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弁護士日記

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疑問な名古屋高裁判決

2011年04月13日

 2007年に名古屋で発生した拉致殺人事件について、このたび、名古屋高裁は、4月12日に判決を言い渡した。被告人は三人であるが、三人のうち一人は控訴を取り下げたので死刑判決が既に確定している。今回の裁判は、控訴した二人の被告人に関するものである。二人の被告人のうち、一審の名古屋地裁で死刑判決を受けた被告人について、名古屋高裁は、一審判決を破棄して、無期懲役刑を言い渡した。
 いわゆる永山基準によれば、被害者が一人か、あるいは複数かは量刑上の差異があるとされている。被害者が一人の場合は、死刑を回避することができないかどうか慎重に考慮するべきとされている。
 今回は、被害者が一人であったため、死刑判決が破棄されたのかもしれない。
 では、私の見方はどうか。私の見解では、死刑を選択するか否かを判断するに当たり、被害者の数は問題とすべきでない。重要なのは、被害者遺族の感情、動機、殺害態様、社会に与える影響の重大さである。
 今回の被害者の遺族は、被告人の死刑を望んでいた。犯行動機についてもまったく考慮する余地はない。殺害態様も残虐である。社会に与えた影響も大きい。したがって、死刑をもって臨むほかなかったといえる。
 この種の事件で、常々私がおかしいと思うのは、被告人の矯正可能性を取り上げることである。被告人が罪を悔いて真剣に反省し、立ち直ろうとしている場合は、そのことを考慮するべきであるというのが大方の法律専門家の見解である。
 しかし、私はそうは考えない。上記した被害者遺族の感情ほか三点を考慮しても、死刑を選択するほかない場合は、死刑を科するほかないのである。
 いくら犯人である被告人が反省などしても死者は帰っては来ない。矯正可能性があろうとなかろうと、被告人は自分の生命をもって罪を償うべきである。
 また、矯正可能性を議論する立場は、被害者の人権よりも犯罪者である被告人の人権を重視する立場につながる。立ち直る可能性があるのだから、被告人にその機会を与えてやろうという思想である。
 この考え方は、確かに被告人の人権を考慮することにはなっても、被害者の人権には何ら配慮しない片手落ちなものである。私としては賛成できない。
 凶悪な犯罪者は、自分の命を差し出すことによって責任をとるほかないのである。

日時:17:05|この記事のページ

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