本日(2023年5月29日)、岸田首相が、長男である岸田翔太郎氏を首相秘書官から更迭させるというニュースが出た(交代は本年6月1日付け)。遅きに失したというほかない。そもそも、この翔太郎という人物であるが、岸田首相の子供であるという理由だけで首相秘書官に任命されたという不自然な経緯がある。なぜ、岸田首相はこのようなおかしな人事をしたのか?
それは、自分の後継者として育てたいという意図があったと推測される。若いうちに政治の裏側を見せておきたいという親心があったのではなかろうか。しかし、世襲政治の悪い側面が如実に出たと感じる。政治家が、自分の子供を将来を見据えて育成しようと努力するということ自体はあっても当然であるが、今回の場合、翔太郎氏を首相秘書官という、いわゆる「政府高官」に抜擢する理由がまったく見当たらなかった。これでは権力の私物化との批判を免れなかった。
プロ野球に例えれば、一軍の監督が、二軍でまったく活躍していない自分の子供(三流選手)を独断で一軍に昇格させるようなものだからである。仮にこのような「私情人事」があったら、他の選手は馬鹿らしくてとても試合に力など入らないであろう。これと似ている。
言いたくはないが、翔太郎氏は、これまでこれといった実績もなければ、他を寄せ付けない抜群の能力もなく、平平凡凡たる人間にすぎない。完璧なまでに未熟者である。
未熟者であることを示す証拠が、今年の冬に首相が英国に外遊した際に、翔太郎氏が公用車を使って私的な観光をしていた疑いをかけられていることや、昨年12月の首相公邸における若年の親族を招いた忘年会である。忘年会の写真を見たときは、私は本当に驚いた。
首相秘書官の肩書を持つ人間が、こともあろうか公邸で親族忘年会を開催し、一部の参加者は、赤い絨毯が敷かれた階段で寝そべっている様子が写されていたのである。この写真は日本国を愚弄していると言っても言い過ぎではない。公私混同も甚だしいと言う以外にない。このような軽率極まる行動は、弁解の余地がない。
翔太郎氏が、仮にまともな社会人としての感覚をそなえていたとしたら、仮にそのような行動をとろうとする親族がいた場合、これに対し厳しく叱責し、「ここでそのような真似をしてはいけない」と注意したはずである。しかし、おそらく、事実は注意も何もしなかったのであろう。
話にならないというのは、このことである。岸田首相も、翔太郎氏を首相秘書官に任命しようと思い立った時点で、我が子可愛さの余り、目が完全に曇っていたと断定するほかない。いわゆる「親馬鹿」である。これらの件で、翔太郎氏には政治に関わるための重要な資質が根本から欠けていることが露呈した。
このように考えてくると、自民党議員に甚だしく認められる現象である「世襲政治」は、そろそろお終いにする必要がある。たるみ切った日本の政治を転換する必要がある。ただし、「何でも反対」、「不祥事追及第1主義、第2・第3・第4がなくて政策論争第5」、「日本国の国益より他国の国益を図ろうとするように見える」左翼政党(いわゆる「リベラル政党」)には、とてもとても国政を委ねることはできない(仮にそのような愚かなことをしたら、国が急速に没落することになる)。
したがって、自民党に代わる保守政党が相応の力を持つ方向に進むのが好ましい。なお、公明党であるが、欠陥憲法9条の改正に反対しようとする間違った姿勢を頑固に守っている限り、支持するに値しない。また、自民党の一部議員は公明党の支持母体である創価学会の会員の票がないと、落選する危険があると聞くが、そのような中途半端な議員は、むしろ落選し、政界から引退する方がよい。
思うに、公明党が自民党と連立政権を形成していても、国民から見た場合、特段の効用ないしメリットは感じられない。有体に言えば、いてもいなくてもどちらでも良い存在である。むしろ公明党は欠陥憲法9条の改正を拒もうとする守旧派勢力という位置付けが適当であり、自民党としては、今後連立関係を解消する方向で進むのが正しいと考える。
ただし、上記の考え方は理想論の側面も強い。現実論としては、➀自民党の改革、➁健全な保守・中道政治思想を持った国益第1主義政党の台頭および与党化、➂左翼政党その他の泡沫政党の衰退・消滅という政治プログラムを実現させるのが望ましい。
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