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弁護士日記

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進路が定まらなかった学生時代

2018年04月03日

 今週は、例年どおり、新年度が4月1日から始まった週である。
 新聞記事などを見ると、官庁や民間企業に新たに就職した職員や新入社員のフレッシュな姿が紹介されている。
 私は、昭和50年の3月に名古屋大学法学部を卒業し、同年4月1日、新採用職員として岐阜県に就職した。
 しかし、最初からそのような路線を設定していたのではなく結果として岐阜県職員になったというのが正しい。実はそこに至るまでには、短時間では語りつくせない事情がある。
 昭和48年の夏、私は、翌昭和49年の春に、そのまま卒業するか、あえて留年するかの選択を迫られていた。当時、私の友人の大部分は、メガバンクか、日本を代表するような一流メーカーや商社に就職が決まっていた。私も、実は、大阪に本社がある某金融機関の試験を受けて、採用が内定していた。
 ところが、家庭の事情もあって、私としては、外に飛び出すことを断念し、なるべく地元に残ることを最優先の選択肢としていた。具体的に言えば、将来も地元で生活できる弁護士にでもなろうと考えていたのである。
 しかし、当時の司法試験は、現在の司法試験とは全く比較にならない日本で最高に難しい試験であった。当時の合格率は3%であった。要するに、100人が受験して、最終合格できるのは3人という難関であった。
 ただ、私としては1年だけ留年して司法試験にかけてみようと考えたのである。そこで、4年生のときにわざと単位を落として昭和49年の4月から留年生となった(正式にはもちろん4年生である。)。しかし、昭和49年の5月に実施された司法試験短答式試験は不合格で終わった。
 簡単に受かるはずはないと考えていた私であったが、実際に落ちてみるとショックであり、「やはり難関の司法試験は、短答式試験で門前払いされた。もう後がない。」と追い込まれた。家庭の事情もあって、何年も浪人をする経済的余裕などなかったのである。
 そこで、国家公務員上級甲種試験(キャリア官僚を採用する国家Ⅰ種試験)を受けようと考えた。これまで、国家公務員になる計画など全くなかったので、ぶっつけ本番で昭和49年の7月(6月だったかもしれない。)に受験した。試験会場は、勝手知ったる名古屋大学の校舎であった。試験会場に入ってびっくりした。物凄い数の受験生がいたからである。
 問題を順番に解いていったが、憲法や民法は易しく感じた。当時の司法試験のレベルよりも容易というか、素直な問題が多かった。したがって、法学部の授業をまじめに受けて、それなりに勉強をしていれば、正解できる良問ばかりであった。
 結果は、合格していた。
 二次試験は、昭和49年の夏に、名古屋市内の会場で行われた。論文試験と人物試験であった。そのときは、さすがに受験者の数も絞られており、皆、自信満々という顔ぶれがそろっていた。
 出題科目は、憲法、民法、行政法の3科目であった。憲法と民法は司法試験の主要科目とかぶるので、それなりに勉強もしていたが、行政法は、大学の授業で使用した薄い本しか読んでいなかったため、全く書けなかった(白紙答案であった。)。確か「無名抗告訴訟について論ぜよ」という問題ではなかったかと思う。行政法は、大学の単位こそ取っているが、大学の法学部の単位など全く重みがなく、たとえ「優」であっても、評価は、「その科目について一応勉強したことがあることを認める」といった程度の軽いものにすぎなかった。
 しかも、当時、名古屋大学法学部では、無名抗告訴訟の講義(行政争訟法)は、必須科目ではなく、特別講義として行われていたため、たまたま私は受講していなかった。仮に、授業をまじめに受けていたら、行政法の答案もそれなりに書けていた可能性が高く、国家公務員の二次試験の際は、本当に「しまった。こんなことなら行政法をもっと熱心に勉強しておけばよかった。」と思った。
 その後に分かった結果は、やはり不合格であった。
 当時、つまり昭和49年の夏、私は滑り止めに、岐阜県職員の上級試験も受けていた。こちらの方は、岐阜市内の高校を試験会場として実施された。問題は、あっけないほど簡単であり、問題の難易度を、司法試験が10、国家公務員上級職甲種試験を7としたら、岐阜県職員の採用試験は、せいぜい2か3のレベルであった。大袈裟な言い方であるが、当時、「目をつむっていても正解できる」と感じたほどである。問題外の易しい試験であった。岐阜県職員の採用試験の方は、100パーセント合格を確信し、結果も予想どおり合格であった。
 以上のような経緯を辿って、私は、昭和50年4月1日に、正式に岐阜県職員となったのであるが、当時、私は、このまま岐阜県職員で終わる気はなく、できれば司法試験に合格したいと考えていた。
 しかし、試験の難易度だけで考えれば、国家公務員上級甲種試験の方に再度力点を置いていたとしたら、その方が合格できる可能性は高かった。昭和50年の4月に岐阜県職員として採用された者(同期生。ただし東大法学部卒)の中には、同年夏に実施された国家公務員上級甲種試験を受験し直して、見事合格した者もいるのである。
 仮に、私がそちらの途を選択していた場合、その後は、どこかの省庁の職員となって「全体の奉仕者」としての一生を終え、今ごろは、どこかの外郭団体の理事にでもなっていたであろう。
 現在、司法試験は、過去の国によるデタラメな政策の実施により、需要を大きく上回る合格者が出てしまい、たとえ、試験に受かって弁護士になっても、若手の場合、ほとんどまともな生活ができない苦しい状況と聞く。現在であれば、私としては、司法試験は、決してお薦めできないB級試験と評価するほかない。

日時:15:34|この記事のページ

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