連日のように栃木県那須町の河川敷で発見された焼死体の犯罪について報道が続く。
現時点で分かっているのは、報道によれば、6人の容疑者がこの凶悪事件に関与している可能性が高いということである。テレビ報道を見ていると、6人とも顔を下に向けて警察官に連行されてトボトボと歩いている。全員が下を向いているという姿を見る限り、やましいことをしたという心理が表出している。実に情けなく、また、見苦しい姿である。
6人のうち、一番悪質なのは、事件の首謀者である。ところで、6人のうち、関根容疑者は、殺害された宝島さん夫妻の娘の内縁の夫という関係にあったと聞く。内縁とは、外見上は普通の夫婦と見られるが、正式に婚姻届けを出していない状況を指す。殺害された宝島龍太郎さんの妻である幸子さんは、この関根という人間を嫌っていたという。当たり前の心理であろう。全身に入れ墨を入れているような人間は普通の人間ではなく、人間性に何らかの深刻な問題を抱えていることが多い。普通の世間の常識からすれば、まともな人間は、入れ墨などしない。入れ墨をしているということは、世間に対し、「自分は普通の人間ではない」というアピールのつもりなのであろう。実に下らないことである。南米に生息する毒カエルは、非常に派手な色をしているが、これと同じである。他人に警戒心を起こさせ、さらに威圧しようとする意図があると言い得る。最近、来日する外国人観光客の中に、入れ墨をしている不逞の輩をときどき見るが、そのようなたわけは入国させるべきではない。
さて、世の中で発生する犯罪の大半には動機がある。稀に「殺害する相手は誰でもよかった」などと白状する犯罪者もいるが、それはあくまで例外である。普通の犯罪が起きた場合、ある人物が殺害されることで利益を得ることになる人物が一番怪しまれることになる。
今回、報道によれば、関根容疑者が首謀者であるという印象が極めて強い。今後、犯行を裏付ける証拠が揃い、殺人罪で起訴された場合、判決では、宝島さんの事業を奪おうという動機が働いて今回の殺人行為を実行したと認定されることになるのではなかろうか。要するに、事情を知らない宝島さん夫妻を都内の空家に誘導し、そこで騙し討ちにする(殺害する)ことを通じ、会社の乗っ取りを計画したという事実が明らかとなろう。実に卑怯で非道な所業である。
警察には、今後も、真相を解明するために大いに頑張っていただきたい。
ただし、「推定無罪」という言葉がある。その言葉をどう理解するか、人によって違いがあろう。推定無罪とは、有罪判決が確定しない限り、国家がその者を犯罪者として法的に処遇してはならないということであり、法的な効果を離れた一般人の評価として、その者を犯罪者として評価することは(名誉毀損罪に当たらない限り)かまわない。なぜなら、それは内心の自由であり、また、通常の表現の自由に含まれると解されるからである。もちろん、表現の自由と言っても一定の制限があり、例えば、公職選挙において他党の候補者の演説を妨害する意図をもって、公衆の前で、大音量で他党の候補者を罵るような行為は最初から許されない(このような社会全体を舐め切った幼稚な行為は、厳しく取り締まる必要がある。即時、現行犯逮捕ができるよう、公職選挙法を改正する必要がある。この手の犯罪者には公民権の長期間停止が効果的である)。
以下は、今後、刑事裁判において6人の容疑者が全員有罪であると判断された場合の仮定の話である。今回の事件は、単なる私利私欲のために多数の者が共謀のうえで役割を分担し、結果、残虐な殺人事件を起こしたわけであるから、非常に悪質と言い得る。役割分担という構造は、暴力団の犯罪を思い起こさせる点があり、特に、厳しく罰する必要がある。
ここで問題は、死刑の適用である。私見は、被告人6人のうち、少なくとも首謀者に対しては死刑を言い渡すべきであると考える。2名の人間を残虐な方法で死亡させ、しかも、火をつけて焼くという行為は、とうてい普通の人間のやることではない。絶対に許されない。
ところが、弁護士の中には、「被告人の人権を守れ」と叫び、死刑は憲法違反であると声高に唱える一派が存在する。しかし、彼らのいう「被告人の人権」とは何を指すのか?他人を虐殺した凶悪犯について、死刑言渡しを回避することによってその命を助けることに何か意味があるのか?全く分からない。
今回のような凶悪事件については、被告人の正当な利益を考慮しても、やはり自分の命をもって罪を償うことが相当と考える。また、将来の「凶悪犯罪の新規発生を抑止すると」いう刑事政策的観点からも、裁判所の担当裁判官が、全うな判決を出すように期待したい。
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