鳩山由紀夫内閣が本年9月16日の夜に発足して、約1週間が経った。各種の世論調査の数字を見ても、おおむね70パーセント前後の国民が鳩山内閣を支持するという結果が出ている。私も鳩山内閣には大いに期待をしている。従来の自民党政権による官僚任せの馴れ合い政治・行政には非常に問題があり、早急な転換が必要と考えていたからである。私以外の多くの国民もそう思っていたのではないだろうか。その証拠に、総選挙で民主党は国民の支持を受け、結果として圧倒的多数の議席を占めることができた。
さて、自民党による官僚任せの馴れ合い政治・行政の一番悪い見本の一つが、現在話題になっている八ツ場ダムである。民主党は、このダムを無駄使いの象徴的なものとして工事の見直しをマニフェストに明記し、選挙に勝利した。そして、鳩山政権で国土交通大臣に任命された前原誠司議員は、昨日(9月23日)にダム工事現場を視察に訪れ、地元住民との意見交換会に臨もうとした。
ところが、前原大臣は、就任直後に、八ツ場ダム建設工事の中止を明言していた。これに反発した地元住民は、「建設工事中止を前提とした話合いには応じる余地がない。」という結論を決め、意見交換会への出席中止を決めたのであった。地元住民が、前原大臣の方針に反対する理由は、立場によって多少の差はあるようであるが、要約すると、「自分たちは、最初はダム建設には反対であった。しかし、政府がどうしても建設を推進すると言うので、仕方がなくこれに従った。ところが、今になって政権が変わったからと言って、工事を中止することは到底納得がいかない。今さら、元に戻すと言っても、既にダムを建設することを前提にした生活が始まっているのだから、中止は絶対に認められない。」というものであろう。
これについて、どう考えるべきであろうか。私の答えを先に言うと、前原大臣はダム工事中止の方針を堅持するべきである、となる。その理由を次に述べる。
第1に、確かに、地元の人々が過去につらい目にあったことはその通りであろう。その事実は否定しない。しかし、人情論とあるべき政策の方向とは、一致する方が好ましいことは疑いないが、仮に一致しない場合は、人情論を押し切ってでも正しい政策を実現するべきである。
今回、八ツ場ダムは無駄な事業の象徴として、選挙前に、工事中止を民主党が求めたのである。無駄な事業という説明に嘘がない限り、財政的に余裕のない我が国の民主党政権としては、工事中止以外に選択枝はあり得ない。仮に無駄な事業が今後も漫然と継続されるなら、一般国民がその経済的負担を押し付けられるということを意味するのである。しかし、そのようなことはあってはならないし、避けるのが正論である。
第2に、地元住民は、移転先に引っ越して、そこで新たな生活を計画してしまったのに、いまさら工事が中止されては、将来に対する展望が開けない、どうしてくれるのか、という気持ちが強いと思われる。突き詰めて言えば、「今後の生活をしっかりと保障してくれ。」ということではないのか。であれば、国としては、八ツ場ダム中止に伴う補償を地元住民に対して実施すれば済むことである。この場合に、一体いくらの補償が妥当なものかについては、前原大臣(国)と地元住民がよく協議をして話をまとめる必要がある。しかし、話合いでどうしても解決しなければ、最終的には、地元住民が訴訟を提起して、裁判所で金額を決めてもらうほかない。
第3に、民主主義社会では、選挙で多数を握った政党が政権を構成して、その政権が掲げる政策を実施するのが本道である。地元住民の中には、「私たちの事情を考慮することなくダム工事を一方的に中止するのは民主政治に反する」という趣旨の発言をした者もいたようである。しかし、そのような意見には、民主政治について何か心得違いをしているのではないかという疑問を感じる。八ツ場ダムの工事は、国が責任を持って実施するものとされている以上、政権が変わって政策が変更されれば、新しい政策に従って従来の方針が見直されるのは、当たり前の話である。政策の変更は、民主政治に反するものではない。
ただ、従来の国と地元住民との間には法的拘束力のある契約関係が既に成立しており今回のダム工事中止はその契約に反するから違法である、というなら話は別である。その場合は、異論を出すこと自体は筋が通っている。しかし、紛争を解決するには、上記のように双方で時間をかけて話合いを行った上で契約内容を見直すか、あるいは訴訟で白黒を付けるほかないのである。私としては、今回の問題は、今後、遠くない時期に話合いで解決するものと予想する。
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