安倍首相の秘蔵っ子といわれた稲田朋美大臣が、本年7月28日に辞任した。
辞任の原因として、マスコミ等から、いろいろの指摘がある。PKOの日報問題や、都議選における不用意な応援演説、また、国会の委員会における答弁力のなさなど、あげたらきりがない。
その稲田氏であるが、国会議員になる前は、関西方面で弁護士をしていた経歴がある。稲田氏の政治思想が、安倍首相に近いという理由で、安倍首相の一本釣りによって、福井選挙区から出て、対立候補を破って政治家になったという人物である。
旧民主党が与党であった時期に、稲田氏は、国会の委員会においても、当時は野党議員として、舌鋒鋭く、民主党出身の大臣を追及していた。その姿などがテレビで報道された。
ところが、安倍内閣において防衛大臣に就任した後、国会において、昔とは逆に、野党の議員から質問責めにあって、答弁に窮するという場面が多く報道されるようになった。同じ人間なのに、立場が異なると、こうも違いが出てくるものなのであろうか?
弁護士を経験していない一般国民から見た場合、「弁護士であるから、議論に強いはずである。こんなはずはない。これは変だ。」という印象を受けられるかもしれない。しかし、弁護士を長く経験している私から見た場合、これが普通なのである。
どういうことかと言えば、一般に、弁護士という人種は、口頭による議論が得意ではない。得意なのは、自分の主張を書面化して相手方に伝えることである。口頭による議論の場合は、相手から出た主張に対し、即座に適切に反応する必要があるが、一般の弁護士には、とてもそのような能力はないのが普通である。
また、裁判所の中で、裁判官を挟んで、弁護士同士が、訴訟上の論点について、いろいろと議論をすることに対し、多くの裁判官は良い印象を持っていないようであり、すぐに議論を中断させる行動に出ることが多い。裁判官としては、限られた時間の中で、数多くの事件を効率的に処理する必要があるため、裁判官の眼から見て余り重要性がない事柄に、余計な時間を割いてもらっては困るということのようである。
話を稲田氏に戻す。
稲田氏が辞任に追い込まれた原因としては、上記のとおり、いろいろな点が指摘されており、確かにそのように考えることができる。しかし、私の視点は、やや異なる。
稲田氏が任期の途中で辞めざるを得なかった理由は、防衛大臣としての資質に欠けたということであろう。防衛大臣の資質を欠くとは、第1に、防衛省という巨大な組織を束ねるだけの統率力ないし人間力が、稲田氏には全く欠如していたということである。安倍首相が、稲田氏に政治家としての経験を積ませるために、あえて防衛大臣に任命したと聞くが、稲田氏には、その任に耐える基礎的能力がなかったということである。
プロ野球に例えれば、平凡な一高校球児が、いきなりプロ野球の一軍選手として出場するようなものであり、どだい無理があったということである。
第2に、稲田氏が、防衛大臣としての立場で、防衛省の行事などに出席する姿を、私はこれまで何回もテレビで見たことがあるが、服装に問題があったと考える。その際、稲田氏は、何か、繁華街に買い物に行くときに着るような、お世辞にもセンスの良いとはいえない不適切な服装で、軽率にも公式行事に出ていた。これでは、全然ダメである。
防衛省や自衛隊員から見た場合に、自衛隊を軽く見ている、または内心において自衛隊を馬鹿にしている、と悪く受け取られた可能性がある。
第3に、詳細は分からないが、稲田氏は、防衛省が抱える諸問題について、熱心に勉強しようという意欲が欠けていたのではないかと推測する。やる気が、ほとんどなかったのではないかと思う。
これらの諸事情が重なり、稲田氏は、いわば身内から離反者が出て、窮地に立たされる結果を招き、最終的に辞任に至ったと私は判断する。また、これは私の将来予測であるが、稲田氏が、政治家として再び脚光を浴びることはないと考える。
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