)、日本国憲法の解釈においても、我が国は、陸・海・空軍を保有できるとする方向で現行欠陥憲法9条を改正すべきである。ただし、国際紛争を解決するための武力の行使や威嚇は、これまでどおり憲法で禁止される。
憲法9条をめぐっては、他にも多くの論点がある。例えば、集団的自衛権をめぐる見解の対立がある。私見は、自衛権には、集団的自衛権と個別的自衛権という区別はないと考えている。したがって、日本国は、集団的自衛権を堂々と行使することができる。議論の詳細は、別の機会に譲る。
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